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颯爽たるアイゼン、僕の講習会は順調だった。アルナミらの助力もあり、生徒達はそれぞれのレベルに応じて優秀な進歩を遂げつつあった。ロドリゲスのマーシャルアーツは、レスリングやボクシングはもちろん、東洋の武道であるカラテやジュウドウの技、南米のカポエィラやタイのムエタイなど、あらゆる格闘技のスピリットを精製して練り上げたものだった。つまり米軍の誇る精鋭集団のデルタやシールズあたりの技術なのだが、自分達で研ぎ抜いた刃が己を断つことになるとは皮肉なものだと言ったのは、講習会を見学したアッタの弁だった。彼は僕の作ったテキストを見て言った。 ある晩、ヘッドスカーフ使用法の講習後のアルナミ専用特別
補習コースで、僕は以前から行き詰っていた計画への重大なヒントを得ることになった。
特殊部隊ものや傭兵ものの映画には、精悍で勇敢な、三度のメシよりも戦場が好きという役どころの兵士が必ず登場してくる。老練な彼らはブッシュハットやヘルメットを捨ててしまい、より有用なヘッドスカーフという布を選択している。砂漠の民ベドウィンのシャマグ同様に考えてもらえればいいかもしれない。砂嵐や埃から口腔を守ったり傷口を縛ることもでき、奪取した貴重品かなにかを包む役目も果
たす。しかしここで重大なのは敵を絞め殺すロープとしての使い方を習得することだったが、さほど難儀な内容でもなく講習は無難に済んだ。それぞれのアジトへ戻るまで時間があったので、男たちは嗜好に合わせて飲食店へ散った。アルナミはサイードの誘いを断り居残って僕に補習を依頼した。
白いスカーフを形のよい頭に巻いた彼は、アラビアの海賊といった趣だった。細身だが、弱々しさよりは敏捷さを感じさせる体つきは、度胸一つで大海を航海し、暴風が荒れ狂う夜に仲間のため小刀一本で帆を切り落とすためメインマストに駆け上る勇敢な船乗りそのものだった。気高く純粋な青年が御伽噺の船乗りなら、この僕はさしずめ冷酷な奴隷商人の番頭、唯々諾々と、しかし忠実に残酷な命令に従う卑劣漢、といったところか・・・わずかな自嘲と嘆息を彼は見逃さなかった。
同志の中でも比較的線の細い部類に入るアルナミは、体力をつけ技を磨き少しでも役立つように努力し続けていた。その甲斐もあり、また本来の運動神経のよさもあいまって、今ではレンジャーへスカウトされるほどの僕でさえ、押さえ込むのに力がいるほどだった。ここに来た当時は片手で簡単にねじ伏せられるほどだったのだが、彼は格段に進化していた。初めは彼の嫋々とした様子に危惧していた僕だが、今では信頼するに足る同志だった。彼は毎回熱心に課題を追求した。 アルナミは布切れを手にし若い獣のように飛び掛ってきたし、僕は以前よりは苦労したが、防御して捌いて指摘すべき弱点を見つけた。理論で説明した後、実地にて示すため今度は僕が彼を攻撃役に変わる。僕はかなり本気を出して彼を襲撃した。彼は果 敢に抗っていたが、体重の差もありしばらくのち汗まみれになりながら組み伏せられた。僕は彼を押さえ込みながらスカーフを彼の首に巻きつけようとしたが、まだ諦めようとしないアルナミに阻まれて、白い布は僕の手から滑った。細く絞っていた綿布は、彼の頭に引っかかってはいたが、自由になって広がり黒髪にハラリと落ちた。それはちょうど聖なる教えを守る女性達が、もっとも美しい持ち物の一つである黒髪を罪深きものとして人目から隠しながら、スカーフやチャドルからわずかに、しかし確かに垣間見せる長い髪のような香気に満ちた美を演出したのだ。粗末な綿布の切れ端には過ぎなかったが、アルナミにとっては先ほどは海の男の制帽であり、今はアラビアの美姫の額縁を縁取る神秘のベールだった。溢れるばかりの賛美と、押さえ着れない衝動が僕の内部から唐突に湧き上がってきた。アルナミの感覚も僕の目の艶の変化を嗅ぎ取ったのだろう、そのまま腕を伸ばして僕の首をかき抱いた。
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温厚なるアイゼン、清らかな君に対して重ね重ね申し訳なく思う。やり場のない煩悩のとりこになった僕の虚偽と惰性に満ちた生活を君に延々と聞かせるために、美青年との愛欲シーンを記述してるのではないことだけは理解して欲しい。彼が美しいという事実がこれほどの意味を持ってくるとは、この時まで思いも寄らなかった。究極の美は性別
を超越する、東西の文物でも神々は中性的に表現されることが多い。ベールを被ったアルナミはまさに「天国の乙女」だ。僕はシーツをいやがる彼に巻きつけ、サラセンの王女の様々な肢体を堪能した。
ここには姫君を飾る天然真珠の宝冠も、溢れ咲く四季の花々も、艶やな東洋産の香料もなかったが、粗末な綿布を纏う青年の可憐さには、三千人の粉黛も顔色を失うに違いない。彼はふざけてベールを口に加え故郷の女舞のまねをし始めた。僕はベッドに片肘をついてあでやかな美を鑑賞していたが、突如、灰白質の部分にもやもやと浮かんでは消えていたある考えが、初めて形を取ってひらめいた。
数日後、僕はアルナミを故売と偽造を生業とするミケロッティという男に引き合わせた。おそらくイタリア移民の末裔らしくマフィアにコネクションを持つのだろう、顧客の要求に合わせてあらゆる種類のパスや証明書を手配してくれる便利な男だった。それでいてこちらの身の上や背景、事情に一切触れないというプロに徹した男だった。僕は彼の言い値で取引する上客だったから、連絡するとたちまち姿を現した。
忍耐強いアイゼン、これまで君の優しさに甘えて、千夜一夜のように尽きない僕の独白を聞かせてしまった。あのアラビア文化の精華ともいうべき活力に満ちた人々のエロスと冒険の物語と異なる点は、僕のそれは内省的でやり場のない沈鬱さと陰湿さで辟易させることかもしれない。今からこの憂鬱で屈折した物語の重要な部分を語り始めるので、もう少しだけ我慢して欲しい。僕の交響曲はクライマックスへと、各パートを纏め上げて一つの音楽として完成を待つだけなのだ。 |