オセロー
魔導器による魔術行使が出来なくなってから、薬や消耗雑貨の需要がとんでもなく増えた。
あらかじめ見越してはいたけれど、
今日も私は下町から離れた港に薬をありったけ詰めた包みを出しに行って。
商売をうまくやっていくためのお裾分け、渡世の義理立てなんてものをしなくちゃなんなかった。
その帰りにふとユーリと出くわして、二人して宿屋の一階の席でお酒なんか飲んでる。
「このへん土地柄なのかねぇ、酒っつってもワインだのウィスキーだの、洒落たのしかねーのな」
「そーじゃない?私ビンボー舌だからさあ、お酒もお茶も味の違いわかんない」
「いいんだよそんくらいで。利き酒とかどーしよーもねえ金持ちの趣味」
「レストランのよりユーリが作ったカレーのほうが好きだもん」
「そりゃ貧乏関係ねーよ。俺の愛情カレーが旨いのは当たり前だ」
「そだねえ。最近食べてないや…作ってよ、余ったら凍らせ…あ」
できないんだった。
魔導器が使えた頃は、作りすぎた食事やなんやは母親に習ったズボラ魔術で凍らせて、食べたくなったときにやっぱり魔術で温め直したりしてたんだけど。
「人間一度知った贅沢と利便性は忘れらんないね」
そう言って、今はただのアクセサリーになってしまった自分の指輪を見つめる。
鈍い金色のエッジに、ちょうど真珠がひとつはまるくらいの窪みがぽっかり。
少し前まではここに真っ赤な石があった。
「リタ…あ、ギルドの仲間な、最近エアルに代わるもんを研究してるらしいぜ」
「そんな便利なもの簡単に見つかるかなぁ…?見つかったとしてもどーせ秘匿されてさ、貴族の間だけで使われるんでしょ」
「うちのギルドが開発したら真っ先に下町に取り付けてやる」
そう言って、ユーリは鼻を鳴らしてグッと反り返った。
体に付き合わされた椅子がギシッ、と音を立てるのを聞いて、私は反対にテーブルに突っ伏した。
「いいよ、無理しなくて。平等なんて求めてないよ。生まれなんて運だよ、運」
「…いっつも拗ねるよな、生まれの話になると」
「拗ねるさーそりゃあ、私だってしがない薬屋の娘じゃあなくてさ、皇女に生まれてれば王室付きの騎士を選り取りみどりだったわけで」
「それフレンの前で言うなよ」
「言ったらめちゃ怒ってた」
「それはお前が悪い」
「わかってんよー、どーしょもないの、私を護ってくれる騎士様なんてさあ、いないんだよう」
「あいつにしちゃ頑張ってるんじゃねーの?仕事の合間縫ってちょくちょく店に来てるだろ」
「来てるよー、、元気か、何もないか、そうか、よかった、じゃあ僕は任務に戻る」
生真面目な声真似までしてやると、ユーリはほんの少し顔をしかめ…それから笑った。
「お前も頑張れよ。いい奴だぜフレンは。面倒臭いけどな」
実は一度、フレンと私が関係を持つ前に、ユーリと二人で寝室にもつれ込んだことがあった。
騎士団を辞めて下町に舞い戻った直後のユーリは、
滅私奉公ですかと言いたくなるくらいにあちこち飛び回り、寝る間も惜しんでわざわざ面倒ごとに首を突っ込んでいた。
私の店に来ては薬をあるだけ買い込んで平らげ、そしてまたフラフラしつつ出ていく。
色々許せなかったんだろう。
けれど非行に走るなんて寒いこともできずに、自分をいじめ倒すしかなかったんだろう。
そんな生活を続けたユーリは身体も心も見る間に痩せていった。
あんたもなにか言っておやりよと周りにせっつかれても、ひねくれものの私に説得なんて出来るわけもなく、
かわりに痩けた頬のユーリが店にやってくるのを見計らって香炉をガンガンに焚いてやった。
強すぎる臭気にやられて倒れたユーリを二階の寝室に担ぎ込んで、一度横になってしまうともう起き上がれないほど弱った身体の横で、今度は豆と根菜のスープを炊いた。無言で。
背を向けたユーリの傍らで、ずるずるずずずー、ああ美味しいよハンクスさんのくれた野菜はサイコーだよぉー、
と喜劇じみた声を出してから、そのまま一階へ降りて香炉を片付けて店仕舞いして二階に戻ると、鍋は空だった。
気まずい様子のユーリが子供っぽかったので、痩せ我慢とかカッコ悪いのにさあ、なんて悪態をついたところ後ろからひっつかまれてしまったのだ。
お前いい加減にしろよ、なんて言われて、そこで可愛く泣けない私はしなをつくって、エプロン代わりの白衣のボタンを外した。
いいよやろうよ、なあんて草レスリングの合図みたいなことを言ったら、ユーリは虚を突かれた顔になって…それから頭を抱えてしばし無言になり、
「ああ…朝になったら起こしてくれ…」
と、お父さんじみたことを言ったきり寝付いてしまった。
翌日朝食を平らげてから開口一番、
「すまねえな」
と謝られて、なにがよと問えば決まり悪い顔で、
「…フレン」
と呟かれたので、ああ私の恋心はどうやらユーリには筒抜けだったんだな、とかぼんやり思ったりしたか。
その後にフレンはユーリと二人きりになったおりに「僕はを生涯をかけて護らねばならない」などと抜かしたらしく、
ユーリはその場ではめでたく二人は恋仲になったのかと思ったらしいが、さらに後に私と話して認識の相違に気がついたようだ。
「私がさ、フレンがいてくれないと死んじゃうの、って言ったら…」
「あいつがうまい返しの出来る色男に見えるかよ」
「見えないよ。あー、いっそ私を王宮付きの薬師とかにしてくんないかな?コネでさ」
「それは職権濫用だ、出来ない……で終わりだろ」
「だよね」
ユーリが私を慰めてくれるのは、衝動に任せてやらかしかけたことの罪滅ぼしもあれば、私のコンプレックスをそこそこに見抜いているというのもあるらしい。
……エステリーゼ様。
きっと姫君という形容詞は彼女のために存在する。
気品の漂ういずまいには嫉妬もできない。
私が彼女と会話する機会があったのは目の前の男が彼女を引き連れ回していたからで、普通ならば庶民は謁見すら叶わないのだ。
それでも唯一、性別が同じく女だという点で比較する。してしまう。
そして……私はそんな部分でも劣る、という結果が出る。
ユーリは知っていて、フレンは知らないこと。
私はユーリと寝かかったり、フレンを誘惑したりした時点でもう、とっくに処女を捨てていた。
昔の恋人。あるいは望まぬ形の事故。
…に、よってもたらされていたならば、こんな劣等感を抱かなかったし、ユーリに応援されるくらいひねくれたりもしなかった。
ああそうだ。生まれは運だ。
貴族に生まれて贅沢するのも、庶民に生まれて働きづめるのも、生まれた時点での運命だから不平を漏らすつもりはない。
ただ、その運命の中でどう生きるかは自分の責任で、誰かのせいにできはしない。
大人な恋をしたの、と姉貴ヅラすることも、
汚されたのグスングスン、と泣き真似することも叶わない。
私は私の責任で、自分という存在を貶めてしまった。
……嫌なことを思い出してしまった。
物憂くグラスを傾けて残りのワインを喉に流し込んで、ちょっと考える。
私のフレンへの恋慕は劣等感とセットになっている。
フレン大好き、と思うたびにでもお前のことなんかフレンは好きになってくれないよ、ともう一人の自分に囁かれてげんなり涙する。
「……お前さ」
「失礼!」
ユーリが口を開いたのでネガティブシンキングを打ち切った瞬間、宿屋の扉と括られたベルが荒々しく鳴ったので驚いてしまった。
「!やっぱりここに…」
そして顔を出したのが話題の騎士様だったので、ユーリも私も固まってしまった。
が…ユーリはともかく、私はフレンを前にして取る態度は決まっている。決めている。
「フレン!やっほーう!」
言いつつ、テーブルにあったワインのボトルを手にしてぶんっ、と降った。
中に残っていたわずかな雫が飛び散って、私の腕とシャツを赤く染める。
ユーリがため息を吐くのも、もう慣れた。
「店に行ったら港に出ているとあったから」
「へー!わざわざ追っかけて来てくれたの?やっさしー」
ちょっと港にお使いしてきます、夕方には帰りますので。
そう書いた紙を扉に貼っておいたんだった。帰ってないじゃん私。
「……ちょうど用事があったんだ。港の商人がとユーリを見かけたと言っていたから」
「やきもちだ!やきもちやいてる!私が他の男に取られちゃうってー!」
「……だいぶ酔ってるな」
そう言ってフレンの視線が私からユーリにスライドしてきつくなる。
フレンからすれば「こんなになるまで酔わせて」とユーリを叱責しているわけだが、ユーリからすれば勘弁してくれの一言に違いない。
なぜなら私はちっとも酔っていないからだ。アルコールはお互いワイン一杯だけ。
噛ませ犬はごめん被るという私への不満と、なんでこんな見え見えの演技がわからないんだ、というフレンへの失望で顔をしかめて、ユーリは立ち上がる。
「んじゃ俺はこれで。早くしねーと下町に帰れなくなるぞ」
最終便が出てしまう。
そんなのはもちろんフレンもわかっているはずだ。
「……ふれーん、今日はもうお仕事おわり?」
けらけら笑いつつ手にしたボトルでフレンの胸元を小突こうとしたら、籠手をはめた腕に止められた。
「危ないよ」
「危なくないよ、こんなガラス一撃で鎧に傷がつくもんか」
輝かしい白銀の、帝国騎士の誉れとも言える武装。
きっと仕事の途中でザーフィアス下町を訪れて張り紙を見て、なんとか都合をつけてここまでやって来たのだ。
……フレンの中で私は、ある一点においてそれだけ気を配る価値のある女なのだ。
「君が危ない。袖も汚れてる」
「やだ本当だあ、私こんなお洋服じゃ恥ずかしくて外でらんなーい」
そう言うとフレンは表情を曇らせた。迷ってる。あと一押し。
「ああ、もうだめ」
やりすぎかなあと思ったが、その場で倒れて見せた。
宿屋の床板の木目をぼんやり見つめつつ、視界から外れた騎士様の困惑を感じ取って楽しくなる。
「……すみません。空いている部屋は」
その凛とした声と、今一部屋しか空いてないよ、という店主の返事を聞いた末にはクスクスなんていう笑いまで漏れてしまった。