ブレーンワールド

「くそ……」
 言いながらルカは舌打ちした。
 傍らの彼女が起きていたならしないことだ。
 今のように眠っていたとしても、平時なら絶対に。
 彼が珍しく悪夢のない暗黒のまどろみから目を覚ますと、隣には愛おしい少女の姿があった。
 お互い服を脱いだ状態で、ベッドシーツと相手の肌のぬくもりを頼りに眠ったのだ。そうだ私はまたこの子を抱いた。
 そう思って微笑みかけて、瞬時に顔が引きつった。
 確かに眼前で眠る少女のかんばせは知っている。ゆうべの行為だって生々しいほどに思い出せる。
「……」
 だが、肝心の少女の名前が出てこない。脳にある。決まった場所にしまわれている。しかしそこを開ける鍵がない。
「う……く」
 頭痛がした。脳が凶器になって頭蓋骨を殴りつけるような激痛が一撃、そのあとにジクジクとした疼きがずっと続く。
 ここしばらく忘れていたこの己の呪われた肉体を、ポンコツの脳を実感させられる思いだった。
(私は常人のなせることを、簡単に行うことができないのだ)
 いらいらした。恋人の名前すら覚えていられない脳などただのガラクタだ。
「ん……」
 そんな体たらくだったものだから、少女が身じろぎした瞬間にルカは飛び上がった。
 もし彼女がこのまま目を覚ましてしまったらどうしよう。
 どんな顔で応じればよいのか。彼女は私を訝しく思いはしないか。
 しかし、そんなルカの焦りとは裏腹に少女は寝返りを打っただけだった。かわいらしい呼吸と、意味をなさない寝言がこぼれている。
「…………」
 ルカは静かに、ベッドに備えつけてある放電装置に触れた。
 そして少女の耳のあたりの髪をすくうと、毛先を指でこねる。
(この娘は、私の醜いものを覆い隠してくれる)
 結局のところ最高傑作を完成させることをなにより大切に考える彼は、少女を一番に想うことができなかった。
 今だって、脳裏に引いた設計図は欠くことなく思い起こせる。これを忘れてしまったら死だとさえ。
 なのに少女の名前は思い出せないときた。
 こんなに尽くしてくれ、己を想ってくれる愛しい女の名をだ。
 彼女のことを呼び、肌を合わせているあいだは、己が冷血な人間であることと向き合わずにいられた。
 他者からの評価などどうでもよかったが、それはそれとしてルカの中にも善心というものがあり、その悪い疼きを、少女はたびたびかき消してくれていた。
 そのモルヒネじみた作用が今、きっかり切れたのだ。
(そもそもこの恋が、嗜虐の心の発露から始まったというのに)
 彼女がルカの電流に打たれたときのビクつきを、彼は決して忘れない。
 そのときの己の心の躍りようもだ。
 そんなおぞましいものが自分の中にあるという事実、それを他者に向けたいと少しでも思う気持ち、そういうものから逃れるように彼女と向き合ったというのに。
「――ん」
 刹那、ふとルカの頭痛が引いた。
 否、なにかが脳のどこかに立て板をして痛みをせき止めたかのように急に止んだ。
「……あ」
 そして、かたくなだった記憶の抽斗が急にガパッと開いた。
 驚くことにその中には、少女の名はもちろんのこと、彼女に触れたいという欲求が大量に押し込められていたようだった。
「なあ……」
 ルカは我知らずのうちににかにかと笑いながら、眠る少女に語りかけた。
 少女はまだ夢の中だ。ルカの声は届かない。
「もしかすると君へのあのときの感情は、私の記憶のトリガーなのかもしれないな」
 控えめな乳房に触れ、その先の尖りを指でつまむ。
「んっ……」
 刺激はさすがに少女を眠りから揺り起こした。
 ぱっとまぶたが開かれて、ルカが覆い被さっていることに驚いた様子だった。
「る、ルカさん……あっ……」
「おはよう」
「んんっ……!」
 返事を待たずに、ルカは乳首をこね回すのを繰り返した。
 彼女がへそのあたりで両手をむずむずさせて、その行為を拒むべきかどうか悩んでいるのを視界に認めると、額に優しく口づけを落とす。
「本当にくだらないことで悩んでいた。だが、君を見ていたら忘れた」
「忘れたって……んんぅ……」
「忘れていたことを忘れた。当たり前のように思い出せる」
「あ……あぁっ、あふ、あっ……」
 結局少女が抵抗を諦め、眼前の恋人の顔にほう、と見惚れるようになるのを、ルカは満足と共に眺める。
(焦ることはない……)
 知識とはありとあらゆるものが並行にある。そこに経験や行動の紐付けがあるかどうかの違いだ。
 なんのことはない、彼女というものへの知識は彼女自身に結びついている。こうして触れていれば必ず思い出す。
 少女は決してルカを拒まないのだから。
 ルカもまたそんな彼女を愛しいという思いは、あんな頭痛に苛まれたって忘れることがないのだから。
 たとえ一番でなくてもだ。
「ああ、そうか……」
「る、ルカさん……?」
「私の中で君は、名より先に感情が来ているのだ!」
「え……え、どういう……ん゛ッ♡」
 ルカは高揚に任せて少女の下腹部に触れた。
 かすかな愛撫しかしていないというのにねっとりと湿ったクレヴァスをなぞり、頂点で尖る肉芽を見つけると、ふたつの指で挟み込む。
「う゛ぅ~~ッ……♡ うっく、き、気持ちいい……とこ……だめぇ……あ゛ッ♡」
 恐れることはない。名を忘れても恋慕も情欲も覚えている。
 名なんて何度忘れたって、彼女は笑顔で教えてくれるだろう。
「くく、私にあるまじき失態だな。目先のことに囚われすぎて……ああ、本当にくだらないことだった!」
「ん゛ひ゛っ♡ ひぉッ、おっ、指ぃ……いぃいっ♡」
 ルカは濡れそぼつ膣穴に指を差し入れた。彼女の感じるところを、猫の喉をくすぐるように撫で回す。
「おッ、おぐっ、おっ、お゛~~~っ……♡」
 たちまち敏感な女体は痙攣し、ルカの指の動きで軽い絶頂を迎える。
「可愛いな。その声がたまらない」
「う゛ひっ、こぉ、こんな声……き、汚い……し、うるさいし」
「汚いものか。私は騒音は嫌いだが、君の声を騒がしいと感じたことは一度もないぜ」
「うぅ……うぅうぅ……♡」
 己ひとりなら苦しむかもしれない。だが恋愛とはふたりでするものだ。
 恐怖はある。しかし名という至極単純なものが思い出せなくなっても、彼女への愛を忘れはしない脳は、逆に信頼のおけるものな気もしてくる。
「うあぁっ、あっ、ああ゛ぁあぁあぁ~~~っ……♡」
 そのコペルニクス的転回の心地よさと性的な高揚に任せて、ルカはいきり立った肉茎を少女の中に埋め込んだ。
「く……いつ入っても、君の中は……最高だな」
「う゛っ、ううぅぅ~っ……くふっ、う゛ぅうぅっ」
 性急な腰の抜き差しに合わせて、少女の肉体がビクン、ビクンと震える。
 ひと突きごとに絶頂をものにするかのような貪欲さに、ルカも呑まれてしまう。
 女らしい丸みの腰を骨張った手でしっかり掴んで、下半身で打ちのめすように律動するのを繰り返す。
「る、るかしゃあんっ、あっ、あ゛ぁ、あぁイく、いっ、イ゛ッ、いっ、イぐっ、うぅっ、うぅうぅうぅぅ~~~っ……!」
「あぁ……!」
 彼女がひときわ大きく震えるのと同時に、ルカもぬとつく蜜穴の中に熱を噴き上げた。
「出てるぅっ……う゛~っ♡ ルカさんの……う、ふぁぁ……あぁ、ふぁ……あああぁっ……♡」
「最高だ。言葉が見つからないくらいだ……ん」
「んむっ……」
 少女がうっとりするのを恍惚の気持ちで眺めてから、そっと口づける。
 呆然としているようにも見えたのに、彼女は積極的に舌を絡ませてルカの八重歯を探った。
 尖って痛いはずなのに、舌先でそこを撫でたがる。
(ふふ……この癖も忘れることはないだろうな)
 彼女の濁音めいた喘ぎ声や、この舌で乱杭歯を探る癖や、絡んでくる粘膜の感触。
 これらがそう簡単に記憶から消えることなどないように思えたし、消えたとて、きっと彼女が思い出させてくれるに違いない。