すべては私に起因する




―本当にいいの?


いいんです。もう決めたのです。

―貴女の本心?

まぎれもなく本心です。ずっと、ずっとずっと心待ちにしていたのです。







「まさかねぇ」

受け取りなさいと差し出された赤いそれ。
その首にはさらに赤い糸が巻きつけられていて。

それをぼんやり見ていると、上から声が降り注いだので、私はのろりとした動作で頭を上げました。
座り込んでいる私に、石元先生が影を落とします。

「屋上は立ち入り禁止だよ」
「しってます」
「鍵、かかってなかった?」
「こわしました」
「へえ」

先生が私の横に腰掛けます。
快晴。頬を風がなでる実に理想的な天気です。
先生と便宜上頭の中で呼んでいますが、この人は先生であって先生でないことを、もう私は知っていて、
そして先生も、私にそのことが知れたことを知っていて、それで白々しく私の前に現れるのです。

何がどうして、そんなに私が物珍しいのか。
むしろ今までこれを実行した人間がいないという事実に私が驚いています。


「先生、都市伝説とかしってますか」
「どんな」
「地獄少女に頼むと憎いやつを地獄に送ってもらえるんです」
「ふうん」
「しらをきらないでください」
「切ってないぜ。むしろ君の方が白々しいよ」
「やっぱりしってるんじゃないですか」

先生は片目でこちらを見てふっと笑いました。
その微笑みには私の今の、もう完全に黒い繭に包まれた心を微動させるものがあって、
私はかあっとなって目をそらしました。

「…怖く、ないの?」
「こわいものなんてないです」
「まあよくやったと思うよ。で、いつ解くんだい?」
「今にでもと思っていたのです。そしたら先生が来たんです。わかっているんでしょ、先生」

「興味があるのさ。自分で自分を地獄に流してやりたいなんて思う子がいるなんてさ」

「…やっぱり、しってるんじゃないですか」

私は都市伝説を信じて、毎晩毎晩、じごくつうしんじごくつうしんじごくつうしんと念じながらパソコンの画面に向かっていました。
しかし目当てのサイトはなかなか姿を現してはくれず、やはり都市伝説は都市伝説なのかと諦めた矢先に舞い込む幸運。
真っ黒な画面に、テキストボックスが一行。
そこに私は、自分の名前を書き込んで、迷う間もなく送信ボタンをクリックしました。


「自分が憎い、ねぇ。他に憎む人間がいるんじゃないの?そっちを憎んどきなよ」
「憎めば憎むほどくるしいのです。そういった人間の感情には、先生のほうが詳しいんじゃないですか」
「ま、どんなに善良な面してても憎い奴の一人や二人はいるだろうからね」
「…」

先生が、またかっこいい、と思える顔で私に微笑んで、
私は自分の心の奥にしまいこんでそのまま地獄まで持っていこうと思っていたものを吐き出したい気持ちになりました。
…というか、誘導尋問です。
先生が私にそうさせているようにしか思えません。
…そして私は、それをいやだと思わないのです。

石元先生には話しておきたい。
とか、そんなことを考えるのです。


話したってどうにもならないのに、私の心はもう決まっているのに、苦しくなるだけなのに、
でも、この人には私を知ってもらいたいと思った。
…恋、とか。ばかばかしい。生徒が先生に恋慕するなんてありきたりすぎる。

だから、ぜんぶ、先生のせい、ということにして、私は、言葉を紡ぎだしました。



「10歳のとき、父親が飲酒運転のトラックに轢かれて死にました」
「…へえ」
「母はその死体を目の当たりにして精神を病みました」
「病ねぇ」
「そんな調子でなぜか私が13歳のときにやくざの後妻になりました。私は連れ子だったのですが、そのやくざに犯されました」
「ふぅん」
「ロリコンなのです。母を娶ったのも童顔だったからだって。何度も何度も。そのうえ母には暴力を振るいました」
「災難だね」
「母は日に日におかしかった心をさらに閉ざしていきました。鬱病だと言われました」
「鬱」
「ある日学校から帰ると母が私に抱きついてこう言いました。一緒に死のうって」

「いやだって言ったら、次の日母さんだけ近所の団地から飛び降りて死にました」
「もうぐちゃぐちゃでわけわかんなかったです」
「そんなおりなのにクラスの男子から告白されました。ミステリアスなところが好きなんだって」
「そしたらそれ、見られてて。次の日に教室に入ったらもう拍手喝さいで笑われ者です」
「でも笑ってない人もいたんです。私のこと好きだって言った男子の取り巻きみたいな女子たちが」
「てめえなんか死ね死ね死ねって。死んでつぐなえって。階段から突き落とされて、打ち所が悪かったせいで骨盤を骨折しました」
「一生歩けないかもしれないとか言われたけど歩けてるんです。でももう恥骨がぽきぽき折れてて形が崩れてて、将来コドモは作れないそうです」
「そんな調子で杖をついて歩いていたら襲われました。杖を取り上げられると歩けないくらいのときだったので」
「とにかくいろいろされました。どう思われますか先生」


途中から相槌もやめて黙って私を見る先生に、私はそこまでまくしたてたのですが、
真顔で私から一秒も視線を外さない先生を見ると急に恥ずかしくなって、うつむいてしまいました。

「そいつらを地獄にとは、思わないわけ」

「先生がそんなつまらないことを言うなんて思わなかったです。ええ、私も思ってたんですよ。地獄に流してやりたいって。途中くらいまで」

歩けど歩けど真っ暗で。

「でももう過ぎたことだから憎んでも憾んでも後のまつりじゃないですか。それよりも気付いたんですよ」
「何に?」
「私がいるからいけないんだって。憎いやつなんていくら数えても足りない。そいつらを全員地獄にって、どれだけだよって」
「……」
「それなら逆の考えです。私が一人先に、地獄へ流れてしまえばいい。そうすれば地上での悪夢からは開放される」
「地獄ってのも、いいトコじゃないと思うんだけどね」
「でももう生きててもいいことなんてないんですよ。それでもう決めて、ほら、貰ってしまいましたから。これ」

赤い藁人形を先生の前にずいと差し出すと、先生は少し目を細めた。

「極楽浄土には、行けないんだぜ?」
「やたらと干渉しますね。それはたくさんの地獄に送られた人間を見てきたヒトからの説教ですか。それとも私に対する情ですか」
「情かな」
「うそをつかないでください、私がてきとうに言ったはずかしいことを真に受けないでください」

私は本気で恥ずかしくなって、顔面に血液が集中していくのを抑えられませんでした。
そして、立ち上がって、思い切り先生に抱きつきました。

なにやってるの、私、と、もう一人の私が冷静に言うのですが、
私ももう自分が何をやっているのかわかりません。
自棄なのかもしれません。

「糸を引けば、漏れなく君は地獄逝き」
「じゃあせめて」


「じゃあせめて今、ここで、先生が、私に天国を見せてくださいよ」










先生は、白衣の胸元に、私の頭を強く押し付けました。
それとほぼ同時、計ったんじゃないかというくらいのタイミングで、ポツ、と、私の腕に雨の雫が落ちました。
ポツ、ポツ、と、それはどんどん強さと量を増していき。
空には灰色の雲が充満し、私と先生を思い切り濡らしました。
当たると痛いくらいに強い雨に視界を遮られて、先生の表情を窺い知ることができません。
ですが、そんな声も届きづらいような状況で、先生は抱きしめた私の腰に手を回して、
スカートのホックとファスナーを、片手だけで、しかもぜんぜん見えてないのにすべて見えているとでも言うように容易に外してしまいました。
べチャ。
スカートが私の足元に落ちて、濡れた地面とそんな気色悪い音を立てます。
そうなってしまうと濡れた布が足にまとわりつくのは気色悪くて、私はそれを足蹴にして下半身は下着だけという姿を平気で晒しました。

先生が、それをどう思ってるのか、わからない。
ただ先生は、そんな私をまた抱きしめて、それから背もたれにしていた柵を伝ってかがんでいき、
その細い体で私を包むように座り込みました。

「あ」

どんな声を出せばいい。
義父に犯されていたときでも、ゴロツキに襲われたときでも、まともな声なんて上げたことがなかった。
そんな私の気持ちを察してかどうかは知りませんが、先生は私の首を思い切りぐりんと振り向かせて、
私の戸惑う唇を塞ぎました。
やさしく、やわらかいものが押し付けられている感触は、味わったことのないもの。
なぜか涙が溢れてきて、私はぎゅっと目をつぶって、そのいまいましい涙を押し出して涸れさせてしまおうとしました。
ですが、私の涙を先生が細い指ですくうので、そのたびによくわからない感情が溢れて、結果として涙が止まらなくなってしまいます。
嗚咽を漏らす私の下腹部に、先生の冷たい手が触れます。
薄い下着だけのそこを、先生の指がなでて。
私はびくんと身体をはねさせて、先生、とか細い声で言いました。

そこで、先生が、濡れる髪で、表情で、私に微笑みました。


それで、

それで、もう充分なのだと、
自分で悟って、

私は、自分の足元に落ちていた藁人形を拾い上げると、それに結ばれた赤い糸の端を指でつまみました。

「先生―お願い」

私の手は、今、どうしてか震えが止まらなくて。


晴れていたときは、無感動に糸を引き抜く自信があったのに。

先生のせい。

「先生のせいなんです―お願い、一緒に、引いて」




しばし、雨の音だけ続いて。

それから決心したように、先生の手が私の手の上から添えられて。


「俺は君のこと、好きだったけどね」

「え」





怨み、聞き届けたり。



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