さて、ジェラールのことである。あの青年だったのか・・・ 彼のアルバイト初日、私の部のメッセンジャーボーイに採用されたとかいうことで、この部屋で引見したのを思い出した。確かあれは・・・ストロベリーブロンドの小奇麗な青年だったが、ユニオンジャックの中に下品な英単語をプリントしたTシャツを着て、ピアスをしていることから、彼の出自は知れた。しかし昼下がりのレ・アールやポンピドゥーセンター、夜更けのバスティーユなどに、そんな若者は数多いたし、彼らのうち、職探しのつなぎのためにアルバイトに来たものも多かったので、その程度の認識だった。 マリーに彼を呼びにやらせる前、予備調査としてもう一度彼について聞くと、彼の造詣はクラシック音楽だけでなく、難解な学術書も読んでいるらしい。
「私も解らないのですが、何でも休憩時間にドイツの社会学者の本に読みふけっているのを、女の子達が見たらしいですわ」

社会学とは・・・私は瞠目した。もちろん私とて社会学とはソルボンヌでの講義で馴染んだ。実社会の活動において有用の学なのか否かという議論は当時から続き、現在もキャンパスでなされているようであるが、エリート層の素養としての価値はあるだろう。社会のメカニズムやその道理を知ることは経済人として不可欠である。だが、学究から実学に飛翔を果 たしたかと言えば疑問と言わざるを得ない。社会という普遍的な言葉を名称の冠に用いるにしては、その効果 は霞のかかったような不明瞭さである。社会学者たちは様々な社会現象をそれぞれに分析しながら、現代社会の欠点について果 てしなく議論している。批判的役割に終始し生産的役割は皆無に等しい。つまり大抵の政体、大企業は彼らの気に入らぬ ようで、我々も例外ではないらしい。

彼らは理想の社会像を謳いあげるが、その桃源郷へ到達する手段について述べることは少ないし、方法を論じたとしても机上の空論なのだ。黙殺するのが妥当であるが、昨今はNPOなどの市民団体を動かす原動力になりうるので軽視は出来ない。
「ジェラール・パラディが来ました」
インターホンからマリーの声が響く。 私は半分ほどになったタバコをもみ消し入室を許可した。マーブルの灰皿から立ち上る一筋の煙がかすかにたなびいた。ドアが開いたのだ。
「何か御用ですか?」
ジェラールは入室すると同時に言った。甘く若々しい快いテノールが耳に快い。
「よい声をしているね。音楽が好きだと聞いたが、歌唱力もありそうだな」
私は、彼をリラックスさせようと、友好的な話題を振り出したのだが、これを聞いた蒼い瞳は、明らかに怪訝の色を浮かべた。

「まあ掛けたまえ」
右手を軽く揚げて、応接用の長いすを薦めた。
「いえ、ここで伺います」
怪訝が警戒に変わる。彼の緊張が乾いた空気の波動となり伝わってくる。青年の履歴の中には、好色な年長者に呼び出されて長いすに押し倒されたシーンがあったのだろうか?青い制服はバンサンを夢中にさせたらしい細くてしなやかな腰の線を強調しているが、私の目的は彼の体ではない。存在の観察なのだ。無理にいすを薦めると、挑戦的な炎を瞳に宿している若者の反発を招くだけだろう。会話の姿勢は彼の好きに任すことにした。

「仕事のことならマリーに言っていただいたら」
「仕事じゃないさ。もちろん君の迷惑になるようなことじゃないから、安心してくれ給え」
「じゃあ何ですか?」
蒼い視線が私の茶色の瞳に突き刺さる。この種類の蒼さをなんと表現すればいいのだろう。マリーはすみれ色と言っていたが、太陽が没した直後の空の色にも似た・・・
「何と言うか、君は風変わりな存在で、これはいい意味でだが、社内でも評判だよ」
「そうですか。それで?」
「いや、私も話題のジェラール君と雑談でもしたくてね。少しだけいいかね?」
「どうぞ」
つまらんことを言う奴だとでも言いたそうに、彼は手短に答える。考えてみれば取締役の中でも格別 に有力な私に対してこの上なく無礼で不敵な小僧だが、構わず続けた。

「君はどんな本が好きなのかね?」
「それ聞いてどうしようと言うんですか?」
私は逆の質問で虚を突かれて、わずかにとまどった。
「いや、どうしようというのではなく、・・・私は人に接する時、愛読書を聞く癖があるのだ」
まごうことなき事実である。私はどのような種類の書物を好むかで初対面の人間に対する判断基準にしている。返答する人物と揚げた本の内容がストレートに結びつくとは限らぬ が、性癖や傾向、深層に潜む願望等を示す材料としてはかなりの信頼度が置けるのだ。もちろん円滑に話を進めるのにも最適である。

「ああ、癖ですか」
彼はストロベリーブロンドの前髪を払いのけると答えを告げた。
「好きというのは解りませんが、俺が今読んでいるのはカール・マンハイムです」
「カール・マンハイム?!」
ジェラールは、ハンガリーの著名な社会学者の名をすかさず復唱した私が不愉快だったらしい。 「俺が知ってるくらいだから、あなたはもちろんご存知ですよね?」と皮肉った。 もちろん私も二つの世界大戦の間に二度の亡命を経験した知識社会学の開祖とも言うべき碩学を知っている。
「確かに立派な学者だと思うが。彼のどんな著書を読んでいるのかね?」
「全部読んだ訳じゃありませんが、ドイツで著した『イデオロギーとユートピア』、集大成とも言うべき『自由、権力、民主計画』です」
「しかしユートピア的意識を持つ
公正で有能なエリートによる政治と人間の変革とは、理想主義的でありすぎる。やはり社会学の域に留まっているな。当時の社会背景を考えると当然でもあるが」
これを聞いたジェラールは警戒も皮肉も忘れたかのように、堰を切ったかのように論じ始めた。

「それは違う。確かにマンハイムは50年以上前の人です。彼の理論が構築された社会背景は今とは異なります。でも彼が唱えた『第三の道』は今実現しようとしているんですよ。第一の道は自由主義経済、第二の道は共産主義つまり計画経済制度。ソビエトが崩壊して、21世紀を第一の道つまりグローバルスタンダードが制覇してしまうかというとそうじゃないはずなんです」
彼は一方的なグローバル化がもたらす害や反発について語り始めた。いちごブロンドの前髪が降りかかるのも払わず、蒼い瞳は強い知的好奇心を顕して光り輝いている。白い頬が紅潮し、ユートピア実現への熱い情熱が伺える。私は同性ではあるがこの青年を、その理想を美しいと思った。
「第三の道には、クリントンやブレア、シュレーダーも言及していて、今やヨーロッパ各国の社会民主主義の流れだと思います。決して理想だけで終わらない。第三の道とは難しいことではないんです。それは・・・」

彼が去った後も私はしばらく酩酊していた。久しぶりに知的探究心を持つ若者に出会った爽快感は、己の学生時代、あの野放図で純粋で何事も省みることのなかった青春に戻ったような気がした。グローバリズムに伴う摩擦はわが社でも実は直面 している。彼と交わした議論により、私の視点はマンハイムの第三の道への回帰を果 たした。嗅覚を研ぎ澄ませば、今後のヒントとしてさえ効率よく利用できるだろう。些細な出来事も抜け目なく利へ転用するのは、全く私の信条に即している。しかし議論そのものよりもジェラールの若々しい感性と知性に感じ入っていた。それに彼への複数の疑問が、地鳴りのように増幅する振動を伴って湧き上がってきた。

彼の日常での話し方には下町風のアクセントがあるが、議論が白熱し出してからは、パリの社交界でも通 用する上品な発音が、信奉するマンハイムを弁じる言葉の端々から、黄金を隠した黒い布の縫い目から漏れる尊い輝きのように、かすかに、しかし確かに光っていたのである。下町風にしゃべるのはわざとか?それに難解な理論を咀嚼しつくし、己の知の礎となして論ずるには教育の下地がないと出来る技ではない・・・ますます面 白い。燃え尽きそうになった何本目かのジタンヌに気づいた私は、それをもみ消し、いつの間にか吸殻の山となった灰皿を交換すべくマリーに連絡した。

数日後、マリーがジェラールからの届け物だと称して、粘着テープで幾重にも封をした小さな紙袋を運んできた。再利用したのが明らかなしわだらけの茶紙の外から中身を押さえてみると、固く丸い小さな物体がいくつか入っている。私には何事かを頼んだ覚えはないし、彼から物を貰うなどとは予想の範疇にはなかった。
「通常のプレゼントではないようだが・・・?」
苦労して絡まったテープを取り除いて中身を出したのはいいが、私の心臓に高圧電流のような衝撃が走った。ついで絶句し動揺し、それらを床に落としてしまった。金属音は分厚いじゅうたんに吸い込まれたが、すっかり狼狽しながら拾い集めようと慌てて立ち上がると、足元で物が壊れる鈍い音がした。その一つが運悪く私の足元へ転がり、知らぬ 間にそれを靴で踏んでいたのだ。当然破損し、中の部品が露出し、外装のプラスティックが粉々に砕けた。私は舌打ちをしたが、仕方なくかがみ、その破片を丁寧に拾い集めねばならなかった。それが終わると残りの丸型を拾い集め、部屋の隅にも残りがないかどうか、自分で点検せねばならなかった。床にはいつくばって棚の間や机の下を探る行為は、この私の地位 には全く似つかわしくないし本意ではないが、今回に限り秘書や掃除夫を呼ぶわけにはいかない。何故なら、今かき集めているのは、ハリールやその他数名の部下の部屋に密かにすえつけていた盗聴器だったからである・・・!ジェラールは気づいていたのだ。どうやら私もハリールに続いて一本とられたらしい・・・。

 

多少の紆余曲折はあったが、一週間が過ぎ、いよいよ恒例のクリヨンでのパーティーの当日なった。各国が文化を通 じて親善を深めるという趣旨で、毎年テーマとなる国を指定し、その国の食事や舞踊、歌曲などの文化を紹介している。テーマ国がスペインの場合、情熱的なフラメンコと哀愁あふれたスパニッシュギターの音色が、招待客をアンダルシアの火祭りやアルハンブラ宮殿の泉の幻想へ誘う。テーブルにはサフランの色も鮮やかなパエリヤが並ぶ。壮麗なシェーンブルン宮殿やウィーンの森を擁するオーストリアの年は、自慢のオーケストラとザッハトルテの美味が私を魅了した。他の例をあげると、ケニアの部族ダンスは勇壮であり、ローレライの優しい旋律はライン河下りのようだった。それに各国の美姫が会場を華やかに彩 る年は、男性客にとって密かな目の保養である。例えば、仏塔の帽子に金襴緞子の肩衣と長い付け爪をはめたタイの王宮ダンサー、エジプトの豊満なベリーダンサーの肌に煌くラインストーンの飾り紐はなまめかしく揺らめき、高島田という髪型の日本のゲイシャは富士山のごとく優美であり、コーラスを披露したイヌイットの少女達の頬は新鮮な果 物のようだった。つまり錚々たる国家が、無邪気なお国自慢をそれぞれの方法で披露していたわけである。

文化紹介の舞台に幕が降りると、社交ダンスやビンゴゲームなどの余興が隙間なく用意され、客を飽きさせない。善良な男女が集う典型的な文化交流親善パーティーで企業色は薄いのだが、会場は超一流のオテル・ド・クリヨンであり、それに相応しく各国の招待客名簿には絢爛たる名前が並んでいる。テーマ国からは毎年大使が参加するのが恒例となっている。ホスト役のフランス側としては、自国の企業から開催資金を募る報酬として、彼らとコネクションを築く場として提供しているのである。もちろんわが社は主なスポンサーの一つで、出資した資本を回収すべく着々と人脈を築き上げている。今年こそは、この私が部下達を引率して乗り込む番なのだ。

オテル・ド・クリヨンは、パリの中心であり世界で有数の美を誇るコンコルド広場に面 して建つパリ唯一のパレスホテルだ。1758年にクリヨン公爵家の私邸として建造され、かのマリー・アントワネットも滞在したという。後年、彼女が宿泊した豪奢な部屋から望んだコンコルド広場で断頭台の露と消える運命に見舞われたのは歴史の皮肉としか言いようがない。フランスの血なまぐさい歴史を一部始終目撃したその館はあくまで壮麗で、変わらぬ 優雅な面持ちで世界のVIPを迎え続けている。もちろん私もひいきにしており、レルストランやバーでひと時を過ごしたり、贈答品としてホテル特製のショコラを買いにショップに立ち寄ったりしている。そういえば前妻、美貌の女優だったが傲慢でヒステリーでやっかいな女と、新婚披露パーティーを開いたのもこのクリヨンのサロンだったのである。

青いフロックコートを着たドアマンが、リムジンから降り立った私とハリールを、回転ドアへ誘導した。アメリカ式のホテルに慣れた人は、世界のホテルランキングでも人気のあるクリヨンの玄関口にしてはあまりにも小さいと拍子抜けするはずだが、おしなべてヨーロッパ形式のホテルはこうであり、頑として古いドアを補修しながら使い続ける意地と気概を感じ取ってほしい。私はキツネにつままれたような顔をした東洋のビジネスマンにはこのように説明した経験があった。 もちろんハリールは、白い手袋で回転扉を押さえているドアマンに艶然と微笑み「メルシ」と気取った調子で言い、黒いミンクの毛刈がなめらかなストールを翻してドアをくぐった。今日はエスコート役の私は苦笑してそれに従う。

ホテルの中へ入ると、天井高くシャンデリアが輝き、バカラ社製クリスタル特有のくっきりした煌きをそれぞれの断面 から放ち、柔らかな光の饗宴を織り成していた。それが黒白の大理石を敷き詰めた床や、根元に彫刻を施された白大理石の柱に、セピア色の陰影を与え、ルイ王朝時代や帝政時代、ベルエポックの優雅な時代はさもあらんと想いを掻きたてる効果 となっていた。ここは日常とはかけ離れた別世界なのだ。
「ちょうどいい時間でしたね」
ストールをクロークへ預けたハリールは、目の覚めるような赤いチュールレースのローブ・デ・コルテの裾を気にしていた。パニエが入った長いスカートは潤沢に生地が使われていたので裾はおのずと広がって床に垂れている。かの昔、ノルマンディ出身の可憐なメイドは元より、アントワネット王妃やその女官たち、はたまた時代が下ってユジェニー皇后、もしかしてサラ・ベルナールさえ、本意でない床磨きの責務から逃れることは出来なかった。この度我らがハリール女史も彼女ら、クリヨンの床を磨いた婦人の名簿に名を連ねた訳だ。

「あっ」
「気をつけないと危ないよ。少しスカートを持った方がよくないかね?」
彼女は裾を踏んで危うく転ぶところだったので、私は女性に対して失礼かとは危惧したが、忠告した。
「申し訳ありませんでした。気をつけますから、大丈夫です」
黒髪を高々と結い上げて赤いバラの生花を飾った彼女は、敢然と言い切った。緑色の石が耳元で揺れた。イヤリングと同じ色の瞳にはカンの強い馬の目に見られるそれと同じ煌きがある。これは彼女に初めて会った入社の日から一環して変わっていない。私は今年のロンシャンで凱旋門賞を勝った馬の性質を知っている。誰にも属さない、服属しない、自分の価値を熟知している誇り高い王者・・・だが、人間の女性でこの種の気質の持ち主は、私のもっとも敬遠するところだ。とは言え、若かりし日、同質の女性つまり前妻に惹かれたものだったが、その後の物語はめでたしめでたしとは言いがたい代物だったのだ。彼女の自己中心的思考かつ摩訶不思議な論法には、暴論を押し付けるアメリカの政治家ですら及ばないであろう。普段の乗り馬は従順で温和な馬がよい、つまり今出てきたマリーのような。

マリーはバンサンと共に先に到着していた。この日、事前にハリールと相談したのだろう、マリーもチュールレースのドレスを着ていた。こちらは淡い桃色で髪には白椿の花を飾っていた。
「まあハリール、そのドレス、とてもよくお似合いよ。華やかであなたらしいわ」
「マリーもすてきよ。髪の色とパステルピンクが映えるわね」
二人が女性らしい会話を始めたので、私は会場を見渡した。 ここは、毎年世界有数の名家の令嬢が集まり、絢爛たる経歴を持つ親族や関係者の見守る中、社交界へデビューを飾るあまりにも有名なクリヨンのサロンだ。デビュタントとは、有数の令嬢たちが輝かしい人生へ第一歩を踏み出す儀式であり、当日の彼女らは豪華ヨット一隻を購うことさえかなう宝飾品を纏い、奢侈 を極めたドレスで磨き上げられている。会場となるサロンもそれに相応しい壮麗さで、ここにもクリヨン様式が遺憾なく発揮されていた。金襴緞子を張り巡らした壁は、鏡や金の額縁に入ったワトーの絵画で埋め尽くされていた。いたるところに細かい彫刻を施したロココの細工が溢れ、溝深く入り込んだ埃すら、優美の要素となっていた。会場には、純白のクロスで覆われた丸テーブルが並べられ、席順は個々に決まっていた。
「こちらです」
マリーは、最近気まずくて顔も会わせようとしないハリールとバンサンを気遣い、私たちの席を離して手配していた。

 

 

サロンの天井にはローマ神話の神々の雄々しい肢体や、小さな羽根を持つ天使たちが描かれていたが、今日だけは脇役でしかなかった。赤地に三日月と星の輝くトルコ国旗が会場の主役なのだ。トルコの首都インタンブールはローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国と、東西の文明が交錯し交代しつづけた類稀な国際都市でもあるから、欧州の伝統あるサロンに存在しても違和感はないだろう。現にヘレケ産のじゅうたんは、イランのイスファーハン産と並んでヨーロッパの王室で珍重され、ルネサンス時代もトルコ風のファッションは流行の最先端だった。トプカプ宮殿の後宮は、宮廷画家が好んで取り上げる題材であった。今日欧米の上流階級の室内装飾の共通 のキーワードは「東洋風」であるが、その発祥はオスマントルコへの憧憬に始まっている。

とは言え、人肌の温かみが感じ取れる東洋のエキゾチズムは遺憾なく発揮され、テーブルの中心に飾られたチューリップは、商業用に球根として栽培されるオランダ産のそれとは異なり、アラビア半島原産種に近いとがった花びらには素朴な可憐さがあり、赤、ピンク、黄色、白とアレンジメントとしても雰囲気に忠実であった。ちなみにオスマン帝国のサルタンたちはチューリップを偏愛し、スレイマン大帝の治世はチューリップ時代と呼ばれ、王宮を飾る需要なモチーフとして偏愛されたのだった。 テーブルにはすでに数種もの前菜が配置され、それぞれに美しく盛り付けられており、先客たちにはボーイが好みの食前酒を運んでいた。トルコの人々は気取りがなく友好的ではあるが、それにしても主賓の到着を待つべきでは・・・と、私は、ハリールのためにイスを引きながら気遣ったが、ボーイは構わず注文をとりに来た。

「何かお飲み物をどうぞ」
「あ、そうだね、私は軽くマティーニでも頂こうか、ハリール君は何にする?君の酒は何か食べてからの方がよくないかね」
「私は・・・じゃあソフトドリンクを」
飲み物を注文して会場を見渡すと、中心にはひときわ大きなテーブルがしつらえられて、そこは主賓を迎える席であることが一目で解る。チューリップとトルコ国旗のアレンジメントの見事さもさることながら、宴のシンボルとして巨大な氷の彫刻が鎮座し、それはトロイの木馬と戦士のレリーフや、雪の綿とも言うべきパムッカレの石灰棚を忠実に再現している大胆で緻密な細工だった。私は学生時代にトルコを旅した経験を持つが、カッパドキアとパムッカレの異様な光景は世界一の名勝として記憶している。あの白い岩棚は温泉を湛えて人肌に心地よい温かさに溢れ、まだ若い私は水着になり、仲間達と存分に湯浴みを楽しんだのだった。幻想的な綿の城を再現した氷の山の後ろには、ギョメレのキノコ岩の世にも奇妙な造形をマジパンで作り懇寧に彩 色したものがあった。荒涼たる大地に突然きのこ岩が出現する不気味でもあるがなんともユーモラスな風景を思い出した私の目に、トルコ民族衣装を着た男が一連の造作物を見ているのが映った。その男とはまだ若く・・・なんとジェラールだったのだ。

彼が何故ここにいる?それもトルコの衣装を着て?私はわが目を疑い、もう一度目を凝らして見たが、トルコの風物を形どった飾り物に顔を近づけたり離れて眺めたりして、細部まで念入りに観察してる青年は、私の大事な盗聴器たちをお釈迦入りさせたジェラールその人だったのである。頭の上の黒いフェズとストロベリーブロンドの対比が遠目にも鮮やかだった。
「ジェラールがいるよ。ちょっと失敬」
私はハリールと、まだ自席に戻らず話していたマリーに言い残し席を立った。彼女らも驚いたようだが、その様子を省みている間はない。私はテーブルの間をすり抜け足早にジェラールに近づこうとしたが、婦人の衣装の長い裾を踏まぬ ようにとの心遣いや、食前酒やアペリティヴを運ぶボーイに行く手を遮られ思いのほか手間取った。私がその場所へ到達すると、彼は白い服を着たコック長らしい恰幅のよい男と話をしていた。 トルコ料理の粋をゲストに披露するため、大使館が特別に招聘したオスマン宮廷の伝統を汲んだ技術を持つシェフたちの一人であるらしい。 パーティまで、少し時間があるので、自分の細工に最後の手直しを加えに来た様子だった。

ジェラールは私がやや離れてはいるが、横に立ったのも気に止めず、熱心に異国の料理人と話しをしていた。わずかに頬を紅潮させ、すみれ色の蒼さが深みを増しているのは、先週私と社会学問答をやった時と同じである。シェフの方が自分達を見て微笑んでたたずむ紳士を見過ごせなくなり、ジェラールを促した。当然であろう。今日のいでたちはモンテーニュのディオール・オムに仮縫いまでに出向いて仕立てさせたイタリア製のウールを使用したグレーのタキシードである。服装に造詣が浅いものにでも人品卑しからず尊崇すべきクラスの人間であることが一目で理解できる高級服に、この優雅な私が身を包んでいるのだから。

「何だ、あんたか。何か用?」
あっさりと言ったところを見ると、ジェラールは私にすでに気づいていたのだ。食えない小僧だ・・・だが、私は露ほども心うちを見せず、にこやかに話しかけた。
「やあ、ジェラール君、いい夜だね。だが、どうして君はここに?」
「俺、今この人にトルコの食べ物のこと聞いてたんだよ。話はあとにしてよ」
これにはトルコ人のシェフの方が狼狽した。彼は私に数度頭をさげ、トルコ語で私に何事か言うと、ジェラールには違う言葉を告げ、サロンの表舞台から厨房へ戻った。

「彼は何を言ったのかね?」
「あんたには、アッラーウスマルラドック、俺にはテシェキュル エデリム」
「どういうことだ?君はトルコ語わかるのかね?熱心に話し込んでいたようだが」
ジェラールは皮肉な笑いを浮かべて手にしていたパンフレットを示した。それは参加者全員に配布され、表には素朴なアヤソフィア寺院やダンスを踊る男女のイラストがあった。
「この中に出てるよ、トルコ語会話」
私はろくに見もしなかった紙片を開いてみた。するとトルコの紹介や言葉がかなり詳しく書かれていた。私へは「さようなら」で、ジェラールには「ありがとう」 。

「しかし君は・・・」
「あの人フランス語は、カタコトならしゃべれるんだ。氷細工とかがすごいから一生懸命に見てたら、喜んで話しかけてきたんだよ」
「そうか、しかし君はまたどうしてそんな服装を・・・」
私はこう言ってジェラールを改めて見て、その完璧なトルコスタイルに感銘を受けた。1925年のアタチュルクの禁令までトルコ男子の定番であった黒い円筒型のフェズと呼ばれるトルコ帽は小さな顔によく似合い、赤いダンテル地に金のブレードをオリエンタルな草木文様に縫い取った丈の短いベストを白い絹のシャツに羽織り、それを細い腰で引き締める紫のサッシュと中央に青いトルコ石がはめ込まれた金色の房は、オスマン宮廷の優雅と奢侈 を偲ばせる。ジョッキーパンツのように膨らんだ黒いズボンと長靴は、トルコ人の祖先がかつて騎馬民族であった名残である。中でも目を引いたのは皮のホルスターで腰に吊るしたタガーである。柄は沈んだ金色にアラベスク模様の象嵌が浮き上がる拵えで、束の部分は無骨に屈折しており、鋭利な刃物を連想するのにたやすい。短剣は片時も武具を手放さないアラブ男の意地と誇りの象徴でもある。

「じろじろ見るんじゃねーよ。好きでやってるんじゃないんだから」
私の凝視を気恥ずかしく思ったのか、彼は投やりに言った。
「いやいや、完璧だ。よく似合っているよ」
実際、金髪で蒼い眼のジェラールとトルコの伝統的な衣装との間には、非常な調和があったのだ。私の脳裏にイニチェリ、というサルタン直属の奴隷騎士団への連想が働いた。広大な版図を持つオスマントルコは、征服した各地のキリスト教徒から一種の人頭税として、将来有望な少年たちを徴募し、本国へ連れ去った。彼らは厳しい選抜を経ているので、容貌、頭脳ともに優れ、才能豊かな人材ばかりだった。彼らの身分は生涯妻帯を許されない奴隷に過ぎなかったが、サルタンの身辺警護や戦闘地でも勇敢な働きを見せるオスマン帝国の花形的存在だった。後年腐敗し、ローマ帝国の軍隊のように政権に軍事力で揺さぶりをかける厄病神の集団に成り果 てたが、今でもイニチェリという存在は、トルコ化した花の騎士という魅惑に満ちて語られている。イニチェリには皇帝の宸襟に近侍していたので、寵愛を受けることすら珍しくなかったらしい。私はジェラールの皮膚の薄い白い頬を眺めながらさもありなんと納得した。この美貌のイニチェリは、きっと腰のタガーで勇敢に彼のサルタンを守るだろう。



 

 

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