「おっかえりー!ヒロリン!!あれぇ、潤ちゃんも。ひさびさだね〜!」
タクシーで10分ほどでナベのマンションに着くと、ふたりを迎え入れたのはナベの同棲中の恋人のミドリだった。ミドリは中堅のAV女優で潤も出演作品を見たことがあるが、風呂あがりらしく洗った髪をタオルで束ね、スッピンでパジャマを着た彼女は、ビデオの中の華やかで淫乱な女と同一人物とは思えないほど平凡だった。

とりあえずみんなで缶ビールをあけ、しばし世間話をするともう深夜の12時をとっくにまわっていたので、潤はシャワーを借りリビングのソファとテーブルの間にマットレスを敷いてもらい、その上に横になった。 部屋は広めの1LDKだったが、一室はナベの仕事関係の楽器や衣類置き場になっていたので、リビングに置いたダブルベッドにナベとミドリが寄り添って、まだビールを飲んでいた。

ナベは、思い出したようにサイドテーブルの引き出しを開けると、錠剤のシートを分けて潤に投げてよこした。2錠つづきの銀色のシートに小さな楕円形の錠剤の形が浮き上がっていたので、それはハルシオンだということがすぐにわかった。ハルシオンは軽い睡眠薬で、抜けが早いのでよく睡眠薬遊びに使われて社会問題にもなっていた。この顔ぶれでハルシオンを出されれば、それは正規の使用法を示すものではないと思い、潤は言った。
「もらっとく。けど、もう眠いからあとでやるよ」
「眠いから睡眠薬いらないって、ヘンな話しだな。あ?あたりまえか」
ナベの間抜けなセリフに、ミドリが甘ったるい声で笑った。
「飲んじゃいなよ、潤ちゃん、強いんでしょ?」
「でも、もったいないよ。眠くないとき飲む」
「おまえ、最近よく眠れないって言ってたじゃん。べつにラリらなくても、ぐっすり寝ちゃえよ。そのほうが俺たちもいいんだよ、こいつがさ」

ナベは思わせぶりに言うと、潤の目の前でミドリを抱き寄せてキスをした。
「んん…」
まるで部屋には他人が存在しないかのようにストレートにキスに反応するミドリの声に、ビデオの中での彼女の痴態を思い出して潤は妙な気分になり、「だったら呼ぶなよ」と心の中で文句を言いながらけっきょくシートを破り、青い錠剤を2つとも飲み込んだ。
「飲んだよホラ。ごゆっくり」
ベッドに背を向けてタオルケットを頭からかぶり目を閉じると、しばらくナベとミドリのクスクス笑いや怪しげな息づかいが聞こえていたが、そのうち潤は眠ってしまった。

 

 

何時間たったのか、潤は、ウトウトしながら耳元で漏れる誰かの吐息を聞いた。それは、さっきまでのナベとミドリのものではなかった。誰かの裸の胸が自分を抱きしめている。懐かしいような恐ろしいようなモヤモヤした感覚。ぼんやりと目を開けると薄暗いオレンジ色の室内灯の中に、松崎の顔が浮かび上がった。どうして、松崎さんがここに?潤は疑問に思ったが、まだ薬が効いているうえに、背中や腰をなでまわされる心地よさに、ふたたびまどろみ、眠り込んだ。

潤が寝息を立てはじめたので、松崎は安心して愛撫を続けた。潤のTシャツをめくりあげ、手のひらで胸をなぞり、腰を押しつけながら半開きの唇に舌をさしこむと、潤は無意識のうちに赤ん坊のように松崎の舌を吸ってきたので、驚いた松崎は一瞬動きを止めた。潤は拒絶するどころか、松崎にしがみついて舌を吸い続け、室内に響く粘着質な音に触発されて、静かに様子をうかがっていたらしいナベとミドリがセックスをはじめた。松崎はこの異様な状況に興奮して、潤の手を導いて直接自分の物を握らせると、潤は子供がごほうびでももらったときのように両手でそれを受け取ったので、松崎は思わず声をあげた。
「ああ、かわいい、かわいいね」

目覚めると、ナベと松崎の姿はもうなかった。潤は、ゆうべの記憶にイマイチ自信がなかったので、しばらくマットレスに横たわったままとぎれとぎれの断片を繋ぎ合わそうとしていると、ミドリがテーブルにコーヒーを置いた。
「おはよー」
「…うん」
ノロノロと起き上がり振り向くと、ミドリはパジャマの上着にショーツだけという格好で、あっけらかんと笑った。
「ゆうべは、よく寝れなかったでしょう」
「…なんか、よくわかんない夢見た」
「うふふ。松崎さんが来た夢じゃない?」

やっぱり現実だったんだ。潤が黙っていると、ミドリはテーブルに両肘をついて話し続けた。
「潤ちゃん、ウリセンでもやってるの?」
「そんなの、やってないよ。どうして?」
「松崎さんが言ってたよ、潤ちゃん上手だったって」
「なにが?」
ひどく胸騒ぎがしているのを悟られないように言ったつもりだったが、ミドリは単刀直入に真実を暴露した。
「手コキ」

潤はゆっくりと自分の手を開き見つめると、はじかれたように洗面 所に駆け込んで両手を洗いはじめた。勢い良く流れる水の音に、ミドリのおかしそうな笑い声が混ざって腹立たしかった。なんとか気を落ち着かせ、リビングに戻って帰り支度をはじめると、ミドリがにじりよってきて言った。
「ゆうべのさ、接待だったのよ」
「なに?」
「接待。松崎さん、お得意さんだから、ヒロリンがセッティングしたの」

ようやく意味がわかってきて潤はむかついたが、とにかくこの場から離れたかったので、急いでジーンズを履こうとすると、ミドリがその手を止めた。
「くやしくないの?」
「…くやしいよ」
「こんどはあたしが頼まれてるのよ、潤ちゃんの接待」
「えっ?」
「潤ちゃんだけタダ働きじゃ不公平でしょ」

ミドリはパジャマのボタンを開けはじめた。ブラジャーはつけていなかった。
「ちょっと待って、嫌だよ、いいよ、そんなの」
「ヒロリンてヘンな趣味あるんだ。だから、遠慮しなくていいんだよ」
「ヘンな趣味って…なに…あっ」
潤の太ももに乗ってきたミドリの乳房が、顔の前で揺れた。
「潤ちゃんのおかげで、ゆうべは燃えちゃった。ほら、まだこんなの」
太ももに直にこすりつけたミドリのショーツはぐっしょり濡れていた。こうなってはもう、わけのわからない幻惑に捕らえられ、松崎からの中途半端な愛撫の感触が蘇り、潤は自分が制御できずに、けっきょくミドリのショーツをずらすとあせって横から挿入した。ミドリが大袈裟に声をあげて腰を使ったので、最初の一発はすぐに終わり、その失敗をとりかえすように、二度めは慎重に快楽を追いながら、ミドリの体をむさぼった。

フラフラになった帰り道、これからナベや松崎のまえでどんな顔をすればいいんだろうと思ったが、どうせ、これでみんな同じ穴のムジナになったんだから、いつもどおりにしていればいいやと無理に納得してポケットに手を入れると、シゲオにもらったロケットペンダントにふれた。取り出してみると、それは本の形をしており、表紙にはハートのマークがきざんであった。本を開くと、あんのじょう、中にはサランラップにくるんだ小さな紙片が一枚入っていた。強い日ざしのなかでサランラップが淡い虹色にきらめき、白く切り取られた空間の向こう側からケミカルな粘液が滲み出しているようにも見えた。LSDは日光で劣化しやすいので潤はすぐに銀色の本の表紙を閉じて、首にかけ、歩き出した。

 



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