やぁなんです。
「私、やぁなんです」
糸色先生は、忙しい。
教師なんだから忙しいのは当たり前なんだろうけれど、
そのへんの教師よりずっと忙しいと思う。いろいろと。
きっちりとしていないと気がすまない女生徒、先生の後ろを常に付いてまわる少女。
他にも沢山いるけれど、彼女らに干渉されず先生と過ごせる時間は、とても貴重だ。
人生に何度あるか、両手の指で数え切れるくらいかもしれない。
それでも、私は。
「私、先生と一緒にいると、やぁなんです」
「なんですか、やぁって」
「やぁなんです」
先生は眼鏡のフレームをすっと押さえたかと思うと、下を向いて、それから私のほうをかっと見た。
「それは私と居ると嫌な気持ちになるということですか!」
なんでそんなに必死なのよ、と言いたくなるような切羽詰った声。
私が少し黙っていると先生は窓を開けて、すうっと息を吸い込んだ。
「ぜ―…」
「絶望したっ!」
先生が言い始める前に、私が叫ぶ。
先生は目を丸くして、なんだか決まりの悪そうな顔になった(実際決まりが悪いのだろうけど)。
「絶望したっ!自分の人生の浅はかさに絶望したっ!」
夕暮れの校舎じゅうに響きそうな大声でそう言うと、先生は無表情にじっと私を見た。
先生の無表情は、反応に困っているときの顔だ。
私はそんな先生をちらりと見て、ぽつぽつとこぼし始める。
「やぁなんですよ。だって先生は先生だから、私より知識とか教養があるのは当たり前だけど、
それを得るまでに紆余曲折した道があったのだろうなあって思うし、
先生がいつもいろんなことに絶望するのも、そんなネガティブな性格を作った重たい過去があったんだと思うし、
だから私、先生といると、自分の人生がいかに浅はかで薄っぺらいか思い知らされるみたいで、やぁなんです」
「…それが最初の言葉に繋がるわけですか」
「そうです」
先生は私を見て、ふぅとため息をついて言った。
「私の人生なんて駅前で配ってるティッシュペーパーよりも薄っぺらいですよ」
「そんなこと、ないです」
「あ、違います、そのティッシュペーパーをさらに一枚にはがしたものくらいが妥当ですね」
「ないですってば」
「ありますよ。だって私自身が言うんですから…言っててなんか悲しくなってきた」
先生が首をかくっと下に向けたので、ああまたなんか話がこじれてしまう、と思って、私は会話を続ける。
「だってみんな先生のこと好きじゃないですか。そんな薄っぺらなやつのことなんて誰も好きになりませんよ」
すると先生は、いつものどこか対人恐怖症を思わせるようなおぼつかない視線ではなく、
私の瞳をきちんと見て強い眼力で射抜きながら言葉を発した。
「いいえ、薄くて灰色です」
「だから…」
「さんと過ごして初めて、私の人生は触れられる形を持って、明確な色を放つのです」
計算とか、そういうのはしてないんだろうな、と思う。
余計にたちが悪い気がする。
まったくこの先生は、と思いながら、私は頬を染めた。