アルナミのしでかした事件のせいで、彼らは実行の一週間前にコンドミニアムを出ることになった。リーダー達は他の仲間のアジトに移り、下っ端の者たちは安宿住まいとなった。どのみち実行前には移動する予定だったのが2、3日早まっただけだったが、アタは大事な時期に仲間割れが起きないようメンバーたちには最後の晩さんを充分に楽しめるだけの金を与えた。そしてアルナミに冷たく言い放った。
「おまえはどうやら、いっぱしの人物にでもなったつもりらしい、ここを片付けて勝手に後から来い。サイード、お伴してやれ」

仲間が去り置いてきぼりになった部屋で、サイードはボソッとつぶやいた。
「チャンスだ」
「何が」
「逃げよう、アーメッド」
「…おまえ馬鹿か?」
「どうして?」
「これはただ、しめしをつけるための放置プレイじゃんか。見張られてるに決まってんだろ?」
「まじか?」
「まじだよ、逃げたとたんに消されるぞ。おまえまだ迷いがあるのか?」
「……言ってみただけだよ」

二人は荷物をまとめると近くの旅行会社に行き、最後の集合場所であるニューアーク空港までの国内線の片道チケットを買った。渡された金額に自信がなかったのでできるだけ安いチケットを探したが、いざとなるとアルナミが黙ってしまうので、店員とのやりとりは結局サイードが全部やらされた。
そして、さんざん苦労して見つけた安宿の粗末な部屋に落ち着くと、サイードは一日中慣れない英語で疲れたせいか、むしょうにイライラしてきてアルナミに文句を言った。
「おまえのせいで、いらん試練を味あわされた」
「すべて、アラーのおぼしめしだ」
「調子に乗るな、俺にばっかりやらせやがって」
「サイード、見て」
自分の荷物をいじっていたアルナミはパスポートを見つけるとサイードの機嫌などおかまいなしに狭いベッドに並んで座った。
「はじめて会った時の写真だ。おまえのも見せろよ」
ムスっとしながらも、サイードは足下に置いたスポーツバッグから自分のパスポートを取り出した。
「サイード、俺たち変わったかな」
写真の中のアルナミは投げやりに目をそむけ、サイードはまっすぐ胸を張ってこちらを見ている。使命感に燃えてパキスタンに入った日のことが、まざまざと蘇ってきた。
「おまえはマシになったよ、アーメッド。あの時は最悪だった」
「そうかな」
「おまえ、怖がってたんじゃないか?」
「なんで」
「知ってたんだろ?何をするためにパスポートを作るのか」
「……知ってたけど、べつに怖くはなかった。ただめんどくさかっただけだよ」
「うそつくな。おまえがすましてる時はあせってる証拠なんだ。今だって」
「嫌なやつだな。泣くよりはいいだろ」

サイードはアルナミの前で大泣きしたことを思い出し、赤面した。アルナミは勝ち誇ってもっとあら探しをしてやろうとサイードの写 真を見つめていたが、ふと表情を曇らせた。
「サイードは…なんか、ダメになったな」
「ダメとはなんだよ」
「ほら、こっちは綺麗な目をしてる、でもここにいるサイードは」
アルナミはサイードの顔を覗き込んだ。
「苦しそうだ。悪魔に心を弄ばれてる。あんなに言ってやったのにきかないで、いつまでも心にとらわれてるから。迷ってる。悲しんでる。みじめだ。馬鹿みたいだ」
「やめろ。へんなしゃべりかたするな」
「おまえは後悔してる。俺はおまえがかわいそうだ」
「かわいそうってのは心で思うことじゃないか?」
「じゃあ撤回する。おまえなんかどうでもいいんだ、ほんとは」

ムっとしたサイードがアルナミをにらみつけた時、突然部屋の電話が鳴った。
「予言する。アタさんだよ」
アルナミはしばらく何かの指示を受けていたようだが、受話器を置くと笑って言った。
「思ったとおりだ。サイード、このお仕置きは手が込んでるんだ」
意味がわからずポカンとしているサイードに、アルナミは続けた。
「アタさんはね、最後に俺を一人占めするためにみんなから離したんだよ」
「どういう事だよ」
「つまり、ここにいるあいだ、俺はアタさんだけのものってこと。まだわかんねえか?」
「もう、やめてくれよその話は。…やるなら黙ってやってくれ」
「サイード、おまえはカモフラージュだ。立派な役目だな」
「アーメッド!殴るぞ!」
「殴られてるヒマはない。出かけなきゃ」

アルナミはサイードの前に立つと、大袈裟な身ぶりで見下ろし頭に手をおいた。
「哀れなサイード、いいか、最後の時が近づいてる。俺がいない間にやっておく事を授けよう。まず、計画を復習して完璧にしておけ。脅し文句を何回も練習するんだ。なるべく恐ろしい言葉を選んでな。迷ったらひたすら祈れ。実行の心得を暗記するまで読め」
「……ふざけないでくれ」
「それから、哀れなサイード、余計な事は一切考えるな。後戻りはできない。自分なんか信じるな。神だけを信じておまえは英雄になるんだ」
「……アーメッド……おまえがこわくなったよ」
「そうだ、サイード、恐怖で支配するんだ。自分が支配されるまえに。先に恐怖を与えた者の勝ちだ。勝った者だけが天国に入れる。おまえは天国に行って永遠に生きろ」

動揺してうつむいているサイードを残してアルナミはドアノブに手をかけ、思い出したようにつけくわえた。
「これはおまけだ。くれぐれもおかしな気は起こすな。アタさんがなんでここを知っていたのか、わかってるな?」

 

 

一人残された部屋で、サイードはおびえていた。だが、もう前に進むしか道は残されていないのだ。彼はアルナミに言われたことをひたすらくり返した。ときおり、「アタ派」の数人の先輩たちが顔を出して「内緒だ」と言って外に連れ出してくれたのもありがたかった。やはり場所は割れていたのだ。しかし、アタの居場所は誰も知らなかった。電話のみで指示を行っていたようだ。先輩たちは不安な様子は見せず、ただ酒を飲み冗談を言い合い、馬鹿騒ぎをしていた。

実行の前日、サイードはチケットの時間に合わせて国内線の出るマイアミ空港に向かい、ゲートに入るとすぐにアルナミの姿が見つかった。結局宿には一度も帰ってこなかったアルナミのことを考えると声をかけるのがつらかったが、できるだけ普段の調子でそばに寄り肩を叩いた。
「アーメッド」
「あれ、なんだ、ちゃんと来たんだ」
「おまえにさんざん脅されたからな」
「準備はいいのか?」
「いいよ、おまえは?」
「今すぐにでもとりかかりたいくらいだ。ワクワクしてるよ」
「……はあ、大物なんだな」
「そうだサイード、コーラ買ってやる。おまえあんなものが好きだったろ?あと何が欲しい?アタさんに金もらったんだ、ほら、けっこうあるぜ」
胸ポケットから数枚の20ドル紙幣を取り出し得意げに見せるアルナミに、サイードは言った。
「一度くらい、おまえの弱音が聞きたかったよ、アーメッド」

降り立ったニューアーク空港で二人は入念に下見を済ませると、用意されたホテルにチェックインした。それぞれ割り振られた個室に入ると間もなくジャラヒから連絡があり、彼らはジャラヒの部屋に集合した。
アルハズナウィを含め4人がそろうと、全員で計画を最初から読み上げ注意点を確認し、コーランを前に成功を誓った。ひととおりの打ち合わせが終わると、ジャラヒは自分のバッグから何やら取り出し、ニヤニヤしながらテーブルに置いた。それは4枚の真っ赤なバンダナだった。

「どうだ、かっこいいだろう?俺たちの印にする」
「ジャラヒさん、冗談きついな、これは悪魔の持ち物じゃないか」
アルナミが言うと、ジャラヒは笑って答えた。
「アーメッドには一番お似合いだな、みんな、つけてみろ」
ジャラヒが手本を示すようにバンダナを頭に巻くと、他の者も従った。
「ヒュー、俺たちアメリカ人みたいだ!」
アルハズナウィはふざけて言ったが、じっさい、バンダナを巻いた彼らの姿は、青春を楽しむごく普通 の若者たちと変わらなく見えるのだった。

「戦いがはじまったら俺たち4人で機内を制覇する。混乱もするだろうし、仲間を見失わないための目印だ。シートベルトのサインが消えるまでに全員これをつけろ。俺がアラーに栄光あれと叫んで合図をしたら、あとは迷わず計画をすすめるだけだ」
ジャラヒはサイードの額の曲がったバンダナを直してやりながら続けた。
「今夜はそれぞれの部屋で最後の時を過ごせ。おまえたちはたぶん、心静かに、満ち足りた気持ちで、じゅうぶんに祈り明日にそなえるだろう。俺たちはアラーに選ばれた英雄だ。天国で、祝杯をあげよう」

 



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