テンペスト
学校帰りや休日に徒歩で通える範囲にライブラリーの充実した図書館を確保するのは、
黒子テツヤにとってはそこそこ大事なことだった。
入学式と、複雑な心を抱えつつもひとまず本入部した部活動の手続きも終えてからすぐ、市営の図書館に目星をつけた。
児童書から専門書までそこそこの蔵書で、
読書スペースとは別に隔離されたフリースペースがあり、
暑さ、あるいは寒さを凌ぎにやってきてゲーム機をもてあそぶ子供や、
大きな音でワープロを叩き出す人物にも対策ができる。
本をめくりペン先がノートを走る音。そして古いものも新しいものも混ざった、紙と洋墨の匂い。
目で追った活字が脳髄に貯蔵されてゆく充足と、改めて意味を理解して心の中で文章を咀嚼する快楽。
それらを満たしてくれるこの空間を、彼はとても気に入っていた。
「……あ」
そんな図書館の手洗い場で、黒子はわずかな声を上げた。
ポケットからハンカチを引っ張ったのと同時に、いつ入れたか覚えていない小銭がこぼれ落ちたのだ。
コロコロコロ……と床のタイルの目に沿って手洗い場の奥に転がってしまう銅貨は、見逃すには惜しかった。
黙ってそれを追いかけて、洗ったばかりの指先で拾い上げる。
また手を洗わなければときびすを返しかけて、目の前の……一番奥の個室の扉が閉じていることに気がついた。
普通ならばただ他人が使用中であるというだけだが、ぴったり閉じた扉に対して閂の示す色は青い。
鍵は掛かっていない。
そして物音一つしなかった。
そもそも入ってきたときも、他に人がいるとは思わなかった。
「…………」
さっきまで読んでいた探偵小説の影響で、やや気持ちが浮き足立っていたのもあるかもしれない。
黒子は、その閉じきった扉をぐっ、と、押した。
「…………!」
やっぱり鍵は、掛かっていなかった。
が、押すと同時に、べりっ、なんて音がした。
思わず視線で扉を追うと、ガムテープが内側から貼られていた。
本当に、チープなミステリーのようだ。
……が、そんな考えを持つのは難しくなっていた。
テープが剥がれて開ききった扉の向こうに、制服姿の少女が押し込められていたからだ。
「あ……」
暴行された末の少女が、哀れここに放って置かれたのかと。
そんなことを考えて、喉が引きつって変な声を上げかけるのだが、それもまずいのではと冷静な自分がもう一人。
黒子はなんとか声を抑えて固唾を飲むだけにとどめ……洋式便座の上に乗る少女の異様な全体像を見つめる。
制服。まだ真新しい……というか、これは自分が通う高校の女子制服だ。
紺色のセーターも、開かされた脚でめくれるスカートに入る緑のラインも教室で飽きるほど目にする。
スカートから伸びた脚は紺色の靴下だけで、靴は履いていない。本人のものらしきローファーが、すぐ傍の床に転がっていた。
右足はペーパーホルダーの上に乗り上げ、左足はプランと床に余っている。
余っている脚先には、真っ白な布地が絡まっていて……それが下着なのだと考えるまでもなく理解した。
……剥き出しになったスカートの中は、隠すべき肉が丸見えだったからだ。
上半身に目配せすれば、なにより視線が行くのはその顔だった。
口にはガムテープ。
そして目元は真っ黒いアイマスクで覆われていて、考えるまでもなく、これは暴行された後なのでは。
どんなバイオレンスも確率が低いだけで十分にあり得ることなのだと変に冷静な自分の思考が逆にいやになって……けれど、その思考でひとつ、違和感にたどりつく。
テープは外からでなく、内側から貼ってあったのだから……?
服装は制服なのに、鞄だけは学校には持っていかないような大きなボストンバッグ。
もう着衣の乱れも奇妙な拘束もない姿で、少女は恥ずかしそうにカプチーノをすすった。
ファストフード店はお気に召さないらしい。近場の喫茶店がいい、と言い張った。
黒子にとって一杯五百円もするコーヒーを飲まされるのは無意味きわまりないというか、財布の中身が心許なくなるのだが。
「あっ、あはっ、同じガッコの人に見つかるなんて……」
「いえ……」
意味のない否定の後に、なにを続ければいいのか。
……とりあえずあの後、少女のアイマスクを黙ってむしり取り、口元のテープもできる限り優しく剥いだ。
大丈夫ですか、なんて言いかけて……。
ガムテープから解放された彼女の唇がにやりと笑っているのを見て、黒子は自分が巻き込まれたのが、下手をすると事件よりもずっと面倒なことなのではと思った。
「大丈夫なんですか」
「う……うん。えっと……黒子?くん?」
「黒子テツヤです」
「くっ、黒子くんが、誰にも言わないでくれるなら、ぜんぜん平気だと思う……」
……「遊んでいた」のだと言う。
今日だけでなくここのところ数日、ああやってずっと。
そして誰にも見つけられずに二時間ほど経つと、黙ってそそくさと帰っていたと。
「…………」
被虐願望。承認欲求。性的逸脱。
頭の中の辞書からそんな言葉がぽんぽん浮かんできたが、どれもしっくりこない。
「どうしてあんなこと」
「だって……」
とりあえず黒子は自分が頼んだカフェラテをすすってみたが、なんだか苦い。
テーブルの上の砂糖に目配せすると、少女はその視線を受けて、ブラウンシュガーをひと欠片差し出してきた。
それをぽちゃん、とカップに沈めてかきまぜていると、少女が口を開く。
「だって毎日つまんないんだもん……」
なんか熱中できることがなくて。
勉強が必要なのもわかるんだよ、でもさ、するべきこととやりたいことは別じゃん。
少女はいかにもな、スランギーな若者言葉で拗ねて見せた。
「もしボクじゃなくて、悪意がある人に見つかってたら」
「それも運命じゃない?どーにでもなっちゃえっていうか、そのくらいあってくれないと人生つまんない」
「じゃあ、善意の塊みたいな人に見つかって大騒ぎになってたら」
「そしたら、演技する。襲われましたって言って、どこまで嘘が通じるかがんばってみる」
どうでもいいよ人生なんて、という諦念でもなければ、
何かとてもつらいことがあり、いわゆる自傷行為を他人に求めているという複雑な事情でもないようだった。
ただ……ただ、つまらないのだ、と。
「ロックですね」
少し前に読んだ青春小説に、何かとすぐに「それってロックンロールだな」と定義する男が登場した。
反社会的デモクラシーも、ただのいじけもいっしょくたに。
それを真似たわけではないが、黒子がかろうじて彼女を定義するならば、そうなる。
「ロックっていうか、パンクっていうか……」
「カッコいいと思います」
「……カッコよくないよ、それは自分でわかってるの」
少女の表情が、気恥ずかしさからばつの悪さに変化する。
「型を持ってる人が型を超えたら、それは型破り。かっこいいよ」
「はぁ」
「でも私型がないもん。それが型破りでも、破る型がないんだもん。なにをやったところでかたなしなの。基本ができてないの」
「……」
「でもすぐ基本を身につけられるほど頭も良くないし、待てるほどねばり強くないんだもん」
「それはただのダメ人間だと思います」
「もぉ…そうなのっ!わかってるのー!」
そう言ってうぐぐ、と悔しげな顔をする。
……美少女だとは思わないが、愛嬌のある顔だ。
感情表現が豊かで、考えていることがすぐにわかる。
「だからぁ、ちょっとくらいスネてもいーじゃない…?痛い目見れば、もっと「ふつうに」がんばろう、って、自分を立て直せるかもしれないじゃん」
「痛い目、ですか」
「襲われたり、誰かに通報されたり。ツライことがあれば、もうあんな目に遭いたくない〜って思って、自分のために頑張れると思うの」
「…………」
まっすぐにゆがんでいる……などという矛盾した表現が閃いた。
若くしてもう、この少女は現世に飽いてしまっているようなのだ。
「それでもまじめに生きたい」のだという。
「まじめ」を知るために、「ふまじめ」から始めようとしているわけだ。
なにがどう、どこがどう、これがいけなかった……と、
まっすぐに指を差して、ここが問題である……と、言い難い、日常に具に織り込まれ続けてしまったいびつさが、少女を奇行に走らせる。
「じゃあ」
が……きっと自分も歪んでいる。
黒子は固唾を飲み込んで、自分が放とうとしている言葉を意識して……そんなことを思う。
「誰にも言わないから、ボクと遊びませんか」
らぶらぶスイッチ
「…ンッ…!」
鼻に掛かったハスキーな声が漏れて、こんな風にするのがいいんだ、と悟る。
さっきからずっと、黒子くんが身に付けている白いシャツの上から乳首をまさぐってスリスリ撫でていたけれど……ふと、指先に力をこめてぎゅっ、と、尖りを押し込んだら、黒子くんの全身が跳ねた。
「それは……ダメです」
「うん……」
ダメです、に、うん、とうなずくけれど、やめない。
肌に埋めるようにした乳首の先を、さらにぐにぐに押し込んで揉みしだく。
そんな手つきに…なにか言われることもなく、黒子くんの唇から漏れるのは小さな吐息ばかりだ。
「…あ、ホント、に…」
「いいよ……さわってもいいの?」
「いえ…」
黒子くんの半ズボンを押し上げる熱を目にして、そっちにも手を伸ばしたけれど。
「ボクがします、から…」
黒子くんはそれを遮って、自分の手のひらでもどかしげにズボンを脱いでいく。
「……おっぱいだけ、さわってればいいの?」
「……」
コクン、と、無言で、うなずく。
血の集まった肉を空気に触れさせ、それを自分の指で握った黒子くんは、はあ、と大きなため息をついて……背中を震わせた。
「そのまま…してください…」
「…うん、いいよ」
黒子くんの言葉にうなずいて、今度は指先でコロンとした乳首をつまむ。
シャツの上からでもしっかり掴めるくらいに硬くなったしこりを、くにゅっ、くにゅっ、と、押しつぶしながらしごく。
「は…あ、ああ…!」
黒子くんの声が大きくなって、同時に肉茎に添えた手も急に荒々しくなって…。
ぐ、と、はりつめた表面がゆがむくらいに強く、自分の欲をせき立てていく。
「大丈夫…?痛くないの…?」
「……っ、平気、ですから」
だからもっと、という無言の懇願をなんとなく聞き取って、黒子くんの乳首をいじめる手はそのまま、いい匂いのする髪に鼻を埋めて、なめらかなうなじにキスをする。
「あ…!」
「大好き…」
「っ、ボクも、です…っ」
ふっ…と、黒子くんの切ない吐息。
指先は、皮をくいくい引っ張って、いっぱいしごきたいのを頑張って我慢している。
「いいよ…出していいよ…」
「…ボクが、イヤなんです…もっと、もう少し…んっ…!」
可愛らしい意地。
黒子くんは達してしまうのを、このひとときが終わってしまうのをもったいなく思っているみたいだ。
「大丈夫…何回でも、ね?」
「……っ」
幼い子供に諭すように言いながら……不意打ちで黒子くんの乳首を、いっそう強くつねりあげた。
「っ、ダメ、です……!」
その「だめ」は、私への非難ではなくて…自分の限界が近いことを伝えている。
「う…く、う、うう…!」
「あ、んっ…!」
ぶるんっ、と、かぶりを振る猫みたいな大きな身震い。
同時に欲が白く溢れて……黒子くんが受け皿みたいにしていた左手の平にぱたぱた降り注いでいく。
「は……っ、あ…あ、すみ、ませ……」
「ううん」
黒子くんは弛緩しながらも、左手をすぐにティッシュで拭こうとするから。
その手をぐ、と押さえて……ペロ、と舐めてみせた。
「だ…あ、そんなの……」
羞恥がいっぱいの顔で真っ赤になりながら……それでも黒子くんは、ちょっとは嬉しかったみたいで……手を引っ込めることは、しなかった。