#4 星の見える丘


ベッドに寝ころびながら、潤はボンヤリと考えていた。ノブたちにさそわれた八ケ岳行きを、親に伝えておいたほうがいいだろうか。どうせいままで連絡がないのだから、べつにかまわないか。でも、ひとりで東京を離れたことがなかったので、やはり不安でもある。もしも行き先で何か事故でもあったら、さすがに親だって心配するだろう。

そこまで考えて、鼻の奥が熱くなった。子供の頃、父親と八ケ岳に行ったことを思い出したからだ。あのときは、星座や野鳥や昆虫や植物図鑑一式を抱えて、昼間は見つけた鳥や虫や花をかたっぱしから調べ、夜は天の川の渡る星空を見上げて、父親から星座にまつわる神話を聞いた。それがいまは、どうしてこんなになっちゃったのかな。潤はため息をついて電話を見つめていたが、意を決してベッドから起き上がると受話器を手にし、深呼吸をしてから実家の番号を押した。

「はい、宮本でございます」
数回の呼び出し音の後、出たのは母親だった。潤は久しぶりの母親の声を聞いたとたんに緊張し何と切りだしてよいかわからなくなり、あろうことか思わず電話を切ってしまった。胸がしめつけられるように動悸がする。自分でもなぜそんなことをしたのかわからない。今日はこのまま知らんぷりしようか、いや、もう一度電話をかけたほうがいいかな。考えがまとまらず、潤は受話器を持ち上げたり置いたりしながら試行錯誤していた。いまごろ家ではイタズラ電話がきたとでも話しているのだろうか、それとも、俺だってことがバレたかな…。とりつくろう言葉も思いつかないまま何とか言い訳しようと恐る恐る再びダイヤルすると、今度は父親が出たので、潤はあわてて無言のまままた電話を切ってしまった。

どうしよう、これで完全にバレたかもしれない。折り返し電話がかかってきておこられたらどうしよう。最悪だった成績のこと、サボってばかりの学校のこと、普段の怪しげな素行のこと、今の電話のこと、しかられる要素しか思い浮かばない。夏休みもだいぶ過ぎたのに依然親から連絡がないことが不安に追い討ちをかけ、いてもたってもいられなくなって、潤は着の身着のままで部屋を飛びだした。

 

 

とりあえず近所の公園のベンチに座り、気を落ち着けようとしたが、自分でも異常だと思うほど神経が昂ぶっていた。そこから携帯電話で何度も部屋の留守電をチェックしたが、メッセージは入っていなかった。それでもどうしても落ち着かない気分をまぎらわせようとノブに電話をかけてみたが、ノブの携帯は電源が切れているようだった。数少ないアドレスから、潤はもう誰でもいいからとにかくこの混乱した状況を変えさせてほしいという気持ちで松崎の番号を押した。松崎はすぐに電話に出た。

「潤です」

せっぱつまった声をさとったのか、松崎は不審げに聞いてきた。
「なんだ、バンビちゃんのほうから電話がくるなんてめずらしいな。どうしたの?」
松崎は松崎で、先日の件が気になるのか、語尾が不安げに終わった。
「なんでもない。ヒマだったから」
「ヒマなの?俺いま事務所にいるところなんだ。ちょうど仕事が終わったから、飲みに行くかい?とりあえず事務所までおいでよ」
「でもいまサイフ持ってないんだ。忘れちゃったの。電車乗れない」
「いいよ、タクシー乗ってきて下から携帯入れて。すぐ降りていくから」

大通りに出てタクシーを拾い、新宿の雑居ビルにある松崎の事務所の下から電話をかけると、松崎はすぐにやってきて潤の横に乗り込み行き先を告げようとしたが、着の身着のままの潤の姿を見ると言った。
「なんだそれ、スウェットにサンダル。寝巻きか?それじゃあ誘拐してきたみたいで連れ歩けんな。俺んちで飲むかい?」
「うん、どこでもいいよ」
「じゃあ、運転手さん、初台まで」

車内でも潤は落ち着かない様子で終始無言だったので、松崎はいよいよ不審に思ったらしい。自宅のマンションに入るなり、問いつめてきた。
「何かあったの?今日の潤ちゃんおかしいよ」
「電話が」
「電話?」
「かかってくるかもしれないから」
「やばいことでもやったのか?何の電話がかかってくるの?」
「家から」
「家族とケンカでもしたのか?」
「ううん、そうじゃないんだけど」
「なんだかわけがわからないな。まあ、ビールでも飲んで落ち着けや」

松崎は冷蔵庫から缶ビールを2本取りだすと1本を潤に渡し、自分の分はサッサと栓を開けあっというまに飲み干した。潤はまだ落ち着かない気持ちで缶 ビールをチビチビ舐めていると、松崎はスーツを脱ぎ捨てバスルームにお湯を張り、潤に先に入るように言ったが、潤はもう入ったからいいと断って、散らかった独身男の狭いワンルームの唯一の開きスペースであるシングルベッドの片隅に越しかけてまたうつむいて無言になった。松崎は気掛かりな様子だったが「じゃあ俺入ってくるぞ」とバスルームへ行き、その間に潤はまた携帯から部屋の留守電を聞いたが、メッセージは1件も入っていなかった。

安堵と不安が入り交じった気持ちだったが、ビールの酔いで多少のリラックスをして初めて訪れた松崎の部屋を見回すと、雑誌や書類で散らかった床や、開きっぱなしのクロゼットの扉にまでずさんに掛かっている衣類が目に入り、さっき脱ぎ散らかしたスーツでも片づけてやろうと立ち上がりかけたとたんに、ベッドサイドの壁に貼られた自分のポラロイド写 真が目に飛び込んできた。壁に画鋲で留めてある2枚はあきらかに深沢のイベントのバイト先で金に撮られた、学生服を着せられた時のものだった。そして、その下のサイドボードには乱雑に散らかった雑誌にまぎれて学生服がはだけて乳首が露出しているものがあり、何度も手にとったらしく角が汚れて折れ曲がっていた。

なんだよこれ…。疑問に思っているうちに松崎が風呂から上がり、腰にバスタオルを巻いたままの姿でニヤッと笑って言った。
「見つかっちゃったか。それ、金さんから1枚1000円で買ったんだよ。乳首のは2000円。もっといいのがあったけど金さん売ってくれないんだよな」
言いながら松崎はサイドボードの引き出しを開け、コンドームを取り出すと潤に投げてよこした。潤は何がなんだかわからずあたふたしていると、松崎はふだんの猫なで声と違う、低い大人の声で言った。

「潤ちゃん、わかってて来たんだろ」

「…わかっててって、何?」
「潤ちゃん、ウリセンやってんだろ?あのテクにはまいったよ」
「ウリセンなんてやってないってば。ミドリさんから聞いたけど、あの日は接待だったんでしょ?薬飲ませたのもわざとだったんでしょ?」
「ふーん、潤ちゃん、接待にしては積極的だったよ。赤ちゃんみたいに俺の舌を吸って、すげー可愛かった。お父さん、お父さん、って言いながら俺のチンポしごいたの覚えてる?」
「そんなの、覚えてない」
「潤ちゃん、自分から俺のチンポ握ってきたんだよ」
「…寝ぼけてたんだよ。俺そんな趣味ないし」
松崎は2本目のビールを飲みながら言った。
「じゃあ、どうして今日来たの?」

潤には返す言葉がなかった。結局、行き着く先はこの男の部屋しかなかったのだから。情けなく目をふせて、ただうつむいてベッドに越しかけ手の中のコンドームを握りしめていた。

「わかってるんだろ?俺は潤ちゃんがかわいくて仕方ないんだ」
あいかわらずうつむいたまま返事もしない潤に業を煮やしてふたたび松崎が言った。
「やろうよ。やさしくしてやるから」

潤の手の中でコンドームの感触が徐々に存在感を増してくる。これを使うってことは、俺は本当にやられちゃうんだ、もう遊びじゃないんだ。でも、なんだか罠にはめられたみたいだな。ふつふつと怒りと羞恥心が湧いてきて、発作的に潤は握りしめたコンドームを松崎に投げつけた。すると松崎の表情が変わり、飲みかけのビールを冷蔵庫の上に乱暴に置くとベッドに突進してきて潤を押し倒し、「いつもいつも、ナマイキなんだよ」と吐き捨てるように言って強引にキスをした。そのキスはナベの家で朦朧としながらされたキスの感覚を呼び覚ました。

「やめて、ごめんなさい、ほんとに、ダメなの」
やっとの思いで唇を離し震える声で潤が懇願すると、松崎はいっそう興奮したらしい、潤の目をまるで契約書のサインでもする時のように確実に見つめ、スウェットをたくし上げ乳首に触れ、脅すような口調でささやいた。
「ここ、金に見せたんだろ?写真まで撮らせておいて、俺にだってあそこまでやっておいてなにがダメなんだよ、カッコつけんなよ。おまえ、男相手に年中勃起してるの俺知ってるぞ。今だって…」

松崎がスウェットパンツに手を入れてくると、潤は必死で腰を引いたが、意に反してすでに熱く半起ちになっているペニスはすぐに松崎の支配下におかれた。
「キスだけでこうなるんだよな。潤ちゃんは、キスだけでいつもこうなるんだ」

勝ち誇った松崎が覆いかぶさってくる。あの時のように愛撫が繰り返される。屈辱と快楽の波に飲み込まれて自暴自棄になった潤は抵抗を止め、目を閉じた。

 



 

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