空理の誓願
「夏油様、卵はいくつ召し上がるの」
「一つでいいよ」
テレビの前に置かれたソファにもたれながら、夏油傑――の肉体を今や好きに操るその存在は、戯れにつけていたニュース番組を打ち切った。
「そんなこと言わないで。夏油様くらい身体が大きくていらしたら、三つは食べてくださらないと」
「いらないよ。一つだ」
それ以降返事は聞こえなくなったが、やがて料理の音が止んでテーブルに置かれた皿を見て夏油――のようなものは顔を渋くした。
美しい焼き色をつけられた卵の黄身が、まるで目玉のようにこちらを見つめていた。
そしてこんな意固地を決め込んだ女――のほうはというと、目玉焼きがひとつだけ乗った皿に箸をつけようとしている。
卵三つだけなら苦ではないが、そこに厚切りのトーストやら、加工肉を焼いたのやら、野菜を茹でたのやらが置かれて、さらには汁物のつもりかコップになみなみ注がれた牛乳と、それとは別に温かいコーヒーが用意されているのだからもううんざりである。
「以前の夏油様はそれくらいぺろっと食べて平気な顔をしてましたわ」
「前のはね。今はどうかな」
そして夏油の肉体を駆使するこの存在は、目の前の女が自分を平然と受け入れて、その上で「夏油様」と慕うことに改めて面食らう。
が言うには「なにを以てして夏油様とするかではないかしら」らしい。
「夏油様の姿をしていて、同じちからを持っていて、そして私のことをと呼んでくださるの。ならもう私にとっては夏油様で間違いないですわ」
そんなある種狂った持論を持つ彼女の前では、この偽夏油とでもいうべき存在は心の底から夏油傑だった。
表向き夏油傑は死んだものとされているし、その認識が覆るとなにぶん不都合が多いものだから、生前の夏油傑を知る者との接触は極力避けるようにしていた。
だがこの女は、気配のひとつもさせずに忍び寄ってきた。
一般人の目にはつかない呪霊と共に街をすり抜けている最中、何者かが突然袈裟の裾を掴んだので振り返ると、このが「夏油様、夏油様」と涙を流しながらすがりついてきた。
その場で殺してもよかったのだが、夏油を留まらせたのは女が大きく口を開いたときに目に入った紋様である。彼女の赤い舌には、こぼれ出す怨嗟をかろうじて抑え込んでいるのだろう呪印が刻まれていた。
同時に夏油傑としての記憶もすぐに蘇った。この女はかつて狂おしいほど溶け合った肉欲の対象だと思い出した。
「夏油様、もう入らない?」
の心尽くしの朝食を半分で切り上げた夏油――の偽物――だが彼女にとっては本物――は、心配そうにこちらを眺める女の顔を眺めて、こっそりと内心でため息をついた。
この女がかつての夏油の関係者と内通している危険はない。
おそらくどれだけ夏油と親しかった者でも、の存在は……いや、この強すぎる呪力を宿した肉体については知っていても、それと夏油傑が通じているなどとは知らなかっただろう。
心を通わせた親友でも、腹心の部下たちでも。
そしてそれがなぜかもこの「夏油傑」は理解していた。
「食事はもういいよ、。片づけてくれないかな」
その声には悲しそうにしたが、次いで夏油が立ち上がって寝室に向かうそぶりを見せると、一瞬で目を輝かせた。
「以前の夏油様もこれが好きだったんですのよ。私、いつも顎が痛くなるくらいねぶってさしあげたの」
かつては彼女の両親が使っていたと思われる大きなベッドに夏油が腰かけると、は大喜びでその脚の間にかしずいた。
そして自分の右手の親指と人差し指で輪を作ると、下品に舌を突きだしてその虚空の男根をべろべろ舐め回してみせた。
特製の呪印でも封じきれない淫猥な気配が寝室中に満ちて、夏油の肌をもびりっと刺した。
「……っ」
そして夏油はにやにやと、これから与えられる魔の快楽への期待で口角をつり上げてしまうのだ。
しかし慌てることはしない。この女は上げ膳据え膳を絵に描いたような存在だ。当然のように、いやむしろ喜びながら夏油の服を脱がすところからやりたがるのだから、夏油はのんびりと勃起をたずさえていればいい。
「ああ……やっぱり夏油様のは大きいですわ」
はやがて夏油の下着を取り去ってしまうと、隆起した幹の根本を手で支えて撫でさすった。もう片手は陰嚢に添えるようにした。男の肉茎に対する良妻のふるまいというものが定義されていたならば、彼女がその頂点に立つことが約束されている仕草だった。
「おっと……待て」
「ああ……」
しかし夏油はを、同時に自分を焦らす気持ちで奉仕を制止させた。近づいてくる彼女の顔に手のひらをずいと突きだした。
「吸いたい?」
「吸いたいです。夏油様のおちんぽ、早くお口に入れたいの」
悪いことにこの淫らな呪いを持つ女は、本人もとんでもない色狂いだった。の口の端から垂れる唾液にさえも、ただならぬものが宿っている。
「夏油様! おねがい! 私もう狂ってしまいそう!」
「……よし、吸え。」
次の瞬間に走った衝撃と、強すぎる快感は死すら感じさせるのだという真実に夏油は悶えた。口からああ、ああ……と、快楽とこの女への平伏を表す以外にはなんの意味もない声がこぼれた。
肉茎が抜き取られそうな吸いつきと、皮膚から入り込んでくるびりびりとした痺れを伴う愉悦に震え上がる。
「ああ、、君は最高だ」
「んっふ、ふぶぅ、ふうう……!」
夏油の、愛しい男からの賛美に自身も高揚していく。口の中の圧力が急激に膨れて、比例して快楽も増す。
(こんな女との関係が、外に漏れちゃことだろうね)
わずかに残った理性でそんなことを考える。誰も彼女と夏油傑の関係を知り得なかったのは、夏油自身が必死に覆い隠していたからだろう。
この家は下劣な物言いをすれば「ヤリ部屋」だった。夏油はときどきここを訪れて二日、三日ほど楽しんでから、何事もなかったかのように去っていた。
それだけでも受け取る者の感性次第では醜聞といえるが、問題はこのの持つ性質である。いくら夏油傑が高尚な目標を掲げても、溢れるカリスマ性で人を率いても、いや、掲げるほど、率いるほど、このの関係はマイナスでしかなかっただろう。
「夏油傑といえども凄絶な快楽の前には敗北するのだな」
をひと目見れば、呪術師はみなそう思うだろう。彼女から漂う性臭を嗅ぎ取ればそのちからの性質は一目瞭然だ。
夏油傑が今まで築き上げてきたイメージなど砂上の楼閣が如しである。小娘一匹にチンポを情けなく握られた男に、失望せずについてくる者がどれほどいるのだろうか。
「、そろそろ出すよ。残さず飲むんだ」
「んん〜っ……んふ、んぶ、んうぅ」
それゆえに夏油はを隠し通した。関係を絶つことはできなかったのだろう。それはこの夏油にも理解できた。この舌や女の穴を味わっておいて、忘れられる者などいるものか。
「く……う、ふぅっ……はぁっ」
やがて地獄の快楽を与え続ける彼女の口腔に白濁を撒き散らした。
は出されたばかりの精を丸飲みするように喉に押し込みながら、それでも夏油の肉茎を離さなかった。
「やめ……」
やめろ、と言いそうになってあまりに示しがつかないので口をつぐむ。吐精したばかりで震える肉茎に、悪魔のような吸いつきをされるのは拷問じみていたが、夏油はそこをこらえて彼女の甘弄いに耐えた。
「んっ……はぁ、夏油様の精液、喉に引っかかって飲みにくぅい」
「よく言うよ。もうすっかり胃の中だろう」
は淫らに笑うと、ようやっと自分の服に手をかけだした。同時に夏油はわずかに身構える。
「あっ……ふ、見てください夏油様、私もう、すごいんだから」
やがてが下着も脱ぎ去ってしまうと、舌から放たれるものが戯れかのように思えてくる濃密な破滅の気配が訪れた。
あえかな陰毛の生え際よりわずかに上に、彼女の持つ「呪い」としか言いようのないものを封じようと尽力した者の痕跡があった。
「こんなところにこんな印がついちゃって、私もうお嫁に行けないんですのよ」
確かになにも知らない者が見たなら、悪趣味な刺青を彫ったとしか思わないはずだ。しかしそれでも、この淫穴から放たれるもはや殺意と呼んでも差し支えない色欲は感じ取るだろう。
悲しいことにこの呪印はなんの意味もなさなかったようである。
「君はすごいよ。汁と一緒に呪いを撒き散らす女なんて」
「んふ……あまり意地悪おっしゃらないで。私も恥ずかしいんですのよ、こんな身体」
言いながらは、横柄に寝転がった夏油の腰の上に跨がった。
先ほどの口淫のように「待て」をされているわけでもないのに、夏油が許可を出すのを待っていた。
それは彼女のけなげさや、夏油に対する忠実さというものを証明するわけではない。が男を待つのは、不慮の事故を防ぐためだ。
「あふ……あふ、うぅ、夏油様」
身体の上でもじもじと尻をくねらせるを嘲笑半分、畏敬半分で眺めながら、夏油は先日が口にしていたことを思い出した。
「この間拾ったおじさまが感極まりすぎたのしからね、ちょこっとおまんこに先っぽ入れただけで死んじゃったんですのよ……ああ、場所がホテルでよかった。おうちに連れ込んでいたら死体の処理が面倒だもの」
しかし夏油はその男をわずかに羨ましくも思った。それほど気持ちいい腹上死は地獄にも天国にも存在しないだろう。
「いいよ、……おいで」
「んんっ……!」
にちゅりと湿った感触と同時に、捕らわれた肉茎が危険を訴えた。下腹から入ってきた危機感は全身に回り、命が脅かされていることを伝えてくる。
しかしそこは腐っても、いや死んでも夏油傑である。彼女の呪いに敗北することはない。
「くあ……あぁ、いいね、とても温かい」
「はぁ……! そんなこと言ってくださるの、夏油様だけ……んっふ、あぁ、ああぁ〜〜っ……」
屹立の根本まで飲み込まれても、夏油は夏油としての意識を保ち続けた。口腔とはけた違いの呪力と快楽とに圧し潰されそうだが、それでもの腰を掴んで乱暴に揺するのを繰り返す。
「ん゛ぉ゛〜〜〜っ……おひぃっ、あぁ、夏油様、あ、あ゛〜〜〜っ……!!」
呪いの根源たる胎への入り口を何度も先端で突き上げると、の目玉の黒瞳がぐるりと上を向く。
ざらつく膣穴がきゅっ、きゅっ、と収縮を繰り返し、そのたび夏油は死を覚悟する。それと引き替えにえもいわれぬ快感を味わい、この女を克服、いや征服するのだという気持ちで何度も雌穴を擦り立てた。
「……く、君は誰のものだ。言ってみろ」
「ひぃっ、おっ、おふ、は、は夏油様のものです!」
主を平然と殺しそうになりながら、は必死で吼えた。
その屈服を聞きながら、夏油は歯を噛みしめていっそうを貫いた。
死ぬより先に殺してやる――それくらいの気持ちで、肉茎を喰い締めるの膣壁を摩擦しながら、己も絶頂に駆り立てられていく。
「あ゛っ! あ゛ッ、あ゛ぁ゛ぁあぁあっ夏油様、あひ、イくぅっ、、あぁイッてしまいますうぅっ!」
「く……! あぁ、……くぁ、淫婦め……!」
「あ゛ーーーっ、あ゛ぁ、あ゛〜〜〜〜〜〜っ……!!」
苦し紛れに悪態をついたのがとどめだった。の身体がぐっと痙攣して、肉茎を引きちぎるかと思うくらいに膣穴が締まり上がった。夏油は半ば搾られるように精を吐き出して、の地獄へと繋がった肉穴を白濁まみれにしていく。
「おふっ、はぁっ、はひ、で、出てるぅ……夏油様の……あぁ、ああ……あ゛〜っ……」
「く……ふ、はぁっ……!」
さっきは射精したばかりのペニスを口唇から逃がそうとしていたのに、今度は逆にを追い立てるように腰を振って、一滴も残さず膣穴に注ごうと必死になる。
もう理屈ではなく、本能に従っているだけだ。
「ひぃ……ひぃ、ひ、ふ……ふふ、うふっ……!」
やがて胎に精液を出し尽くされたは、夏油の身体の上で酔ったようにくすくす笑いだす。
「やっぱり、あなたは……私にとって、夏油様ですのよ」
「そうだね、がそう言うなら」
この女にとって夏油傑がどれほどの存在だったのか、なぜそうなったのか。
夏油傑は生前も深く問い詰めることはしなかったようだった。
となるとこの脳に流れる記憶をもってしても、彼女の心情を理解することはできない。
だがこの死すれすれの快楽に呑まれた者同士として、かつての夏油傑をわずかに哀れんで、同時に嘲って、どうかすると目の前の女に、いとしさのようなものを抱くことはできた。