自分のアドレスを知らせるために簡単な謝罪のメールを送り、彼女の返事を待つあいだ、潤はひどく落ち込んでいた。ケンカのあとによそよそしくなった彼女は、ぜったいに苦言をよこすものだと思っていたからだ。いくら馴れ合う関係に落ち着いていても、彼女にしつこくつきまとっていることには変わりないし、また自分が暴言を吐いたことで陥っている事態なのだから、あきれられても当然だと、自分自身わかっていた。何度もメールボックスを確認し、待っている間は何も手につかず、久しぶりにベッドにうつぶせて不安な時を過ごした。食事時にも彼女のことが気になり、ろくに手もつけられずに自室に戻った。たかだかインターネットのことでなにをやっているんだと自分を嘲笑したかと思えば、掲示板のログを読み返して言い訳を探してみたり、みっともないほどの狼狽ぶりだった。しかし、彼女のメールは思っていたのと正反対の内容だった。

 

Subject:友だちになろう

まずは、メールをありがとう。
お前のことは、もしかしたら冷やかしや煽りかと思っていたが、
ちゃんとメールをくれたので嬉しかったよ。
今朝のことは、俺もうかつなことを言ったし、お前もこうして謝ってくれて
いるんだから、水に流そうな。
お前こそ、もしかしたら以前のケンカの事でまだ不満があるんじゃないか?
いきなり「バカ」には少々キレたぞ(笑

こんなこと掲示板で言えって?
前のドンパチの時、変な煽りや野次馬がゴチャゴチャ出てきたし、
お前のテロへのはまり込み方や不安定な態度(怒るなよ)を見ると、
何か人に言えないような悩みでもあるんじゃないかと思ったんだよ。

前に掲示板で「友だちになろう」と言ったのは本気だった。
お前はネタだと思っていたようだがね。
今からでも友だちにならないか?
取って食おうっていうんじゃない。世間話でもすれば、気休めになるだろうし。
じゃ、返事を待っているよ。

 

潤は何度もメールの文面を読み直したあと、ふたたびベッドに入り、体を丸めて目を閉じていた。いつも想像の中で抱いてくれる彼女が、いっそう強いイメージで彼の横にいた。しかし、ノートパソコンをベッドに持ち込んで返事を書こうとした時、新たな不安がこみ上げてきた。掲示板の外に出てバーチャルとはいえ友だちになることは、知ろうとすればさらに彼女の深みを知れる立場になるということだ。もしも現実を知ることによって、自分を抱きしめてくれる存在を失うことになったら…。

 

 

「少し休む?」
ぐったりした彼女をベッドに倒し、自分も横たわりながら潤はたずねた。
「うん、少し」
「でも」
潤は彼女の手をとると、熱くなっている自分を握らせた。
「ほら。俺、どうしたらいい?」
「ちょっとだけ待って」
「じゃあ、ここはこのままでいてくれる?動かさなくていいから」
彼女の手に包まれながら、潤は長い髪に手をのばし、なだめるようになでた。それからその手を背中にまわし、キスをした。キスをくり返しながら背中や腰をさすっていると、唇をはなして彼女が言った。
「ベッドで、いつも私と寝てるって言ってたね」
「うん、男でも女でもないおまえとね」
「いま、ほんとうになってるね。どんな気分?」
「これじゃあ、少なくとももう友だちではないな。だっこしてくれてた人は、死んじゃった」
「まるで迷惑みたいな言い方ね」
「でも、得もしてる。オナニーの時の妄想は、これからリアルになりそうだ」
潤は、自分から腰を動かして、彼女の手の中で少し摩擦を楽しんだ。それから、ため息をついて言った。
「明日から、誰がだっこしてくれるんだろう。男と女になったら、もうおまえに甘えるわけにいかないもんな」
「べつにいいじゃない、お姉さんに甘えれば。これからはもっと可愛がってあげるわよ」
「アニキを殺したお姉さんに、殺意がわくかもしれないよ」
「ああ言えばこう言うってかんじね。ようするに、いつも不満を持っていたいタイプなのよ、君は」
「俺、マゾ」
「あきれた。ホモのうえにマゾなんだ。サドっ気もありそうだけど。彼氏にするのは、やっぱり無理だわ」
「よく言うよ。自分だけさっさとイっておきながら。次は俺がイかせてもらう番だ」

彼女の手から自分のものを奪い返すと、潤はそれを入り口にあてがい、ゆっくりと沈めていった。彼女の道はさっきの熱狂で充分にうるおっていたので、心地よい締めつけ以外には何の抵抗もなく侵入することができた。内部は温かく優しいやわらかさで彼を迎え、しばらくその感触を味わうためにじっとしていると、不定期に起きる穏やかな収縮が、道の奥深くにある懐かしい場所に彼をいざなった。
「おなかの中に入って、生まれなおしたい」
「今度はママにするつもり?どうしても私だけじゃだめなの?」
「おまえだけだよ、こんなにたくさんの手でだっこしてくれる人は」
「透明人間だから、何にでもなれるもんね」
「俺たち、体をもってる透明人間だな」
懐かしい場所は、どうしても届かないところにあったので、細い道を歩きながら憧れるしかなかった。そのもどかしさは彼と一緒に道を行き来するたくさんの襞に助けられて官能へと変化していった。彼女は、どこも無駄 がなく潤を包み込み、蜜を与え続け、甘い吐息で彼をはげました。
「気持ちいい、ねえ、おまえは?」
「私も」
「あのさ、外に出すから、ギリギリまでこうしてちゃダメ?」
「今日は、だいじょうぶよ」
「名前、呼ばせて」
「それはダメ。ルール違反」

深さや角度を変えるたびに、こみあげてくる快感も種類を変えた。それは彼女も同じだったようで、彼に反応して腰を様々に動かした。ふたりの動きが新しい感覚を生み、優しく、激しく、わずかに苦しく、その苦しさも次に訪れる官能への期待となり、広がるふたつの波紋は一致していった。しかし、快感の反動で思わずさしのべられた彼女の腕の中で、潤は突然あることを思い出した。それは幼いころ、父親と一緒に寝ている思い出だった。

3つか4つの頃から、俺は毎晩親父と一緒に寝ていた。ふだんは厳しい親父だったけど、寝るときはすごく優しくて、いつも頭をなでながら、俺を可愛い、大好きだって抱きしめてくれた。おこられているときも、ほんとは親父は俺を好きなんだからって、泣くのをがまんした。夜がくるのが、毎日待ち遠しかった。帰りの遅い日は、いつも先に親父のベッドに入って待っていた。小学校にあがる頃、親父と寝ることを母親に禁止されて、泣いて抗議したことを覚えてる。
「どうしたの?」
「なんでもない。出ちゃいそうだったから、がまんしてた」
「無理しなくていいのよ」
「だって、もったいないじゃん、今日しかないんだから」

そう、今日しかないんだ。潤は自分の中で繰り返した。父親がしたことは抱擁だけではなかった。その思い出は、忘れていたわけではないのに、自分にはまったく無関係のものとして心の奥底にあった。潤は、このことで悩んだことも苦しんだこともなかった。しかし、彼女の中であの感覚が蘇ると、思い出は一気に生々しいものとなった。

>この夜は明けないんだ。だから、おまえは永遠に俺のもの。

掲示板で彼女に書いたレスは本音だった。この夜が明けたら終わってしまう。親父と寝ていた夜が明けてしまったら、俺は一人で罪を背負うことになってしまう。彼女といる夜が明けてしまったら、現実に殺された想像の中のあの人を、俺は一人で弔うことになってしまう。テロに決着がついてしまったら、俺は自分だけを破壊することになってしまう。
潤は、彼女の首に両手をかけた。彼女は目を見開き、何かを言いかけたが、ふさがれた喉から声を出すことはできなかった。潤はひどく興奮していた。あたりまえだ。だって、いまのおまえは俺なんだから。そんなかんじで声が出なかったんだよ。いつも、首をしめられてるみたいだった。長い間、俺とおなじくらい俺をわかってくれる人をさがしてたんだ。一緒に消えてもらうためにさ。
それから、彼は暗闇で抱きしめてくれた存在の値踏みをはじめた。彼女と、父親だ。そして、潤が射精したのは、父親の手の中だった。

 




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