ビターマリアージュ


「えほっ、えおおえっ、おえっ、げほっ…かはっ…!お、おおぇっ…!」

部室前の手洗い場に行くと、いつもはへらへらしている顔を歪ませて派手に嘔吐しているバカがいた。
見ていて気持ちのいいものでもないので無視して、さっさと通り過ぎようとしたが。

「まっ…まーくん…ごめんね…」

なんでゲロ吐いてることと俺への謝罪が同列に並ぶんだよ。
と思いつつ、制服の袖で口許を拭ってこちらを見つめる視線をかわすこともできず、
一瞥くれてやってから部室を開くと、後ろからついてくる。
…机の上には、キテレツな黄緑と焦げ茶を組み合わせた箱が二つ。
一つはリボンまで結ばれてプレゼントの様相だ。
もう一つは包装紙をびりびりに破かれ、中身がバラけていた。

「ば、バレンタインのね、は、原くんがね、まーくんはすごく苦いチョコが好きだって聞いたから……」

そう言いながら、まだ喉をつらそうにヒーヒー鳴らしている。
破かれていない方の箱を手にとってひっくり返すと原産国ブラジルの表示。カカオ72%ダークリッチ……。

「バァカ」

俺が普段食っているのは区分こそチョコレートだが、単にカカオ豆をローストしただけのモノだ。
甘味など微塵もない。

「えほっ…お、お店の人に、一番苦いチョコ下さいって…お願いしたら…おえっ、でもこれ炭の味する、美味しくない…」
「炭食ったことあんのかよ、テメェは」

そう言いつつ今度はばらけた包みの中の板チョコを一枚つまんで口に放ってみる。
思った通りゲロみたいな甘さだ。ついでに鼻に奇妙な風味も抜けていく。
こんなもんウマイウマイと一箱は食えない。

「あるよ」
「は?炭か?」
「うん…でも、あのときの炭は美味しかったのに…」
「なんでンなもん食ったんだよ」
「お米にいれて炊くんだけど…一年生の時でね、どうしてもお米じゃなくて、上に乗ってる炭が食べたくなって…」
「……貧血だったんだろ。病院行ったか?」
「え?まーくんどうしてわかったの?!」

氷食症と同じようなもんだ。
米に乗せて炊く竹炭が食いたくなるなんて、余程の鉄分不足しか思い付かない。

「お肉いっぱい食べさせられて、治った…でもこれはダメ、美味しくない…」

マークンごめんね、からの美味しくない。
「プレゼントしたかったのにごめんなさい」だろう。

「……ったくバァカ。おら、コーヒー淹れろ。そこのでいいから」
「えっ?うん、わかった……」

さめざめ泣かれ続けても鬱陶しい。
こんなクチャクチャ不快な油脂と砂糖の塊も、インスタントコーヒーの引き立て役程度にはなるだろう。

「そっちもよこせ」
「まーくん…これ、食べるの?」
「あ?テメェが食うか?残したりすんなよ」
「や、やだっ」
「じゃあ二箱ともとっととよこせ」

凍える


「まーくんっ!!」
「テメェ!どこほっつきあ」

るいてたんだよバァカ、という言葉は、悪魔のような光景によって飲み下すしかなくなった。

「おお、やっぱここに居ったんなー、もーこの子可哀想やってん。さっきまでズーッと泣き腫らしでな」
「あ……あ、どうも……お久しぶりです……今吉先輩」

……全国大会の観戦にこの馬鹿を連れてきてしまい、さらには少しでも目を離してしまった自分の愚かさを呪った。
……いや、連れてきたこと自体は不可抗力だった。

ここ数日こいつは親が留守らしく、なにかあると淋しい淋しいとすり寄ってくる。
そこに部員の誰か……いや十中八九原だろう……が、駅で待ってれば花宮とデート出来るよん、なんて吹き込んだらしいのだ。
追い返すことも出来ずに、絶対に大人しくしていろ、と約束させて会場まで連れてきてやったのに。


「この子な、西の方のトイレの前でズーッとしゃがみ込んどった。声かけたらマークンマークンしか言わんし、もーどいないしたろって思たんやけど」
「はあ……」

……それがあろうことか、なぜこの妖怪じみた、他者を翻弄することを生き甲斐とする男に保護されているのか。

「ちょいちょいハナシ聞いたら、マークン言うんは花宮さん家の真くんのことやって言うやんか。昔の後輩の恋人、ほっぽておけんて」

……眼鏡の奥の瞳は、笑っている。
この男に自分とこの女の関係性や抱く感情が筒抜けになっているという恐怖が、頭の方の血を下がらせていく。

「おトイレ行ったら迷子になっちゃったの……」
「……あ、う……ん、そうだね、広いから、迷うか」
「うん……ごめんね、ごめんね……怒ってない?」
「怒ってないよ」

ああくそ。今すぐ殴って黙らせたい。
なんで俺がしどろもどろにならなくちゃいけないんだ。

「まーくん、手つなぐ……」
「はっ?」
「はぐれちゃうから、手つないでよ」

……腕に絡む手を振りほどこうとした辺りで、意地の悪い視線が俺をニマニマ眺めていることに気付いた。
「随分優しいやんか」
「いやそんな……ほら、行こう」

うなずく顔を見てから、手を引いて軽く会釈をする。

「待ちいな、感謝の一つもあってもええやんか」
「ああ……どうも、ありがとうございました」
「花宮やのうて、そっちの」
「…………」

この。

「ほら、連れてきてもらったんだから、お礼言って」
「うん……?」
「ありがとうって」
「ありがとう」
「いや、俺じゃなくて、今吉先輩に言うの」
「なんかまーくん、今日はすごく優しい……嬉しいよぉ……」

下がっていた血が煮えながら再び頭に昇ってくる。
いつものように尻でも背中でも叩いてすぐに言うことを聞かせてやりたいが、この場でそんなことをすればどうなるかも、理解している。

「せやなー、昔より大分優しゅうなったわ」
「うん!でも、いつも優しいんだよ」
「ほおお、ほうかほうか」
えへら、と今吉翔一に語りかける顔は、屈託なく嬉しそうだ。

「ほいたらその優しー彼氏のこと、大事にしたってや」
「うん!おじさんありがとう」
「……オジさん?」
「バッ、テメエッ!!」


ワシそんな老けとるかな、と頭を掻きながら背を向けられた。
さっきまではあんなに立ち去りたかったのに、今は追い縋りたくて仕方ない。



覚えときいや、という声は、幻聴だったと信じたい。

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