トルコ料理は、中華、フレンチと共に「世界三大料理」の一つに数えられているが、食通 の本場を自認するフランス人はなかなか点が辛い。ましてや今夜の客の「硬口蓋の鋭敏さ」は選りすぐりであり、世界的に有名なミシュラン社のガイドブックを、毎更新ごとに寄贈されるようなつわものも多い。私の自宅にも通 称「赤本」は送られてくるので、毎年各レストランの星の数の変動を見るのが、愉しみの一つとなっている。もちろんエグゼクティヴの心得として私もカロリーは常に意識し、健康管理に万全を期しているわけだが、何故かクリーム類を多用した料理を食しているにも関わらず、わが国にはアメリカ人のような肥満が少ない。それは食に対する考え方の差異によると推察している。彼らのDNAには、開拓時代に餓えに苦しんだ祖先の記憶が組み込まれており、無意識のうちにカロリーを摂取し続けてしまうのだろうか。

おっと、これは余談だった。つまり、トルコ宮廷料理長はこれからシニックで気難しいグルメたちの審判を待つ身になったわけである。当然食通 達は粗を探した。しかし、運ばれてきたものは、虚飾と巧緻に満ちた装飾こそなかったが、温かみのある盛り付けにはおのずと好感が湧くし、一口食べて感嘆せぬ ものはいないであろう出来栄えであった。私も当初は巷のエスニックレストランにありがちなスパイシーで辛みのきいた味を予想していたが、ほとんどが上品な薄味で、とくに野菜や、スズキや鯛などの魚介類が素材のよさを生かしてことの他美味だった。不機嫌を取り繕った笑顔でカバーしていたハリールも、しゃべりたりなかったらしく不満げなスー夫人も、真剣な表情でナイフとフォークを動かしていた。

「おいしいでしょ?」
ジェラールは、「スズキのトルコ風グラタン」を銀のフォークで食べていたが、巡ってきた給仕から白ワインを受け取ると、スー夫人を通 り越してハリールに話しかけた。
「ええ、すごく上品な味だわ。さすが宮廷料理ね」
ハリールは、彼を無視しようと決心していたようだったが、料理の感想を求められて意地を忘れて返事をした。
「今来たワインは魚に合うんだよ。飲んでみる?」
ジェラールは自分のグラスを彼女に差し出した。
「でもあなたのでしょ?お行儀悪いわよ」
「遠慮しないでいいよ。トルコ料理はみんなで楽しく食べてこそなんだよ」

そういえば、先ほどの大使のスピーチ中でさえ、トルコの客人達はあたりまえのようにメデと総称する前菜をつまみながら、トロイという地ビールなどを飲んでいた。気さくに気軽に楽しく皆で食べることは、もっとも食事を美味しく摂る方法なのだが、私たちは儀礼にこだわるあまり、すっかりおざなりにしていた基本中の基本でもあったのだ。 「じゃあ」とハリールが手を伸ばしかけるより早く、例のスー夫人がグラスを奪い取った。
「ジェラールちゃんのオススメですもの。お断りしちゃもったいないわ。あたくしが代わりに頂きますわ。間接キッスしてよろしいこと?夫がいないので寂しくて、あらっ、あたくしとしたことが!!ついお下品なことを!失礼いたしまして」

閨房の不満を全開にしてワイングラスに吸い付くスー夫人に、ジェラールは噴出すのをこらえていたが、ハリールの体からは露骨に怒りの焔が燃え上がった。能天気なスー夫人の愁波(ながしめ)は冷静な観察者には電波以外何者でもなかったのだが、ハリールにとっては、捉えた間諜に口を割らせるために頭頂部から流す電流だった。スー夫人は彼女の忍耐がどの程度まで成長したかを判定する試験紙となっていた。夫人のはじけぶりに対して、彼女はかろうじて慇懃と上品さを保ったが、不自然な冷静さの下では、噴火山のマグマが煮えたぎっているのが私には透けて見えた。スー夫人が長い舌を突き出してジェラールのグラスをしつこく舐めまわした時、ハリールがスラングを音を発せずにつぶやいたのが解った。女心は複雑怪奇である。オフィスでは蛇蝎のようにジェラールを嫌っていたのに、今、この勝気な女性の頭はその青年ゆえの嫉妬で占められている。・・・私は彼女と同種の女を知っている。他でもない私の元妻だ・・・・

ついにハリールが口を開こうとした時、私はとっさの判断で、白いクロスに覆われたテーブルの下で彼女のヒールを靴で突いて「落ち着け」の合図とした。これは、仲間と共に席についた恋人同士が秘密の会話を足で交わすためのやり方なのだが、この場合は仕方ない。もちろんハリールは私の真意を察して静まった。スー夫人はハリールの気持ちを知ってか知らずか、ジェラールにしなだれかかる。私は、自分のテーブルで演じられている奇妙な心理劇に気を取られていたが、向こうの席からこちらへ歩くバンサンの姿が目の端に入った。

「クェーーー!」
いきなり、ニワトリがトキを作るような甲高い声が天井の高いサロンに響き渡った。あちこちから湧き上がっていた会話や雑音はただならぬ 奇音に一瞬静まり、一斉にこちらのテーブルを見た。悲鳴の発生源はスー・ジョイナー・ヴィルヌーヴ夫人だった。 紳士淑女の集う会場で、突拍子もない黄色い声を上げることは、いかなる理由があれ重大なマナー違反だが、スー夫人にしたら無理もないだろう。彼女の頭からは赤い液体が滴り落ちて、瀕死の重傷者のごとき惨憺たる状態だったからである。それを見た背後の老婦人は、本物の血と勘違いして失神しかける有様だった。

「ギャアーーーン!」
再び夫人の叫び声が凍りついた空気をつんざいた。今度の悲鳴は嘆きのニュアンスを含んでいた。 つまりスー夫人は頭から赤ワインのシャワーを浴びてしまった訳なのだが、下手人はジェラールに白ワインを運んできた青年だった。給仕は何が起こったか解らずに茫然自失の体だったが、スー夫人の叫喚の原因が自分だと知ると、慌てて謝りながらひざまずいて腰の白布で夫人のドレスを不器用にぬ ぐった。
「おお、マダム、申し訳ありませんでした」
「ひどいわ、ひどいわ」
すでに泣き出していた被害者が頭を振るとワインの雫が飛び散り、横にいたジェラールは眉をひそめてよけた。

「なんたる無作法なボーイだ」
「クリヨンにあるまじき醜態ですことね」
「何をやってたんだ」
周囲の客たちは口々にボーイを非難しながら立ち上がり、半狂乱の夫人を面白い動物でも見るように遠巻きに取り囲んだ。ハリールと、他の席から駆けつけたマリーはテーブルのナプキンを取り、濡れそぼった夫人の顔や髪をぬ ぐったが、夫人はますます激しく泣き立てた。

「本当に、ああ、どうしたんだろう。誰かが後ろから僕の腕を押して・・・それでお盆が・・・」
哀れな給仕は上等の服を着た招待客たちの詰問を受けてすっかり狼狽してしまった。
「まあ、なんという言い訳でしょ」
「自分のミスを他人のせいにするとは、どんな教育をしているんだ!」
直接の加害者は目の前で青くなっている青年であるが、ワインが無防備なスー夫人に振り落ちる直前、私は確かに彼の後ろのバンサンの姿を見とめた。私が目でバンサンを探すと、スー夫人と給仕を取り巻くやじ馬たちの中に紛れて立っていた。彼の顔つきは、主人の所有物を掠め取ったはいいが、警察が屋敷を捜索するのを見守る召使のそれと同じだった。失望の色が陰鬱な褐色の瞳に線に浮かんでいるところを見ると、どうやら本来の目論みは外れてしまったらしい。彼の狙いはスー夫人の隣のストロベリーブロンド、つまりジェラールであるはずだ。自分を路傍の石のように素通 りしていくジェラールを憎み、その美々しいいでたちを台無しにして、せめてもの溜飲を下げようという魂胆だったのだ。

ジェラール、ジェラール、ジェラール。何人もの大人が彼を中心に狂奔している。一難去ってまた一難・・・おのずとため息が出てくるが、一人で咎を受けている無実の給仕が気の毒になって発言した。
「ともかく夫人にお怪我がないかが第一だ。支配人を呼んできてくれ」
黒いフロックコートを着た支配人が騒ぎを聞きつけ、飛んできた。
「醜態をお見せして申し訳ございません。皆様、どうかご着席下さい」
ガイゼル髭を立てた支配人は給仕を叱責し、クリヨンの名誉を回復すべく厳かに客たちを促した。内心小躍りしていた人々は素晴らしい余興が幕になったのを感じ、後ろ髪を引かれながらしぶしぶ自分達の席に戻った。司会者が壇上に出て、夜会を元の格調に戻すべく、次の予定や料理の由来を説明しはじめた。しかしせっかくのトルコ後宮の美姫を擬して作ったドレスをワインで汚されたスー夫人の号泣はやむべくもなく、サロンの空気に喜劇的な支配を打ち立てている。私はマリーに、夫人の代わりのドレスの選択と着替えを手伝うように指示した。

「はい、解りました。でも今の時間ならお店はもう閉まっているのでは・・・」
すると、機転の利く支配人がショップの一つを開けさせると約束した。
「ドレスはホテルできちんとクリーニング致しますし、代わりのドレスはどれでもマダムのお好きなものをお貸しいたしますよ」
しかし夫人は不満らしく泣きやまない。私は麻のハンカチを出して夫人の涙をぬ ぐいとりながら微笑んだ。
「申し訳ありませんが、スー夫人、新しいドレスにお着替え下さい。このマリーがお手伝いします」
テーブルクロスで涙を拭いていた夫人は、私のハンカチで鼻をかみながらかきくどく。
「あたくしは今日のためにオートクチュールでこのドレスを作ったんですのよ。その辺の借り着なんて」
「もちろんです。ドレスは最高のものをお贈りさせていただきますよ」
「ゲインズブルさんがあたくしに新しいドレスをプレゼントしてくださいますの?」

期待が夫人の涙で化粧が崩れて不気味になった顔を上げさせた。ハリールは私の意図するところを察したのだろう、小声でささやいた。
「私も一緒について行きましょうか?領収書と、その後経費としての処理が必要でしょう?」
「いや、いいんだよ。マリーだけでいい。その件は・・・」
本来、この仕事はハリールに言いつけるべきなのだが、一人の青年を巡って互いに本能的な反感を持つ女同士は、この際離しておくのが得策というものだ。
「バンサン!」
私はこの騒動の真犯人を呼んだ。彼は席に戻ることもできず、野次馬が去った跡に立っていたが、上目遣いの卑屈な笑顔でやってきた。すべては彼の個人的で女々しい私怨が原因である、最後まで責任を持ってしめくくりをつけるべきだとの判断の元に、マリーと夫人に付き添うように命じた。身に覚えのあるバンサンは湿った罪悪感を感じながら彼女らに付き添うだろうし、何より確実に聞かされるであろうスー夫人の果 てしない繰言と自慢が格好の刑罰であるに違いない。夫人は無意識のうちに、自分のいっちょうらをめちゃくちゃにした犯人に復讐を果 たすことになる。
「僕がですか・・・」
「そうだ。君に命じている」
私は厳然と言い渡したが、彼の耳元で「夫人に見られないようにして領収書を貰って置いてくれよ」と付け加えた。
「ククク」
それまで黙って残りのワインを飲んでいたジェラールは、耳ざとい質なのだろう、小悪魔のように密やかに笑った。

 

 

スー夫人を支えるようにしてバンサンとマリーがサロンから消えると、人々は宴を楽しむという本来の目的を思い出し、料理を堪能し、美酒の杯を傾け始めた。私はバンサンの卑屈な顔を思い出すと腹わたが煮えるような怒りを覚えた。男には譲れぬ 時があるのは理解できるが、その泥臭さ、卑劣さ、陰気さ、姑息さは、全く私の好むところではない。心の中でこの男にはもう枢機に参加させる値打ちがないと判決を下した。しかし彼の湿った陰謀が私に小休止を与えたのは事実で、スー夫人というスピーカーが目の前から消えて、やっと落ち着いて食事を楽しむことができるようになった。ハリールに至っては、夫人の退場は苦行からの開放だった。小悪魔の本性を出したジェラールがひっきりなしに彼女にじゃれかかったが、ことさらに取り澄まして得意げにあしらい、優雅にナイフとフォークを動かしていた。ともかくしばらくは白い鳩さえ舞いそうな安寧が続く。時間とともに会は進行するし、夫人一行が戻る頃にはビンゴタイムになるだろう。このように考えながら『ヒヤズ』というインゲン豆のサラダを口に運ぶと、口腔全体が甘酸っぱい幸福感で満たされた。

デザートが来た頃、トルコの民族舞踊団「ヤロヴェ」がサロンの中央に現れた。若い男女6人づつのグループで、男たちはジェラールと同じような衣装とタガーを身に付け、女性はアラビアンナイトに出てきそうなたっぷりとしたズボンに色彩 豊かなヴェールを被り、全員が美しい人形のように見えた。しかし今年の国内随一のコンクールで優勝した実力派でもあるのは、彼らが踊りだすと直ちに嘘ではないと解った。トルコのダンスといえば、異国人が真っ先にあげるのは、艶やなベリーダンスか、宗教色の濃い回転ダンスだが、その歴史にふさわしく実に多様性に富み、地方によって特色があるらしい。今回の「ヤロヴェ」の出し物は、農村で豊作を喜ぶ祝祭の舞で、舞台の上の男女は輪になって踊リ出した。ベリーダンサーの胸や腰を飾るスパンコールの煌きの代わりに、若い男女の桃色の頬には青い果 物のような瑞々しい生気が輝いており、それは媚びを知らない素朴な美しさと楽しさに満ち溢れたダンスだった。哀愁と軽快なリズム感の入り混じったトルコ民俗音楽の牧歌に乗せて踊っていたヤロヴェの団員たちは、輪になったり男女一組になったしていたが、そのうち散開するとと、客席の人々を舞台に誘い始めた。

普通のパーティでも男女カップルのダンスは欠かせないイヴェントだが、ここは気さくなトルコらしく、20歳前後のカモシカのようなダンサーがぴかぴかした勲章をいくつもつけた太った紳士に、簡単な踊りのフリを懇寧に指導していた。私たちの席にもコーカサス地方めいた服装の美しい少女がダンスの勧誘にやってきた。
「ご一緒にどうぞ」
「ねえ、みんなで踊ろうよ!」
ジェラールの白い頬が輝いた。
「私はいいよ」
「何で?楽しいよ」
「ある人を待っている。ここで座っているよ」
ナプキンで口を軽く押さえたハリールが言う。
「私が待っていますから、ゲインズブルさんは一緒に踊ってらして」
「いや、君が踊っておいで。ソシアルダンスも後からあるし、ここでマジェスティックでも飲んでいるよ」
「こんないやな子と踊るのは私は不本意ですわ」
私は手を翻して、ぐずっているハリールを促した。金髪のイニチェリと踊っておいで、意地っ張りで我侭なハリール君。野暮な人々が戻ってくる前に輝ける東西融合の調べに身を任せて楽しみたまえ。 ハリールは赤いドレスをたくしあげながら、立ち上がった。横にいたジェラールがすそをふんずけたらしい。
「ちょっと!ドレスのすそを踏まないでよ。わざと?」
「あ、ごめん、わざとじゃないよ。でもそんな長ったらしいもの着てくるから悪いんだよ」
「あんたの格好よりはマシよ」
「ヒスババアのゴージャスもどきは痛いよ」
どうやら二人は、フランスでも放映されたアメリカの古いカトゥーンの猫とねずみの関係らしい。仲良くケンカしな・・・私の頭にアニメのメロディがよぎった

 

 

私は、トルコのダンサーの指導で輪になって踊りだした人々を見ながら、待ち人であるロシュフコー夫妻のことを考えた。先ほど中座した折確認したが、アメリカからの便は一時間も延着していた。シャルル・ドゴール空港からパリの自宅へ入ったまでの足跡はなんとかつかめたが・・・急病だとしたら連絡があるはずなのだが・・・エトワール広場近くのアパルトマンに連絡を入れてみると、メイドが出て30分前におでかけになりましたと言う。専用車の自動車電話に連絡しても捕まらない。会は後半を過ぎている。今夜は果 たしてお越しになるのかどうか・・・

パンフレットを見ると、賑やかで明るいトルコダンスの後は、ソシアルダンスタイムとなっていた。私は得意とするステップで何人の女性を魅了しただろう。どの女性も私のリードで蝶のように舞い陶酔した。ロシュフコー氏の令夫人が到着していたら、敬意を表して真っ先に一曲請い願うところなのだが。招待客はヤロヴェの導きで、平素の身分を忘れてアララト山を望む小アジアの農民達の素朴なダンスに興じていたが、そのうちザズの音色のエキゾチックで軽快な音楽が止み、替わって優雅なムードミュージックが流れ出した。踊りの輪の中で興じていたハリールとジェラールは、額にうっすらと汗を滲ませながら、席に戻って飲み物を手にした。ハリールは先ほどは飲みそびれた白ワインに口をつけた。

「あら、このワインも変わった味なのね」
「私も感じていたがレモングラスの味がするね。これは何と言う銘柄なんだね?ジェラール君」
「えーとね。さっきコックさんに聞いたんだけどな」
さすがのジェラールもすぐには浮かばぬ様子で、首を捻っていた。

「トゥルクアズ(トルコ石)」
後ろから細い声が聞こえたので振り向くと、開会時、司会者から紹介を受けたトルコ空軍大佐の令嬢が微笑んでいた。 令嬢の初々しさには、ロリータ趣味には興味のない私でさえ瞠目した。素直で豊かな黒髪を額の真ん中で分けた美少女は、神の子を産んだガラリアの処女を思わせた。そういえばトルコのエフェソスには、その数奇な女性が晩年をすごしたと伝えられる「聖母マリアの家」がある。神を慈しんだマリアの面 差しは小アジアからトルコに住む美少女たちに受け継がれている。
「あの、よろしいでしょうか?」
少女は正確なフランス語を話した。オスマン帝国時代、貴族や高級官僚たちはフランス人やイタリア人を娘の家庭教師に招聘してヨーロッパ的な教養を見につけさせたが、それがトルコの婦人解放を早めた原動力にもなっている。その伝統は今も受け継がれ、上流階級は子弟を欧州に留学させて厳格なエリート教育をほどこしている。もちろん少女のマナーも完璧だった。簡単な自己紹介をした後、少女は質問する許しを私たちに請うた。

「何でしょうか?何でもどうぞ」
「あの、そちらの方は、どうしてトルコの衣装を着てらっしゃるんですか?」
そちらの方とは言うまでもなくジェラールだ。
「あ、これですか。何故って・・・参ったなあ・・・」
「いえ、よくお似合いだから、失礼だとは存じますが、さっきからずっと拝見していたんです」
「お嬢様、このジェラールはこういうコスチュームが大好きなんですわ」
照れて返事をためらうジェラールに代わってハリールが答えた。
「オバハン、何を言うんだよ」
不意うちをくらい慌てて抗議したジェラールを、ハリールはざまあみろと言わんばかりの目つきで睨む。
「素晴らしいです」
少女は感嘆した。
「フランスの人が私の国の民族衣装を愛してくれるなんて本当に嬉しいことです。私、ぜひジェラールさんをダンスにお誘いしたいのですが、よろしいでしょうか?」

ケマル・パシャに開放されたトルコの女性は積極的でもある。なるほど。女性大使が出る国だと、腑に落ちた思いがしたが、ハリールの眉の動きを見てまた嘆息した。それも今度はスー夫人とは比べものにならぬ 美少女・・・ しかし彼女の感情ばかり気にも掛けているわけにはいかない。ジェラールと美少女がダンスフロアに向かった後、むっつりとしていたハリールに声を掛けた。
「さあ、ロシュフコー氏はまだ来ないが、我々は社交の機会を逃してはならない。ハリール君、行こう」
「・・・はい」
一段と目立つ場所に用意されたVIPのテーブルに挨拶に行くと、即座にいくつもの有名企業の役員名簿に名を連ねる伯爵が、華やかなハリールを見てダンスを申し込んだ。ハリールは殊更に愛想よく振る舞い、上品さの中にも媚を含んだ微笑みを浮かべて手の甲にキスを受けたが、見てらっしゃい、ジェラール!と言わんばかりの癇症をエメラルドの瞳が反映していた。まあ、あれはあれで仕事に熱心な女だから、みっともない真似はしまいが・・・私もトルコ大使にダンスを願い出て許され、フランス宮廷流のマナーを駆使した作法でフロアに案内した。



 

 

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