颯爽たるアイゼン、僕の講習会は順調だった。アルナミらの助力もあり、生徒達はそれぞれのレベルに応じて優秀な進歩を遂げつつあった。ロドリゲスのマーシャルアーツは、レスリングやボクシングはもちろん、東洋の武道であるカラテやジュウドウの技、南米のカポエィラやタイのムエタイなど、あらゆる格闘技のスピリットを精製して練り上げたものだった。つまり米軍の誇る精鋭集団のデルタやシールズあたりの技術なのだが、自分達で研ぎ抜いた刃が己を断つことになるとは皮肉なものだと言ったのは、講習会を見学したアッタの弁だった。彼は僕の作ったテキストを見て言った。
「中々よく出来ている。このように正確で克明な図解があれば素人でも一目瞭然だ。我々がアフガンで学んだ大全にも劣らぬ 出来だ。この図解は君が描いたのかね?同志ジアドよ」
彼の指はアルナミが描いた大外刈りの絵を差していた。
「いえ、それはアルナミが描きました」
「ほう!」
アルナミの意外な才能はアッタをも瞠目させた。
「彼に絵心があったとは・・・」
「何でもアブハの高校ではよく友人に頼まれていろいろな絵を描いたそうです」
下らぬことをしゃべるものではないと、いつものように却下されるかも知れないと思いつつ、アルナミが恥ずかしげに語った内容を告げると、アッタの反応は思いも寄らぬ ものだった。
「絵か。絵とはよいものだ。私も幼い頃より絵は上手いと言われてきた。よく母や姉の肖像画を描いて彼女らを喜ばせた。卒論でアレッポの町の鳥瞰図を添えたが、担当教授は非常に感心していた」
アッタは彼がドイツ時代に書き上げた卒論の絵について話を始めたので、あまりの意外さに彼の顔を凝視した。一切の私情を挟まなかった男が私事を語りだしたのだ。この理性的で冷徹で冷酷で残忍な人間味のカケラもない男が・・・彼の目にはいつもの人の心を見透かす零下の理知はなく、追想するかのごとく遠くを見ていた。彼は自分の精神の弛緩に気づいたらしい。すぐに表情を引き締めて言った。
「私の絵は写実が目的だ。文章のみの説明をミナレットの高さほど積み上げようと、一片の図ほどの雄弁さはない。絵により足りない部分を補う場合のみ必要であるし、容認されるものだ」
アッタの隠された一面を垣間見たようで、わずかながら人間としての体温を感じたのだが、彼はまたしかつめらしい顔をして告げた。
「アルナミをテキストに協力させるのは構わぬが、みだりに絵筆を持たせぬように。里心がつく可能性がある。それに偶像描写 は禁止だ」
アルナミが僕の横顔を描いたのを知っているのだろうか・・・やはり彼は恐ろしいと再び心身が凍りついた。

ある晩、ヘッドスカーフ使用法の講習後のアルナミ専用特別 補習コースで、僕は以前から行き詰っていた計画への重大なヒントを得ることになった。 特殊部隊ものや傭兵ものの映画には、精悍で勇敢な、三度のメシよりも戦場が好きという役どころの兵士が必ず登場してくる。老練な彼らはブッシュハットやヘルメットを捨ててしまい、より有用なヘッドスカーフという布を選択している。砂漠の民ベドウィンのシャマグ同様に考えてもらえればいいかもしれない。砂嵐や埃から口腔を守ったり傷口を縛ることもでき、奪取した貴重品かなにかを包む役目も果 たす。しかしここで重大なのは敵を絞め殺すロープとしての使い方を習得することだったが、さほど難儀な内容でもなく講習は無難に済んだ。それぞれのアジトへ戻るまで時間があったので、男たちは嗜好に合わせて飲食店へ散った。アルナミはサイードの誘いを断り居残って僕に補習を依頼した。 白いスカーフを形のよい頭に巻いた彼は、アラビアの海賊といった趣だった。細身だが、弱々しさよりは敏捷さを感じさせる体つきは、度胸一つで大海を航海し、暴風が荒れ狂う夜に仲間のため小刀一本で帆を切り落とすためメインマストに駆け上る勇敢な船乗りそのものだった。気高く純粋な青年が御伽噺の船乗りなら、この僕はさしずめ冷酷な奴隷商人の番頭、唯々諾々と、しかし忠実に残酷な命令に従う卑劣漢、といったところか・・・わずかな自嘲と嘆息を彼は見逃さなかった。
「どうしたんですか?僕、あつかましすぎました?」
「いや、違うよ。少し・・・ね」
自嘲めいたため息、自己を放擲したような笑い、今まで何度したことだろうか・・・僕は愚劣な嘆息を後方へ押しやり、アルナミのしなやかな腕を掴んだ。

同志の中でも比較的線の細い部類に入るアルナミは、体力をつけ技を磨き少しでも役立つように努力し続けていた。その甲斐もあり、また本来の運動神経のよさもあいまって、今ではレンジャーへスカウトされるほどの僕でさえ、押さえ込むのに力がいるほどだった。ここに来た当時は片手で簡単にねじ伏せられるほどだったのだが、彼は格段に進化していた。初めは彼の嫋々とした様子に危惧していた僕だが、今では信頼するに足る同志だった。彼は毎回熱心に課題を追求した。 アルナミは布切れを手にし若い獣のように飛び掛ってきたし、僕は以前よりは苦労したが、防御して捌いて指摘すべき弱点を見つけた。理論で説明した後、実地にて示すため今度は僕が彼を攻撃役に変わる。僕はかなり本気を出して彼を襲撃した。彼は果 敢に抗っていたが、体重の差もありしばらくのち汗まみれになりながら組み伏せられた。僕は彼を押さえ込みながらスカーフを彼の首に巻きつけようとしたが、まだ諦めようとしないアルナミに阻まれて、白い布は僕の手から滑った。細く絞っていた綿布は、彼の頭に引っかかってはいたが、自由になって広がり黒髪にハラリと落ちた。それはちょうど聖なる教えを守る女性達が、もっとも美しい持ち物の一つである黒髪を罪深きものとして人目から隠しながら、スカーフやチャドルからわずかに、しかし確かに垣間見せる長い髪のような香気に満ちた美を演出したのだ。粗末な綿布の切れ端には過ぎなかったが、アルナミにとっては先ほどは海の男の制帽であり、今はアラビアの美姫の額縁を縁取る神秘のベールだった。溢れるばかりの賛美と、押さえ着れない衝動が僕の内部から唐突に湧き上がってきた。アルナミの感覚も僕の目の艶の変化を嗅ぎ取ったのだろう、そのまま腕を伸ばして僕の首をかき抱いた。

 

温厚なるアイゼン、清らかな君に対して重ね重ね申し訳なく思う。やり場のない煩悩のとりこになった僕の虚偽と惰性に満ちた生活を君に延々と聞かせるために、美青年との愛欲シーンを記述してるのではないことだけは理解して欲しい。彼が美しいという事実がこれほどの意味を持ってくるとは、この時まで思いも寄らなかった。究極の美は性別 を超越する、東西の文物でも神々は中性的に表現されることが多い。ベールを被ったアルナミはまさに「天国の乙女」だ。僕はシーツをいやがる彼に巻きつけ、サラセンの王女の様々な肢体を堪能した。 ここには姫君を飾る天然真珠の宝冠も、溢れ咲く四季の花々も、艶やな東洋産の香料もなかったが、粗末な綿布を纏う青年の可憐さには、三千人の粉黛も顔色を失うに違いない。彼はふざけてベールを口に加え故郷の女舞のまねをし始めた。僕はベッドに片肘をついてあでやかな美を鑑賞していたが、突如、灰白質の部分にもやもやと浮かんでは消えていたある考えが、初めて形を取ってひらめいた。
「そうだ!」
僕は飛び起き、踊るアルナミに突進した。そうだ、彼はこうして見ると全くの女性だ。いや、今まで彼には牝の要素は全く見えなかった。おぞましい苦役を強いられているにも関わらずあくまで彼は青年の典型であり、その美のよりどころは、精悍な牡だったのだ。それが今や・・・これで化粧をすれば完全な女性だ。どれほど美しくなるだろう。いや、美しすぎるのは逆に不自然かも知れない。
「痛い・・・」
アルナミの声で僕は我に帰った。気づかぬうちに彼の両腕を掴んで握り締めていたのだ。
「すまない、つい。君があんまり綺麗だから驚いてたんだ」
「止めて下さいよ。恥ずかしいじゃないですか」
彼はベールにしていたシーツを乱暴に投げ捨て、照れ隠しに唇を尖らせた。丸みを帯びた桃色の唇に紅を引くときっと濡れたようになるだろう、そしてアイラインを入れれば・・・僕は幼い頃母がしていた化粧を思いだした。少し古臭い方がいいかもしれないな。少年の甘さを残す彼の横顔を見ながら考え続ける。以前ビナルシブの入国手続きに奔走した際、交渉があった偽造屋がいた。あの男ならうまくやってくれるだろう。誰からも怪しまれないように。確か変装の手配もしてくれたな・・・ このアルナミ専用特別補習で、僕は以前から行き詰っていた計画への重大なヒントを得ることになった。

数日後、僕はアルナミを故売と偽造を生業とするミケロッティという男に引き合わせた。おそらくイタリア移民の末裔らしくマフィアにコネクションを持つのだろう、顧客の要求に合わせてあらゆる種類のパスや証明書を手配してくれる便利な男だった。それでいてこちらの身の上や背景、事情に一切触れないというプロに徹した男だった。僕は彼の言い値で取引する上客だったから、連絡するとたちまち姿を現した。
「この男だよ」
僕はあらかじめ、ある依頼をミケロッティにしていた。機を見ることにかけては聡い商売人はアルナミをひとしきり眺めた。
「これなら簡単でさ。まかしておくんなせえ」
「よろしく頼むよ。期限は9月10日だ。これは厳守して欲しい」
「なんとか間に合わせやしょう。しかしまた何と綺麗な野郎がいたもんだ。こりゃやりがいがある」
お追従笑いを浮かべたネズミ顔の中年男を見て、訳が解らず不安そうに黙っていたアルナミの表情が曇った。
「あの・・・また任務ですか・・・?」
「大丈夫だよ」
僕は彼の恐れを紛らわすように笑顔を作った。
「今から彼が君の写真を撮るんだ。用意が隣の部屋に出来ている。すぐに済むからね」
隣室に通じるドアを開くと、ミケロッティの手下がライトや薄物の衣料品、撮影用のメイク用品などをたずさえて待っていた。
「君が写真を撮る間、僕もついてるから安心して」
そう言って、大きな瞳で僕を見上げたアルナミの背を優しく押しやった。 撮影が済んだ後、僕は手付の300ドルを現金で支払った。 これでいい、僕の密やかな計画は静かに、しかし確かにに進んでいる・・・

忍耐強いアイゼン、これまで君の優しさに甘えて、千夜一夜のように尽きない僕の独白を聞かせてしまった。あのアラビア文化の精華ともいうべき活力に満ちた人々のエロスと冒険の物語と異なる点は、僕のそれは内省的でやり場のない沈鬱さと陰湿さで辟易させることかもしれない。今からこの憂鬱で屈折した物語の重要な部分を語り始めるので、もう少しだけ我慢して欲しい。僕の交響曲はクライマックスへと、各パートを纏め上げて一つの音楽として完成を待つだけなのだ。

 



 

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