「ちょっとお嬢さん」
「はい?」
ふいに声を掛けられて振り返ると、なんだかきつい目つきをした青年が立っていた。
「ええと、それで貴方は松尾芭蕉のお弟子さんで、それでどこかではぐれてしまった師匠を探していると」
「まあそんな所です」
なんか冷たい。
冷めているというかなんというか、この人から人を探しているという必死さは伝わらない。
死んだような目つきで突っ立って、私のほうを見ている。
「残念ながら私も松尾芭蕉さんらしき人は見かけていません」
「そうですか。それはよかった」
「え、いいんですか」
「いいんですよ」
なぜ。
「それより疲れたんでどこかの茶屋で休みませんか」
「え…私もですか?」
「そうですよ」
だからなぜ。
この人は師匠を探しているのではないのか。
休むにしたって自分ひとりならともかく道でただ偶然声を掛けただけの私も同伴するというのはどういうことだろう。
これは…俗に言うナンパなのではないだろーか。
で、なぜか私と曽良さんは、お店の椅子に腰掛けてお茶を啜っていた。
「でも凄いですね、あの松尾芭蕉の弟子だなんて」
「そうでもないですよ」
「松尾さんってどんな人なんですか?やっぱり渋い感じですか」
「ああ凄いですよ。得意技は鼻クソミサイルとフケトルネードですから」
「…と、トルネード?」
曽良さんは真顔で言う。
この無表情というかなんというか、感情のない顔からは、それが冗談なのか本気なのかわからない。
「いつも変なぬいぐるみ抱いてます」
「ぬ、ぬいぐるみ?」
…真に受けるのもおかしいけれど、この人が嘘を言っているとも考えづらかった。
とすると私の中の松尾芭蕉の渋いイメージは崩れ去り、
不潔でぬいぐるみを愛する変人という嫌過ぎる肖像が出来上がってしまった。
「それよりお嬢さん、名前は?」
「あ、え…ですけど」
「そうですか」
ずずずっ。
曽良さんがお茶を啜る。
沈黙を破る手段も見つからないので、とりあえず私は置いてある団子を口に含む。
そして横目で、曽良さんをじっと観察した。
カッコイイといえばカッコイイ。
きりっとした目。
でもなんだか冷たい声と口調で、それがマイナスに働いてるような気がする。
「あの」
「なんですか」
「あの…松尾芭蕉さんを探さなくてもいいんですか」
「いいですよ別にあんな馬鹿」
「ば、馬鹿」
馬鹿って。師匠を馬鹿って。
彼と師匠の関係はどんなものなんだろうか。
「で、でも探さないとまずいんじゃないですか、はぐれたままっていうのも」
「いいんですよ。それよりお嬢さんとお茶を飲む方がマシですから」
「マシ?」
顔色ひとつ変えずになんだかひどいような事を言う。
私がちろっと曽良さんを見ると、ちょうど曽良さんと目が合ってしまった。
「なんですか」
「あ、あなたこそなんですか」
「僕はただ見てただけですよ」
「そ、それを言うなら私もそうですよ」
「どうして見てたんですか」
「え…ど、どうしてって」
「意味もなく見られるのは気分が良くないじゃないですか」
「え、ご、ごめんなさい」
「いいですよ」
実にあっさり返してくる。
無表情な彼は、またずずっとお茶を啜った。
私はなんとなくむっとして、この鉄皮面に質問を投げかけてみた。
「笑いませんね、曽良さん」
「そうですか?」
「どんなときに笑うんですか?」
「どっかの馬鹿ジジイと同じようなこと聞きますね」
「馬鹿ジジイって誰ですか」
「まあ気にしないで下さい」
「いや気になりますけど…で、どんなときに笑うんですか」
「そうですね…」
そう言って、曽良さんは私の方を向いた。
「たとえば綺麗なお嬢さんとお茶した時とか」
「え」
私が怪訝そうな顔をした直後、遠くから間の抜けた声が聞こえてきた。
それを聞いて曽良さんは、間違いなく舌打ちをした。
「ああ芭蕉さんが来たみたいなので、僕はこれで」
「え、あ、あれが松尾芭蕉さんですか」
「じゃ」
そう言って曽良さんは私に向かって、口許だけでにやっと笑った。
しばらく呆然とする私は、お勘定をスッポカされたことに気付かなかった。