インタラゲーション・ホーム
「…………」
その日銃兎は、疲れに疲れていた。
薬物の売人が出入りする現場の情報を掴み、腕をまくって数日張り込んだが結局空振りとなった。
三日ほどろくなものも食べず、ほとんど眠らずに過ごしたツケは、職務から解放された夜にどっと押し寄せてきた。
(……人間様ですなんて言っても、結局は動物なんだな)
今すぐにでも部屋のベッドで寝たい。気を抜くと倒れそうだ。それだけ疲弊しているのに――否、しているからこそ、極限状態で股間がズボンの中でぐっと上向きになっていた。
いわゆる疲れマラというヤツである。
(……ああ、でも……)
頭をよぎったのは、数日帰らないと電話で告げたときに心配そうな声をあげた自分の恋人のことだ。彼女はきっと今も、部屋で銃兎の帰宅を待っている。
彼女の寂しさを考えて、短い休憩中にはメッセージアプリで連絡を入れていた。それにも「気をつけてください」「早くかえってきてください」という無邪気に自分を気遣うレスがあった。
「………………」
今すぐ帰ってを安心させてやりたい。
(いや……)
――果たしてそれが彼女を思いやることになるのだろうか?
こんなに股間をバキバキにたぎらせた状態で帰宅しての姿を見たら、きっと疲れは一瞬にして吹き飛んで、自分は彼女をブチ犯すに違いない。
のほうもそれをこっそり望んでいるのは、なんなら銃兎はわかっている。
だが……本当にそれでいいのだろうか。
紆余曲折あって自分たちは気持ちを確かめ合い、しっかりと恋人同士になった。
だというのにこんな、愛情を上回る本能を……いや。
気取った言葉を使うのをよせば「疲れたから抜いてスッキリした後に寝たい」という欲望を、恋人に押しつけてもいいのだろうか。
今まで女性と同棲するような深い仲になったことがなかった銃兎は、そのへんの割り切りができないでいた。しかも相手はあのいたいけなだ。
「……あ」
そんなことを考えながらヨコハマ・ディビジョンを歩いていた銃兎の視界に入ってきたのは、個室ビデオ鑑賞店の看板だった。
のっぴきならない事情で「家でシコる」ことが難しい男性が、アダルトビデオをレンタルして備え付けの個室でゴソゴソやって退出する時間貸しのスペース。
「…………」
こんな場所、ヨコハマの中でも治安の悪い区域にある店に「薬物中毒者が中でラリッてるのでなんとかしてくれ」という通報を受けて入り込んだのが最後だ。まさか自分が客として利用する立場になるなんて。
だが、もう銃兎は止まることが難しかった。彼の足はふらふらと「カギ付き完全個室」とデカデカ書かれた店の階段を登っていく。
◇
「うっ……ふ……はぁ、あぁ……」
――やってしまった、と思った。
銃兎はさらに疲れた体を引きずって自宅に戻った。予想通りは眠らず、銃兎の帰りを待っていた。
普段の彼なら鬼のようにペニスを硬くして彼女を押し倒していただろうが、そこは個室ビデオ鑑賞店でスッキリした後。笑顔で出迎えを受け、ネクタイを緩め、が用意してくれていた風呂に入った。
が、問題はそれ以降だった。なんとのほうから夜のお誘いをしかけてきた。あるいは彼女のほうからも、三日も離ればなれだったのに、銃兎ががっついてこないのが肩すかしで、ちょっと不安だったのかもしれない。
明日にしましょう、と言うこともできたはずだが、ワンピース型のパジャマの裾を持ち上げて、下着を見せようとしてくる稚拙な誘惑を前にして、銃兎は股間ではなく胸が痛くなった。
なのでもう最後の力を振り絞る、明日はもう昼過ぎどころか夕方まで寝てやる気持ちで銃兎はを抱くことにした。
しかし、思わぬトラブルに見舞われた。いや、これは銃兎の身から出た錆とも言えた。を責めることはできない。
いつも通りは、唇を使って銃兎のペニスを愛撫した。そして普段命じているように、フェラチオだけで一度精を抜きしぼろうとする。さすがに今の状態でそれをされては困るので「きょ、今日は早くお前の中に入りたい」と誘導を試みたが、はムキになった。
銃兎に仕込まれたテクニックでむしゃぶりつき、そのまま口内射精をさせてしまった。
(まずい……今日はもうさすがに無理だ……)
いつもは一度口奉仕で精を飲ませてからを犯す。彼女相手なら二度吐精するのは苦ではないどころか当たり前だ。
この疲労と、ビデオ屋で一発無駄撃ちしたことを思うと、もう今日は彼女の中に入る元気がない。ペニスはみるみるしおれていった。
銃兎の精をごくん、と飲み干したのほうを後ろめたくてしっかり見られない。
「すまない……本当に疲れてるんだ」
「……」
「かわりにお前のこともしっかりよくしてやるから……今夜は……」
「…………」
なにも言ってこないを不審に思ってちらりと顔を見やると、は不思議な顔をしていた。
「……じゅうとさん、ずっと、おしごとでしたか?」
「あ……ああ。そのせいでロクに寝てなくて……」
「うそじゃないですか……?」
「はぁ!?」
首をかしげていたは、内心ドキリとしてオーバーリアクションした銃兎を見て、なにか感じるものがあったらしい。急激に目の前の男を疑うような表情になった。
「三日、ずっとおしごとしてたんですよね?」
「そ、そうだ。張り込みだったんだよ」
「じゃあ……どうして……」
「いや、今日元気がないのは……その、本気で疲れてて」
「うそです。ぜったい一回、出してます」
(どういうことだ……!?)
の瞳には確信の力強さと、嫉妬のようなものを帯びた勢いがあった。
「いつもは、口でしたら、びゅーって出てきます……のどにあたる」
「!?」
「今日は、なんか、ぢゅるって出た……おちんちんはかたいのに、せーえきが少なかった」
「!?!?」
「もしかして………………うわき?」
「ち、違う! 浮気なんかしてない!」
まさか己の射精の量で素行がバレるなどとは思いもよらなかった銃兎は、頭をぶんぶん振り、ついでに両手も挙げて潔白の意思表示をする。しかしの視線は鋭いままだった。
「おしごとは、うそで……女の人に会ってた?」
「馬鹿、思考が飛躍しすぎだ! な、なんで精子が少ないだけで浮気を疑われないといけないんだ!」
「ばかじゃないです……」
いや、本当にそうだ。彼女は馬鹿どころか、銃兎にとって予想外なところで鋭かった。
「うっ、う……」
「おい……!」
は涙ぐむと、ベッドサイドに置いていた自分のスマホを片手に立ち上がった。
「さまときさんとりおうさんをよびます……」
「やめろ! なんでそいつらが出てくる!」
「だって、ふたりは、じゅうとさんがなにかしたらすぐ言いつけろって言ってくれたから……」
「なにもしてないだろ! 浮気は濡れ衣だ!」
「じゃあ……じゅうとさんのせいえきはどこに……?」
「うっ……く……! あ゛~~~……!」
銃兎は全裸でベッドに大の字になった。仕事の疲れ、二度も精を吐いたことによる思考停止、急に向けられた嫌疑への精神疲労、いろいろなものが重なっておかしくなりそうだった。
◇
「……じゃあ、じゅうとさんはそのこしつびでおかんしょうてん……で、せいえきをすててきたんですね」
「……そうですよ。張り込み中は同僚とずっと一緒でしたし、店にも来店履歴が残ってるでしょうし、他の女なんか入り込む余地はないですからね」
「ほんとかな……アリバイこうさくってやつじゃないですか?」
「偽装するならもっとマシな店を選んでますよ……ハァ」
はスマホで銃兎が行った店のサイトを見て、それからその店がどういう用途で使われるのかを彼から聞き、ようやく納得したようだった。
が、直後にまた険しい顔になる。
「…………どうして? セックスしたいなら……かえってきたら、私がいるのに」
「…………」
それは、銃兎が店に入った理由そのものだった。
「いつもみたいに、いっぱいしてくれればよかったのに……」
「いや……」
そんな欲望に、愛しい女を付き合わせることに罪悪感を覚えたからああした。
だがそれは、彼女の望むところではなかったらしい。
「………………次からは、お前とする」
「……はい」
「溜まって疲れマラになったら、すぐブチ犯しに帰ってきてやるからな」
「はい……」
「……笑うな」
はやっとにんまり笑顔になった。
(こんなに……)
こんなにあどけない女を、銃兎自身よりも銃兎の体に詳しい淫乱に仕立て上げてしまったのは自分なのだ。そう思うと自己嫌悪と征服欲が同時にわき起こる。
「おやすみなさい、じゅうとさん……」
「ああ……おやすみ」
だが、銃兎は彼女を愛していたし、彼女も銃兎を愛していた。ならばそれは、何者かに裁かれるような罪悪ではない。そう思うことにした。
いたわりのつもりで、もはや寝落ちする寸前の自分の髪を撫でてくれる少女の指を……心地よく感じた。