陰翳礼讃
松野一松が私の部屋に上がりこむときに必ず持っているものがある。一目では何が入っているかわからない、随分よれた巾着袋だ。
「……何?」
「ううん、なんでもないよ」
私が自分のベッドにあひる座りして、床に胡座を掻く一松が巾着袋からアイマスクと手ぬぐいをまとめて取り出すのをワクワクしながら眺めていると、不機嫌な声が飛んでくる。
もう一度なんでもないよ、と言うと「フッ」と、分かりにくいが鼻息っぽい笑い声がして、一松はさらにタバコくらいの大きさの青い箱と、ピンク色のファーが少し笑える手錠を取り出して全部一まとめに手に持った。
青い箱は耳栓だ。柔らかい材質で、入れちゃうと本当になにも聞こえなくなる。結構すぐダメになるから、箱で買っておく。
「ん」
「あ、はいはい」
耳栓を持った一松が、不機嫌な眼差しで私に歩み寄ったので、髪をかき上げて耳を出す。そうすると一松が私の片頭を持つ。まずは左耳にギュッ、と、耳栓を詰める。終わったらまた片頭を持たれて、右耳もギュッ。
目の前で一松がマスクを取って、口の端を釣り上げながら何やら私をからかうことを言っているのに、全く聞こえない。口の動きからなんとか読み取ろうとするけどうまくいかない。「あんたもよくやるよね」だろうか。
次にアイマスクを耳たぶにかけられて、目の周りが真っ暗になる。一松はそれでも安心しないようで、アイマスクの上からさらに手ぬぐいを私の頭に巻く。こうされると顔と目隠しがぴったりくっついて、鼻の高さで出来る隙間から、こっそりと一松を見ることもできなくなってしまう。
「……、……」
「ん…?ごめん…聞こえない」
一松が耳元で何か囁くのがわかったがそれだけだ。やっぱり何を言っているか聞き取れない。
「……」
が、次に一松がため息をついたのはわかった。それから間を与えずに両の手首を一括りに握られたから、さっきの言葉は「手を出せ」だったと気がつく。
そのあとのため息は「そうだった…」の意だろう。これだけ自由を制限されてもちっとも恐れはない。
手元にフワフワした感触のリングが回る。玩具みたいなのに、左右を繋ぐ鎖はきちんとかしめられていて、胸元で指先をむずむずさせるくらいしかできなくなる。
「…、……」
一松がまた何か言った。聞き取れないけど、私のおでこに寄せられた彼の頭蓋骨の震えとその長さからなんとか意図を探る。
「……」
「あっ…」
無言で手錠を嵌めた腕を撫でられ、ようやく一松の言っていることが掴めてきた。このフワフワした手錠について思う所があるようだ。
「…これにしてくれて、助かった。金属のだと、手首があざだらけになっちゃうから……」
最初の何度かは、まさか本物ではないだろうけどそこそこに重量感のある金属製の手錠をされた。
問題は少しでも手首をよじってしまうと、骨と手錠の間で皮膚がズタズタになることだった。痛くはないが目立つ場所なので、他人に見咎められて言い訳に困った。
「……」
ディスカウントショップでファーの手錠を見かけたことがあったから、そういうのにすれば傷はできないんじゃないかな…と相談したら、次に会う時にはもう一松は私が言った通りのものを買い求めていた。
これを一松が買ってきて、買うからには自分の片手に嵌めたりして強度を確かめたりしたのかなあと思うとなんだか、面映ゆい。可愛いなぁ!と言いたくなる。言ったら絶対不機嫌な顔をされるだろうけど…。
要するに私たちはこんなことをするのにもうある程度は慣れていた。
「…一松、いつもの……して」
手錠に思考を巡らせていたものの、一松が何か言う気配も、触ってくれる雰囲気もないから、なんだか焦れったくなって求める。私の声は自分の頭の中でくぐもる。ちゃんと発されているかたまに疑わしくなる。
「…、…」
「ん……!」
が、身体を横たえられ、私の上にぴったりとくっつく形でのし掛かってきた彼の体温と重さに、よかった通じた、と目隠しの奥でさらに目を伏せる。
「はぁっ…あ…ああ…ん…む、ふっ…ふっ…ふっ…!」
一松と私の行為が普通でないとすれば、たぶん手枷より目隠しより耳栓より、こうして抱き合ってからの互いの動きに起因する。
「ひ…ひ、まひゅ、んむぅ…んんっ…!」
「…っ…、……っ」
抱き合って、ねっとり口付ける。一松のキスは、丁寧とか執拗とかいった形容をするのがバカバカしくなるくらい長い時間で、密度が高い。
「ん…むりゅ…っ、はあっ、あっ…!」
息苦しくなってときどき逃げるが、すぐに捕まってまた唇を塞がれる。
「……っ」
たぶん、我慢しろとか逃げんなよとか言っている。相変わらず聞き取れないけど。
「に…ひぇて、な…ん、いひ…ま、ひもひっ…」
最初のうちは口腔に差し込んだ舌を互いに吸ったり、唇を挟んだりしてキスの体裁を守っているのに、だんだん一松が興奮してくると、あごを手で押さえて窒息するくらい涎を流し込まれたりする。
私は口の中でゆっくり転がして一松の唾液を味わいたいのに、そんなことをしていると肺炎の危機という感じだ。
「はひゅ…飲むから…や、ひじわる…ひにゃいれえ」
「……」
口腔に一松の唾液を溜めているのがばれると、彼の舌がその唾液プールに差し込まれる。早く飲んでよって言ってる。溜めた唾液を、舌先でぴちゃぴちゃ波立てられるのだ。
「んくっ…ん…!ん、ひ…いひまひゅ…いいっ…」
声は聞きとれないのに、私の粘膜に溜まった唾液を通じて舌がねちねち絡む音ははっきりわかるのは、どういう理屈なんだろうか。
「…、…」
「はぁっ…う、うん、お願い…」
ふいに一松の唇が離れて、私の耳元になにごとかを囁く。これは努力をせずとも意味がわかる。
「んうっ…!」
私の上の一松は、ほとんど身を離さないまま下半身だけ浮かせる。ちょっと隙間ができただけで、スカートと下着に覆われた粘膜が湿っているのがわかる。すうすうする。
「……、……」
「あっ…あ、あ…!」
次にまた下腹を押し付けてきたときには、一松はもうズボンも下着も脱いで、ぱつんぱつんに張りつめた股間が剥き出しだ。
「っ、……っ、っ」
なにか、興奮して私に囁く。
「……いちまつ、大好き」
言葉を聴き取るのは諦めて、今の思いをぶつける。それで正解だったのだろう。すぐに下着を剥かれた。
「あ…あっ、あ、はっ…く……!」
「っ……!」
ぬるぬるの私のあそこに、一松の熱が入ってくる。喉から長い声が抜けて、頬や額には覆い被さる一松の吐息がある。
「きもちい…きもちい…一松、すっ、ん…あ、きもち…いい…!」
あられもない私の声に、何回も頷く。一松だって気持ちいいんだ。ちょっとぼさっとした髪が私の額に擦れ、落ち着かない呼吸を何度も溢してる。
……それで、私たちの行為で特別なのはこれからだ。一松はこうして私と繋がってから、私の上にいるだけで全然動かない。
「っ……、……!」
彼が興奮しているのは足の間に差し込まれた熱で十分にわかる。私に対して意地悪をしているわけでも、ましてや怠慢から腰を揺するのを嫌がっているわけでもない。
「んっ…うう…ううぅっ……!」
ふいに一松がまたキスをくれる。はあはあと荒い呼吸を振り撒きながら、今度は私の口腔の唾液を吸っている。
与えられる刺激はキスだけで、こっそり数えてみた時と同じなら大体一時間くらい、一松は私のなかに入っておきながら少しも動かないし体勢も変えない。
「ひ…ひ、まひゅ…っ」
最初にこうされたときは恐怖とパニックで随分暴れた。
なにが目的なの、とヒステリックに叫んでも、アイマスクも手錠も解かれないとわかってからは、せめて自分なりに行為に意味を見出して気を紛らわそうと一松の腰に足首を回して、していいから気持ちよくして、ううん、私がよくなっていい?気持ちいいところに擦っていい?なんて泣きたい気持ちをこらえつつ甘え声を出したのに、あろうことか返ってきたのは張り手だった。
頬っぺたに対しての容赦ない平手打ち。いじけるように、壊れた蝶番みたいに脚を開き続けた私の上で、ただ動かずなかに「ある」だけの一松が果てたのが、そのときの体感時間が間違っていなければ一時間くらいあとだった。
「んっ…ふ…ううっ…!」
震える。いくら動かないとは言っても、彼が少し身じろぎした瞬間や呼吸の衝撃で、偶然にも中の弱いところを肉茎が擦ることがある。それを逃さないように、私は一松のことしか考えられなくなる。
「……っ」
「ふ…ううん……っ!」
快楽を求める私の顔や震えは一松にばればれなようで、だいたいはすぐにやめらてしまう。
そのうちじれったさで頭の中が壊れてくる。また平手打ちされるかも、という恐怖にもかまわずに足をじたばたさせたり、腰を浮かせたりして、口からは恥ずかしいおねだりが漏れる。
そうして私の理性をいっとき壊してから、一松はどうやっているのか、激しい摩擦を必要とせずに、私の中にねばつくくらい濃い精液を流し込むのだ。もらす、こぼす、みたいなゆっくりした重苦しさで、彼の白濁が私の中を満たしていく。
「脚、閉じて」
「あ…!」
一松がお尻のあたりをぴくぴくさせて、一滴残らず私の中に射精してから、私にとってのご褒美が始まる。
耳栓を取ってもらえて、今さっき中出しされたばかりの膣内を、硬さを失わない一松の熱でかき回される。
「はぁあっ…駄目、イク…すごく、イク…!」
「宣言とかいーからさ…見てりゃわかるよ」
「いっ、言わなきゃなんか…満足できなくて…いっ、イッ、ああっ…一松、好きっ、好きっ…いっ、きい……!」
「うるさいんだよあんた、いちいち…っ」
「ご、ごめん、ね…っ、でも、いいからあ…!あっ、い、ちま…つふううっ、ううううぅ……!!」
舌打ちが聞こえる。言わないけどまたごめんと思いながら、身体の中に一松をたくさん感じる。
「何しても寝覚めが悪いんだよ!」
「ふっ…ん、うん…うん…!」
まだ視界は塞がれたままなのに、一松が必死な形相で私を責め立てているのがわかる。
ここで本当はあなたなんか嫌いとかもう変な行為はヤダとか言える人間であれば、膨れ上がっている一松の欲求をすぐに満たしてやれたのだけど、どうにもそういうのに向いてない。
大好きな人に抱かれれば嬉しいし、虐められば狂うほど悶えてしまう。
「いっ…ち、まつ、大好きぃ…気持ちいい…!二回目のもほしい、また中に出して…っ」
「な…っにを、う…、あ…!」
私の中で再び一松が果てる。ただでさえぐずぐずになっていた粘膜に、今度は勢いよく放たれた精が注がれるのを、うっとりしながら感じる。
「…別に、あんたが嫌だって言うなら、もうこんなことしないから」
それで、行為が終わると私に背を向けて、たまにはタバコまで吸いながら一松はそんなことを言うのだ。
「嫌じゃないよ」
「……」
「あははっ、もう言わないんだね。バレバレの嘘とかつかなくていいよ。怖くて嫌でしょおれなんか。いーんだよ別に慈愛の精神とか見せてくんなくてもねーって」
「………」
一松はまた舌打ちした。そうなのだ。彼の中にある自尊心とクルクル絡まった自虐の言葉みたいなのに応えられないのが私なのだ。
「一松だーいすき」
「うるさいんだよ、邪魔なんだよ!」
「うん…」
「……」
ただ頷くと、また舌打ち。
ここで泣くまで殴ったり蹴ったりしてくれれば、私だって彼を嫌いになれるのだ。
「今日は、晩ごはん食べてってくれる?」
「……メシ、なに?」
「お昼に漬けておいたタンドリーチキン焼いて、あと、青菜のパスタつくる。オリーブオイルであえるやつ」
「……パスタはいらない」
「ん、わかった!」
だというのに、ひとりで暮らす私の部屋で昼食や夕飯を一緒に食べてくれる。
こうして私と過ごしてくれる。
一松だって私と同じくらい甘ちゃんだ。
だから早く一松も、私のことを好きだって認めればいいのに。