ゴンドラの香り

 




クリスマスイヴの外気はすでに冷え切っていたが、大観覧車のゴンドラの中に入ると足元から心地よい暖さが上ってきた。
「やっと座れたね」
ヴィーナスフォートを巡っていたときは、毛皮がはみ出たコートのポケットに手を突っ込んで、所在なさげに私の後を付いて歩いていた人間とは思えない明るさで潤は言った。
「ご機嫌直ったね。ここのご機嫌はどうかな?」
軽い揶揄をこめて、茶色のコーディロイのジーンズを触ると、頬を赤らめ私の手を振り払う。
「よせよ、これから綺麗な夜景が見えるっていうのに、もーえっちなんだからあ」
「うふふ、からかっただけよ。でもさっきは黙り込んでいたから気分でも悪いのかと思ったよ」
「だって同じようなお店ばかりでつまんなかったんだよ。つくりものっぽくてさ」

ファッションや飲食店の店舗が軒を連ねているが、広いとは言え、限られたスペースに中世イタリアのロマネスクを凝縮して詰め込んパレットタウン内のヴィーナスフォートは、瀟洒さと同時にテーマパーク風のキッチュ感覚も面 白いのだが・・・

ここは臨海副都心、通 称「お台場」のパレットタウン。数日前、冬至を迎えたばかりの太陽は、首都を抱く海に黄金の漣を延べながら沈んだ後だった。日没後の地上においては、名だたるビルやモニュメントが、赤と緑のイルミネーションが作りあげるポインセチアやクリスマスツリーで飾り付けられたり、または橙色を帯びたライトアップによって古代の神殿のような威容を浮かび上がらせている。お台場を拠点として東京本土へと伸びるゆりかもめやレインボーブリッジが織り成す光の饗宴の目撃者になるには、パレットタウンの大観覧車に乗るのが最適であるそうな。

観覧車からは、レインボーブリッジ、東京タワー、羽田空港、などなど、東京中のものが見える。もちろん都内有数のデートスポットとして、すでに世間に喧伝されている。 直径100m、最高頂115mの巨大な鉄骨の風車は停止しているようでもあるが、少しずつ確実に移動していた。前方のゴンドラが見える位 置がわずかに変わっているのが、その証拠だ。まるで秒針のない大時計のように、懐古的な時間の流れを演出している。

「すこしづつ上がっていってるよ。下を見てごらん」
潤に促されて下を覗くと、ここに来る前に見上げた、近未来世界の宇宙ステーションにいるかのような錯覚を引き起こすフジテレビ本社ビルの中心に位 置する球体展望台が、眼下で銀色に輝いていた。 中途半端な高度は見るものに恐怖心を惹起する。私は万有引力の法則を連想し、背筋に戦慄を感じたので、苦笑いで誤魔化した。
「あそこにエイリアンがいそうだね」
「おまえ、高いとこ怖いの?」
赤いボックスシートの隣に陣取る小さな悪魔は人の心を見透かすのがお得意だということを忘れていた。
「だって、このくらいの高さって嫌な感じなんだもん」

図に乗ってからかうのかと思えば、潤は頬にキスをして微笑んだ。
「俺はジェットコースターとかはあんま好きじゃない。でもね、こういうマッタリしたのは大丈夫なんだよ。昔よく遊園地でのっけてもらったよ。空のお散歩みたいでしょ。だから観覧車大好き。ほら、もうだいぶ上がったよ」
視線をレインボーブリッジの方向にやると、橋の白い主塔は、下方からライトアップされて、白亜の戦勝記念碑のように輝き、たおやかに橋を支える幾本ものアンカレイジには、緑色の点灯が翡翠玉 を連ねた首飾りのように煌き、ゆるやかな半円でシンフォニーをかなでていた。日没後は五分後ごとに姿を変えて観客を愉しませる趣向がこらしてあるということを、私はあらかじめ知識として持っていたので、光のファンタジーを期待してもいた。
「きれいでしょ。俺、パパとドライブしてあそこを何度も通ったよ」
橋の中央には、静かに交差する橙色の光の粒が無数にあった。橋を往く車が照らすヘッドライトの星団は、ひどくゆっくりと移動しているように見えた。無論車は法廷速度を遵守しているから、そんなはずはないのだが。ドライブする車中と観覧車の中では時の流れが違うのかしら・・・私はふとタイムパラドックスという言葉を思い出した。

ゴンドラが出発地点から90度付近に達すると、他のゴンドラの姿が見えなくなる「ブラインドタイム」に入る。空に浮かんだ飛行船のなかにいるような感覚に陥り、空中散歩の疑似体験が出来る。夜などは、支柱の無骨な鉄筋も様々な色合いに電飾され、宇宙船と中心の地球との交信の跡のようで、ミレニアムファルコン号の乗員の気分が体感できるだろう。しかし夜観覧車に来る人々、というよりもカップルの大半にとって、ブラインドタイムとはスィートタイムを意味するのであるが。

あたかも今は、ガラリアのメシアやその信者たちの聖夜だけでなく、恋人たちにとっても聖なるイヴの宵。私は小僧を見た。早く・・・しかし彼は無言で、レインボーブリッジをかすめて見える、オレンジ色の光の塔と化した東京タワーや、新宿の幾本もの高層ビル、新名所六本木ヒルズの森ビルなどが輝くTOKYO CITYの鳥瞰図を眺めている。ヤボなやつ、それとも照れているの?

「ねえ、キスして」
私は窓に頬を押し当て、東京の街を見ていた潤の太ももをゆすって催促した。何らかの思考に浸っていたのか、ハッとしてこちらを向いた潤は照れくさそうに言った。
「俺、今キャンディが口に入ってるよ」
「そんなのいいってこと。ここで景色だけ見てるなんてヤボすぎるんだからね」

ブラインドタイムは東西南北の指標で言えば、ゴンドラが東西に位 置するときしかない。ぐずぐずしてる間に時間はどんどん過ぎてしまう。私は自分から潤に口付けすることにして彼の頭を引き寄せた。潤はちょっと面 食らったようだったが、座りなおして私の体を抱いた。いつものふっくらした唇の感触を味わっていると、温かい舌が侵入してきた。私も舌を伸ばして彼を出迎え、『魂のキス』が始まったが、私の秘所にもよく馴染んでいる彼の舌は、いつものように妖しい蠢動を始めた。そのうち私は彼が舐めていたのがミントキャンディだということに気づいた。彼は口中で転がしていた飴玉 を私の口に送り込み、私が受け取ると再び自分の口に移動させようとする。私は抗った。私たちはしばらくミントキャンディの争奪戦を繰り広げていたが、潤の手が私の胸をまさぐったので、気を取られている隙に飴は彼のものとなった。

「くやしい」
私は一時唇を離して彼にささやいた。
「ククク」
いつもの小悪魔笑いで報いられる。潤は私の胸を突付いた。
「Aカップをサワサワしてるからいいじゃん」
失敬な!プンプン!といつものようにやり返そうかと思ったが、ゴンドラに乗った当初確かめた彼の股間が少し大きくなっているのに気づいたので、ほくそえんでそこに手を伸ばすことにした。

「あ、おまえ何すんだよ」
潤の抗議を無視して、コーディロイ地の上から緩急をつけた愛撫を繰り返すと、潤自身はまた体積を増したようだったので、いぶした金色のジッパーを下ろすと、白地に赤と白ヌキの葉っぱの模様がついたトランクスはすでにテントを張っており、サーモンピンクの頭がチラリと羞恥に染まった姿を覗かせていた。
「ほらごらん」
トランクスの綿布を押し分けると、脈動する熱っぽい器官が解放された喜びでもって躍り出た。
「これ、すぐに大きくなるね。すごいわね」
「バカバカ、ヘンタイ女!」
潤は慌てて珍奇な宝をしまいかけたが、私の手が彼を阻止して肉筒を捕らえた。

「外から見えちゃうじゃないか!」
ゴンドラは今、円心の頂点付近にあり、ブラインドタイムで消えていた前後のゴンドラが視界に姿を見せていた。しかし、前と後ろのカップルたちはブラインドタイムを十二分に楽しんでいたらしく、久闊を祝う人のように固く抱き合って二人の世界に浸っているので、こちらの様子を伺う所以はないと判断した。
「外からは普通に座っているように見えるだけだし、みんなお楽しみ中よ。私たちも楽しみましょう」
「それでもこんなところで変なことするのは、人としてどうかと」
私は、お黙りと言う代わりにすばやく背を倒し、手の中でさらに容積を増した潤に軽くキスした。すでににじみ出ている透明な液体に触れると私の滴りも量 を増した。

「ううっ!」
潤は席の端についている手すりにすがって声をかみ殺した。弓なりの眉が眉間によってシワを刻んでいる。苦悩のシワにも見えるが、私は彼の本音を痛いほど知っている。左手で根元を握っているので、暇な右手で、太々と浮き上がっている葉脈を辿ってみる。
「くぅ、なんで・・・すぐに下に下りちゃうのに・・・ああ」

ゴンドラは180度を過ぎていた。観覧車は下りに入ったのだ。支柱の鉄鋼はさっきは紫色に輝いていたのに今はグリーンに変貌している。潤の支柱もいつまでも悠長にしているわけはいかない。包装を解いた私にも責任がある。もっと肉の厚みや海綿体の弾力を弄びたかったのだが、これは急がねばならない。中指で裏側で男性の屹立をささえる琴線を辿る速度を増し、以前より力を込め、幾度も前後へ摩擦を与える。これが夕刊紙のピンク小説なら、さしずめ定番の淫猥な摩擦音と悶絶を示す感嘆符のリフレインが続いているシーンだろう。

再びブラインドタイムに入り、また私たちだけの世界になった。すると何故か風が吹き、ゴンドラがかすかに揺れた。それまでの私は潤の笠と竿竹の摩擦に意識を集中させていたが、外に目をやると、そこには羽田空港に向かう飛行機のランプの彗星のような煌きがあった。首都のライトで暗さが薄まった空に機体の全容がわずかにうかがえた。その直後、猛っていた潤は頂点を極めて、白い妖精を二つに割れた笠の先から噴出した。濃縮度の高そうな飛沫は信じられぬ ほどの勢いを持って散乱した。まるで真珠玉の首飾りを撒き散らしたように見えた。

潤は一仕事終えた人のように肩で大きく息をつき、汗で額に張り付いた茶色の前髪をぬ ぐって言った。
「風向きによっては、羽田に着陸する飛行機が観覧車の前をとおることもあるんだ。海のかなたから一直線に観覧車に向かい、目の前で左旋回するんだよ・・・」
彼も飛行機に気づいていたのだった・・・

一周16分のゴンドラの旅もそろそろ終りに近づいた。大きく迫った眼下の建物が私に現実を思い出させると、目の前の状態に、今まで潤の脈拍と連動して疼いていた私自身は正気に戻った。向かい合わせの座席に、ヴィーナスフォートで買物をした時貰ったショッピングバッグをおいていたが、それに潤の体液が噴きつけられていた。クリスマス仕様の紙袋は、トナカイを駆るサンタクロースの絵柄だったが、吹雪が吹きすさんだ光景に変わっていた。もちろん赤い座席にも飛沫は容赦なく飛び散っており、比重の重さに耐えかねて垂れ出したのもあった。

「ああ、どうしよう・・・」
「とにかく拭かなきゃ」
潤はポケットテッシュを取り出して座席を拭き始めた。ゴンドラの席は滑らかな特殊プラスティックで作られているので、幸い拭けば汚れはすぐに取れるのだが、白濁した甘露はおびただしい量 なので、瞬く間にティッシュは消費されてしまう。
「これも使って」
私が化粧用のテッシュとハンカチを差し出すと、潤は無言で受け取り作業を続けた。私は狼狽したまま、潤が自分のものを始末する様を呆けたように眺めていた。 あらかた座席の汚れは拭い去られ、濡れた紙袋は中身を取り出して丸めて隠した。入っていたのは観覧車に乗る前に、ヴィーナスフォートのショップで買ったお揃いのマフラーと手袋だった。

「これ、はめて行こうよ」
クリスマスツリーとうさぎの模様がついたそれは潤によく似合ったし、私にもぴったりだったので買ったのだった。潤はマフラーを薄紙から取り出しながら言った。
「おまえ香水持ってる?」
「香水?もってるけど・・・」
「ここでしてたこと、誤魔化さなきゃいけないだろ」
そうだ。これで一件落着とは行かない。狭い空間は潤の香りに支配されている。栗の花という詩的な表現を用いられるその匂いは、次にゴンドラに乗り込む人々の鼻腔に抜けてしまうだろう。私は慌ててブガッティのバッグを探ってシャネルのCOCOを取り出した。

「撒くよ」
潤は四角いクリスタルの瓶を私の手から奪い取り、一面に撒き散らした。動物性と植物性の香料がブレンドされたオーデパルファンは、潤の放った精の青さとあいまって、新しい芳香を作り出したのだ。
「なんとか間に合ったな」と、香りに陶然としていた私を潤が促した。私たちは手を繋いでゴンドラを降りた。

 

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