未完成の城
「う……」
目を覚ましてカーテンを開けると夜の闇が広がっていたので安心した。
上着を羽織って靴を履き、財布を持って、部屋の電気をつけたまま外に出た。
「あ、あれ?」
コンビニから帰って玄関扉を開くと、ベッドを背もたれにして一松が床に座り込んでいた。
クタクタになったジャージのズボンといつも洗いたての匂いがするパーカー、あと風邪でもないのにつけてるマスク。いつもの格好で。
「…家開けるときは鍵しとけって言ったでしょ」
「あ…う、だってコンビニ行ってきただけだし……」
言い訳しながら靴を脱いで、これで文句ないでしょうとドアの鍵をカチンと回した私を、一松はまだ不満げな顔で見ていた。
「何買ってきたの」
「あ、朝ご飯」
「夜の10時だけど」
「さっき…起きたから……」
なんだか恥ずかしくなりながら、取り出したコンビニ弁当をレンジに放り込む。レシートはビニール袋と一緒に見もせず捨てた。
何がきっかけだったのか。ある日を境に私は、昼間に起きていることがたまらなく苦痛になってしまった。
学生時代に読んだ鬱病だのの病理の本を信じるならば、昼夜逆転は起こるべくして起こる肉体のSOS信号らしい。
昼間はありとあらゆるものが動いていて光もたくさん入って来るので、派手に動かなくとも視界にそれらを収めるだけで疲れてしまうのだそうだ。だから自然と刺激の少ない夜中を行動時間帯にするようになる。
逆を言えば昼夜逆転は、夜に動けるだけまだマシとなるらしい。
私はその説を信じ、狭い部屋に一人で篭って動けるときだけ動いた。あれだけ得意だった料理も、スーパーが開いている時間内に起きられないという理由でもうずっとしていない。食事はコンビニの惣菜ばかりになって、凄いことに食費は自炊していた時の三倍に膨れた。レシートを見て電卓を叩くのもずっとしていないからザックリした勘定でしかないが。
そんな私の変化に気がついたのは一松だった。
携帯電話は触れる気になれずにずっと放っておいたのだが、その間一松は要約すると「生きてんの?」という問い合わせを何回も何回も辛抱強く送っていたらしく、それを無視されやがて私の部屋までやってきた。鍵をかけ忘れる癖が都合よく働いたといえる。
部屋にあがり込んできて、ベッドの中で芋虫のような私を見つけた一松は、掛け布団を剥いで私の無事を確認するなり怒鳴りつけてきた。生きてんなら返事くらいしろクソが!と。
怒鳴られたあとに抱きしめられて、なにしてんの……と、一松はボソボソ呟いた。
「ええ…と、昼夜逆転、してる…」
馬鹿正直に答えた私に、一松は今度はもうなにも言わなかった。
「ちゃんと鍵閉めろよ」
なんだか泣き出してしまった私を眺め終えて、帰り際にそう告げただけだった。
……それからまだ私は昼夜逆転から抜け出せないでいるわけだが、たまに部屋にやってくる一松が、何をするでもなくただボーッとしている私の横でうずくまるのを眺めるようになった。
一松は無職だし労働意欲もないので、昼夜逆転の私に付き添うのはまったく苦ではないのだ。
ただ私が夜明け前になると無性に泣きそうになってしまうから、夜のうちに部屋を出て行く。その間ほとんど会話がない。話題もないが。
……が、今日の一松はなんだか機嫌が悪そうに見える。コンビニのパスタなんて不経済なものを食べる私をちらっと見ては、苛立たしげに足を組み替えたりする。
……どうしよう、という不安が胸中に広がる。今の自分に、他者の感情をかわしたり受けたりする力はなかった。
どうしたらいいかわからないまま食事を終えて、キッチンのゴミ箱に向かってから戻ってきても一松はまだ不満げだ。
「…い……いちま」
「下っ腹が痛い」
「えっ?」
そう言って紫色のパーカーの下に手を入れ、一松は私の前に立ちはだかった。
「お…お腹が痛いの?」
だからあんなに機嫌悪そうだったの?と言外に訊ねると、一松はきまり悪そうに頷いた。
「どうにかしたいから、そこ寝て」
が、薬の有無を訊いたり帰り支度をするのではなく、一松はベッドを指差すのだ。しかもなぜか私に寝ろと言っている。
「あ…んと、あれ、するの?」
しばらくご無沙汰だったあれを?お腹痛いのに?
「腹が痛いの、それが原因だから」
「ちょ……どういうこと…?」
とりあえず言われるがままにベッドの上に横になったが、私の身体は冷凍マグロも同然だった。固まったまま、私の膝を立たせて脚の間に身体を割り込ませてくる一松を見ている。
私と交接することと腹痛にどんな因果関係があるというのだ。
「い…一松……ちゃんと、教えて……」
パジャマ越しにぐいぐい押し付けられる鼻筋を感じるだけだというのに、浅ましくも興奮した。なんだかんだ言いながら私も発散できない性欲を無自覚に持て余していたらしい。
「…あんたと、してない」
「うっ…んく……」
パジャマを脱がせようと動く手を助けるために腰を浮かせる。それだけで一松の顔は、なんというか飢餓感が丸出しになった。
それからはっとした。いつもの目隠しと耳栓と手錠がない。
「ま…待って、いいの?ねえ、いいの…?」
私が両手首をあわせて胸元にやると、意味を悟ったらしい一松は煩わしそうにかぶりを振った。
「いい。持ってきてないし…」
「そ……そう…?」
それでどうして腹痛がするのかという話に戻る。一松は私の下着に手をかけて一思いに脱がせてしまうと、露わになった足の間に顔を埋めて目を閉じた。彼の身体もベッドにだらしなくうつ伏せだ。
「うち、あんなだから騒がしいし…」
言いながら舌が滑った。いきなり一番敏感な肉芽を舐め上げられたけれど、あるのは抵抗ではなく悦びだった。
「はっふ…い…いっ…!」
「…聞いてんの…?せっかく人が恥ずかしいこと言ってやってんのに……」
「き、いてる…ううっ…だ、だめ…えぇ……!」
私に抵抗がないと知るといよいよ愛撫が乱暴になり始める。一松の熱っぽい舌が唾液と一緒にクリトリスを転がして、上から唇で挟んでくる。
「あ゛っひ、あ゛っ、あ゛……っ!!」
一松の唇の中で、クリトリスが包皮から剥かれたり押し戻されたりする。粘っこい愛液が、震え始めた膣穴からこぼれていく。
「っは……うまく出せなくて、たまってばっか…」
肉芽を吸い上げるのをやめたかと思うと、そんなことを言いながら陰毛の生え際を舌でれろれろ乱したり、指先で割れ目を無理やり閉じさせたりのもどかしい愛撫しかよこしてくれなくなった。
「はあぁっ…う、いちま…つ、お腹痛いって…たまってる、って、こと……?」
「ん……」
否定されなかった。あっさり頷いて、一松はまた私の弱いところを舌で弄ぶ。
そうする一松の腰が、少し見ただけでもう私とのセックスを求めているとわかる動きをしている。ズボンの中で大きくなっているであろう肉茎を、ベッドシーツにずりずり擦って焦れったそうだ。
「な…なんか、駄目…いやぁ……恥ずかしいよ、一松…ね、目隠ししてよ……」
「持ってきてないってば」
「でも…」
こんな風に、ごく普通に視線を交わしながらの絡み合いがどれくらいぶりなのかそもそも思い出せない。
目隠しが作る暗闇は一松の羞恥心を抑圧するためのものだとばっかり思っていた。
そうじゃければ彼の根底にある女嫌いの女体好きみたいな気持ちを私に晒さないためというか、あるいは行為中に出来るだけ私を鈍感な芋虫にすることで、自我のある存在と交接しているという気味の悪さを薄れさせるための防御かなんかであると思っていて……いや、いやいやいや、あれ?
「い…ちまつ、だめぇ…恥ずかしい…だめ、恥ずかしい、恥ずかしい恥ずかしいっ!もうしなくていいっ…いい、入れていいよ、ねえ早く…」
「……いや」
そう言われてからまた直接的な愛撫が始まって、不意を衝かれてのけぞってしまった。
「いやっ、あッ、ふあっ…だ、だめ…って、言ってるのにぃ…!!」
……ここまで追い詰められてやっと、自分がなぜ今まで一松より精神的に優位に立てていたのか、なぜ鬱病の気配にやられ始めたのかがわかってきてパニックになっていた。
そんな私の思考を真っ白にさせるように、一松が大きくなるばかりのクリトリスを包皮ごと舌で転がす。垂れる唾液を粘膜に擦り込もうとするかのように執拗な動きだった。
「い…いく、もう…だめ、い…っ、あ、イッ……!!」
「ん……」
いいよ、とでも言いたげな仕草で小さく頭が縦に振られて、一松の唇がじゅるじゅる鳴りながら震えた。
「うぐっ…ういっ、いっ、い゛ッ、い゛ーーーーっっ……!!」
快楽に追い立てられて腰が突き上がる。一松はそれも予想していたみたいで、私の下肢を押さえ込んで逃がさない。
「あっ、あっ、いっ…は、離してえぇっ……お、おねがっ、やめて…な、舐めないで…ば、ばか…に、なる…うぅぅう……!!」
「…いいから……それで……」
痙攣が治まった頃にやっと身体を解放されたかと思うと、一松が私の膝の裏に手を入れて足を開かせる。
「あ…あっ……!!」
ちょっと待って、と言う前に、すっかり勃起して包皮の剥けた肉茎が膣穴に入り込んできた。
「ふあっ…あっ…んっ、あ、あ゛……!!」
「お…お、く…ぅ」
私が叫ぶように喘ぐのと一緒に、一松の快楽を噛みしめる声が響く。
「はあっ…あ、ああっ…?!い、いちま…つ、も、もう…?!」
「……っ、う…!」
そして私の感覚が間違っていなければ、挿入した瞬間に重たい精が放たれた。粘膜に絡むような精液が胎内を殴りつけている。だというのに一松はそのまま無言で私にのしかかって腰を振り立てる。
よくよく考えればいつものことなのだ。一回目にほとんど動かないまま中に出されて、その後に間を空けずにお腹の中をぐちゃぐちゃにされて二回目が始まる。
「ひっ…いっ……んあっ、いちまひゅ…精子、きもち…いいっ…出てる…に、二回目も出てるぅ……出ながら入れてる…うぅ……!」
さほど敏感でない膣肉でも、出し入れされる肉茎の先端から少しずつ精液が溢れているのがわかる。
ぱんぱんに張り詰めた亀頭が奥まで入ってきて、精液を出しながらゆっくり抜けて、また入ってくる。
内側からの摩擦で充血させられる粘膜と、いちいち絡んでは官能を振りまいていく精液の感覚に涎を垂らしながら一松を見つめると、彼の口元がいびつに吊り上がった。
「ひひっ…いい顔すんじゃん……」
「くぐっ…うぐっ…は、恥ずかし…わ、わらひ、ほんとに、恥ずかしいって思って…んっ、く…うぅうっ!!」
もうどう繕ったって遅い。まぶたの裏に回りそうな黒目も、だみ声と一緒に口からはみ出る舌も全部見られてしまった。
本性の上にかぶった淫乱な女の仮面も、ネクラな性格だという言い訳も、全部一松が取り去ってしまった。演技はできない。
「い、いちまひゅ…わ、わたし、いきた、く、ないっ…の……!!」
「ふーん…」
「くっ、うっ、ぐううぅっ…や、やめて…もう…出しながら、いれ、な、いい…でぇぇっ!!」
「へー……」
「うっ…きちゃ…あ、ぐっ、うっ…い、が、我慢、無理っ…いぃいっ…いいいいぃいっ…!!」
すでに絶頂が終わりのサインでなくなっている一松と違って、私の身体は愚直に跳ね上がった。
「いっ…いっ、い…いぃ……!」
粘膜がぎゅうっと搾り上がる。そのせいで射精しっぱなしの一松をもう一度感じ取って、背筋が震える。弛緩したと思うとまた余韻が襲ってきて、また中の熱を感じては震えてしまう。
「…つはっ!」
「あ……だ、だめ……っ!」
ようやく最後の一滴まで出し終えたらしい一松が肉茎を引き抜いた瞬間、口から拒絶がこぼれてしまった。
「…ん……?」
「ぬ、抜いたら、こぼれてきちゃう…!だめ、シーツ洗濯できないからぁ…!」
「…………」
快楽の余韻でぽっかり開いた陰部を押さえる私を、一松が呆気に取られたような顔で見ている。
「だ、だって明日から…あ、もう今日…かな、から、雨だから、シーツ、汚したら、干せない…っん……!!コインランドリー行くのやだし、めんどくさいし、外出たくないし…うっ…く……」
「………………」
言いながら自分でもおかしいと思った。一松に、目の前の男に言うべきことと、取るべきしぐさと、そうでないことの判別ができなくなっている。
快楽で惚けてしまったのか。それとも卑俗的な仮面を剥がされたからか。
「と…にかく、こぼしちゃ…あっ?!」
ティッシュボックスを片手で探っていると、一松が再び私の足の間に顔を突っ込んできた。鼻先で手を退け、その奥にある粘膜に口付ける。
私が悲鳴をあげるより先に、膣穴からこぼれる精液を吸い上げている。
「だ…だめ……え…いち、まつ、ええっ…?!」
「ん……」
目を丸くしてそれを見つめていると、大きな手が私の唇を引っ張って開かせた。そこで一松の結んでいた唇が開かれて、私の口腔に唾液まじりの白濁が垂れてくる。
「はぶっ…うっ…んっ、く…?!」
「飲んで、全部」
「う…ううっ……?!」
頷きながら喉を鳴らすと、また一松の口の端が吊り上がる。
……ふとそこで私は恐ろしくなった。一松が最初から全部知っていたとしたら?
無意識のうちに一松を下に見て安堵していたことも、彼に尽くす体で自分の立場を作っていたことも、それが恋人として扱われて、嬉しいはずなのに調子がおかしくなってしまったことも。
「……またさっきの顔、見せて」
……それを問うのは、ひとまず目の前の男が満足してからだというのは、かろうじてわかった。