|
冬釜
まえに来たのは夏だった。抜けるような空は今日も青く目にしみるようだけど、海は冷たい風にあおられて、誰もいない砂浜を洗っている。自動販売機で買った缶 コーヒーで両手を温めながら、堤防に止めた車に戻ると、おっさんは窓から片腕を出して、運転席のシートにふんぞりかえってカーステを聴いていた。夏に来たときチューブなんかかけてたから、さんざんからかってやったら、今回はサザンオールスターズのベスト盤を仕入れてきたらしい。俺は、窓越しに缶 コーヒーを渡しながら言ってやった。 「あいかわらず、ダッセーのかけてんな」
まあ、それもそうだ。俺はおっさんを放って、立ったまま運転席側の屋根に肘をついて、缶
コーヒーを飲みながら冬の海を眺めていた。車内から流れてくるウーハーの効いた音楽は、みんなひと夏の色恋沙汰の歌ばかり。俺は、おっさんともそうなるつもりだった。おっさんはもともとノンケだったし、こんなこと、続ければ続けるほど、二人ともダメになっていくだけだ。でも、いつもおっさんのちょっとした仕種や言葉が懐かしくなって、さよならを言えなくなる。いまもそうだ。おっさんは窓の外に垂らしていた腕を何気なく俺の腰に回して、ふざけた笑顔で言う。
わかってるくせに、わざと遠回しに言って、おっさんはおかしそうに笑った。夏に、この堤防に止めた車の中でふたりでしたことを、おっさんが忘れているはずはない。あの時おっさんは、俺に触れた過去の他人すべてに嫉妬して、そのいら立ちを俺の体で解消しようとした。そのためにおっさんから受けた痛みは、ひとつやふたつではなかった。でも、痛みが重なるにつれおっさんに支配されているという奇妙な親密感が生まれ、どんなかたちでもいいから他者の絶対的な存在になりたいという俺の病的な願望が刺激されて、恥ずかしいほどに自分をさらけだしてしまった。 「もしかしてあれか?ウサギのパンツのこと?」
ひどく興奮した射精のシーンを思い出しかけた時、おっさんが俺の失敗を持ち出して、含み笑いをしながら肩をゆらしているので、俺はちょっと本気でムカついた。あの日、出がけからセックスのことなんて考えてなかったから、何の気なしにタンスのいちばん上にあったピーターラビットの柄のパンツをはいてきてしまったんだ。いいかんじに盛り上がったところでそれを見たおっさんは気をそがれてしまったようで、なんだかボケッと長いこと俺のパンツを眺めていた。かわいいからって、あんなパンツ買うんじゃなかった。 「もしかして今日もあれはいてんの?」 拗ねて後ろを向いた俺の腰を、おっさんは今度は両手で自分のほうに引き寄せたので、俺は開け放した窓枠に軽く腰掛けるかたちになった。おっさんは後ろから回した手で、俺の股間をなでまわしはじめた。 いきなりおっさんに強く握られたので、思わず声を出してしまった。おっさんはジーンズの生地ごと俺のを握りながら続けた。
おっさんの手から力が抜けた。 「ほんとだよ。ネットで会って、しばらくメル友やってたの。いい人だよ」
ふたたび俺の股間を片手で締め上げながら、おっさんが言った。
おっさんは自分のほうに俺を向き直させると、しばらく中指で俺のペニスの形をなぞりながら、ニヤニヤ笑った。
ジーンズの固い生地ごしに爪を立てて行き来する指の感触は、くすぐったいけど鋭く下腹部に響いて、俺はすぐに反応してしまった。 女のことはほんとうだった。でも、やっぱりいつものように、俺はおっさんとの目先の時間を過ごすことが優先になって、言うべきことをウヤムヤにしてしまう。優柔不断な気持ちと裏腹に、くっきりと欲情したペニスは隠しようもなくおっさんの手中にあった。
ジッパーを開けて中身を取り出されそうになったので形だけの抗議をしたが、おっさんがやめないことはわかっていた。俺は車の屋根に肘をついて、スウェードのハーフコートの裾で覆うように局所への外界からの視線を断った。引き出されたペニスは一瞬冷たい外気にさらされたが、すぐにおっさんの温かい手に包まれて、こうしている時いつも漂う不思議に安らかな気持ちに浸ることができた。 「ねえ、大好き」 おっさんはシゴくのをやめて吹き出し、シートで腹を抱えて笑い出した。
コートの中に隠れた腕で俺の腰や太ももをなでまわしながら、おっさんは内心ではさっきの女の話を気にしているのか、いつもより念入りに、やさしく舐めてくれた。やわらかくした唇を表面 にまるく密着させて、舌もそれに合わせてやわらかく波うたせ、時々尖らせて縫い目を刺激する。その舌が先端の、たぶんいまは体液がたえまなく滲み出しているであろう小さな穴をこじあけようとした時、俺は長いため息まじりの声をあげた。それを皮切りに、自分で動きを制御できなくなって、喉の奥へと夢中でペニスをねじこもうとする俺を見上げたおっさんの目は、女なんかより、こっちのほうがよっぽどいいだろうと言っているように見えた。 でも、それは逆効果だった。比較するうちに、彼女に思う存分侵入したあの夜を思い出し、俺は口の中で小さく彼女の名を呼んだ。快楽としては、おっさんの自在に愛撫してくれる口のほうが勝っているかもしれない。だけど彼女は俺に反応して素直に体をくねらせ、切ない声をあげ、ふたりのつながった部分を俺たちには不可能な量 の愛液で濡らして、ベッドで漕ぐボートを水草の花が咲き乱れる湖へと誘導してくれる。揺れるボートの中で、彼女は俺の孤独を共有して母親のように抱きしめてくれる。 女の頭に置くように、俺はおっさんの頭に片手を置いて親指で髪をこねまわしながら、車の屋根にかけた腕に顔をうずめて、これ以上彼女の名を呼んでしまわないように声を押し殺していた。 「おしまい」 「俺たちも潮時かな」 おっさんのアパートの部屋で、俺たちははじめてイかせ合った。あれは夏のはじまる頃、クーラーのない蒸し暑い部屋で、男同士の気兼ねのなさで、ふたりともトランクス一枚になってLPレコードを聴いていた。クラシックギターとヴァイオリンだけの、古ぼけた軽快なジャズ。聴いてる間、おっさんが畳に投げ出した俺の足を盗み見しているのは気づいていた。ほんとうは、だいぶまえから俺はおっさんに欲情してたから、その視線は待ち受けていたものだったけど、反応するのは躊躇した。だっておっさんは普通 に女とつきあう、マトモな男だったから。 何か冗談でも言って落ち着かない空気を払おうとおっさんを見ると、同時におっさんもこちらを向いて、そのタイミングにタガがはずれたように、いきなり俺に覆いかぶさってきた。けっきょく、俺もそれで頭がのぼせてしまって、おっさんとのぎこちない初体験になったわけだ。 「覚えてるよ。手コキでいったね。おっさんはあの時ヘタクソだった」
「ねえ、いじめないでよ。これどうしてくれんのさ」
俺は車窓越しに腰を突き出して、オナニーをはじめた。おっさんの位
置からは、そこだけが切り取られたキャンバスのように、魅惑的な光景に見えたことだろう。おっさんに見られながらこすりつづけると、さっきのフェラチオでじゅうぶん昂ぶっていたせいか、すぐに発射しそうになった。
周囲に人がいなかったかどうかたしかめながら車内に戻ると、おっさんは俺の精液の後味を缶
コーヒーでごまかしながら、自分はビンビンに勃起していた。次は俺が奉仕する番だ。
おっさんのスラックスのチャックを開け、勢い良く飛び出したペニスを口に含もうとすると、おっさんは勝ち誇ったように言った。
|
HOME |