「効いてくるまで40分くらいかな。この上に気持ちいい原っぱがあるんだよ。そこ行かない?」

ノブの提案で、一同は近くの小さな高原に移動することにした。飲み物とラジカセを車に積んで、途中に牧場などを見ながら白樺の道をドライブし、路肩の空き地に駐車して少し歩くと、林の中にいきなり視界の広がる草原が現れた。背景には悠々とそびえる八ヶ岳。トリップするには絶好のロケーションだ。とりあえずラジカセでシタールの名手、ラビ・シャンカールのCDをかけ、皆は輪になって座りその時を待った。

涼しい風が木々の葉を揺らしていく。しばらくのんびりと雑談していると、空気がかすかに揺らめいた。それと同時にゆったりと流れていた時間がガクンとスライドした。ちょうど、映画のフィルムを切ってつなげたように、時間が少しずつスライドしながら過ぎていく。

「来た」
「俺も来てる」

シタールの響きが空気の糸と絡み合って透明なチューブになり、滑らかにうねりながら風に流れると、新しいチューブがラジカセのスピーカーから抜け出して、ふたたび流れ消えていく。木々の葉のふちが薄く光を発し、気がつくと自分たちも同じ光を発している。輝くペットボトルの水が溢れ出し、草原に広がり膨れ上がって巨大なドームを作り、その中に息づくものはすべて同化されて区別 がつかなくなる。誰かのささやき声は自分の声かもしれない。それとも草原の声かもしれない。

ドームの空気を揺らす青い光の線が現れた。線は潤たちの間を縫うように軌跡を描く。
「シオカラトンボだ!」
潤は立ち上がり、光の線を追って草原を歩きだした。草の1本1本はすべて計算されつくした設計図の上に存在する。設計図の上を、大気の粒子をかき分けて潤は進んで行く。光の線はプログラムされた草の尖端で止まる。それはこの世ができた時から決まっていた必然だ。そして5秒後に線が再び浮き上がり精密な残像を残しながら去って行くことも必然だ。

潤は青い残像のひとつひとつを指でつぶしていく。指先が青くなる。舐めてみると青の味がする。青は冷えたアルミにこぼした砂糖水の味がした。赤はどんな味なんだろう。潤は昼間のカレーのニンジンを思い出し、体中がニンジン臭くなったので草をちぎって口に入れた。

 

 

「潤ちゃん」

振り向くとそこに緑色のTシャツを着たシゲオがいた。俺が草を噛んだから、シゲオさんの服が緑なんだな、と潤は思った。

「キマってる?」
「うん、シゲオさんは?」
「いいかんじ。みんな笑ってるぜ。子供はやっぱり虫取りが好きなんだなって」
「トンボ、どっか行っちゃった。でもほら」

青い指を見せると、シゲオはその指に触れたので、シゲオの指も青くなった。指先どうしが青で接着されてしまったため、潤はそのままシゲオの手を握って、草の回廊をまた歩き出した。

「おいおい、どこ行くんだよ」
「トンボ、探しに行こう。すぐ見つかるよ、飛んだ跡が見えるんだ」
「俺まで虫取りかよ、まいったな」

ボヤくシゲオにおかまいなしに、潤はどんどん草原を進んで行く。つないだ手が暖かく溶け合っているので、シゲオが自分の体の一部になったように感じ、だから当然、感覚も共有しているという確信があった。

草原につづく小高い丘を登ると、二人は小さな湖を発見した。澄んだ湖面 はくっきりと空を映していたため、潤ははじめ、誰かが空を切り取ってそこに隠していったのだと思った。
「なんだ、こんなところにもあったのか、空」
「ほんとだ、空、あるね」
「青いね。トンボが隠れてるかもしれない、行こう」
「待って、ちょっと休まない?ずいぶん歩いたぜ?」
「うそー、そんなに歩いてないよ。じゃあシゲオさん休んでなよ。俺行ってくる」
「おい、飛ばしすぎるな、落っこちちゃうよ、危ないよ」
「落ちないよ、落ちてもいいよ」
「落ちちゃダメ。俺らの責任になる。とにかく休もう」

潤はシラけた気分になったが、強く手をひっぱられたので、その勢いでシゲオと一緒に丘の上に腰をおろした。青い湖面 をトンボがかすめて行ったので、ほら、ね、というようにシゲオの顔を見ると、シゲオはじっと湖を見つめながらつぶやいた。

「…まあ、おまえが落ちたら俺も落ちればすむことだけどな」
「いいね、一緒に落ちてくれるの?」
「でもさ、このシチュエーションで誰かが事故ったら、めんどうなことになるぜ。少なくとも全員パクられるだろうな」
「つまんねえな、こんな時にそんな話しないでよ」
「いちおう大人はそういうことも考えながら生きていくわけよ」
「シゲオさんらしくないね。一緒に落ちるほうを選びなよ」
「でもホラ、落ちたら悲しむ人もいるじゃない?俺だったら朝美とか、おまえも親御さんがいるだろ?」
「…親なんか関係ねえよ」
「そう思う年ごろもあるだろうけどさ、大人になると回りの人のことも考えるようになるさ」
「ヒモでもそんなこと考えるのか」
「あっ、言ったな、このやろう」
「シゲオさんは大人じゃないもん」
「俺は大人だよ」
「大人なら教えてよ」
「何を?」

「俺、何のために生きてるの?」

 



 

BACK     HOME     NEXT