春の花

「芥川先生、お誕生日おめでとうございます」
 三月一日。芥川龍之介の誕生日となるその日、帝國図書館は賑々しい雰囲気だった。
 これだけ人数が揃えば、毎月と言っていいほど誕生日を迎える文豪がいる。祝いの席は主に、親しい文豪たちの手によって彩られた。
 料理の得意な者が厨房を貸し切って腕を振るうこともあれば、大きなフラワースタンドを注文したりすることもある。
 司書も尊敬と感謝をこめて、彼らを祝うことにしていた。嗜好を調べて贈り物をする。
 芥川に対してもそうだった。彼が甘いものを好むと聞いていた司書は、評判の和菓子屋で一番人気の羊羹を包んでもらっていた。
 それを届けに食堂へ向かう道すがらの廊下で芥川と鉢合わせしたものだから、若干焦りながらもちょうどいいと思って包みを差し出した。
「ありがとう。結構重たいね、なんだろう」
「羊羹です。一本は多かったでしょうか」
「ああ。中身がわかると、この重さも嬉しくなってくるね。一本くらいすぐ食べられちゃうよ」
 芥川の言葉に、司書はほっと胸をなでおろす。
「でも、もうひとつほしいかな」
 しかし芥川はふいにそう言った。背の高い彼は静かに腰を折ると、司書と視線の高さを合わせて、じっと彼女を見つめる。
「先生……?」
「ほら、ここに」
 芥川との距離がいっそう近くなる。長い睫毛に、柔らかそうな頬にすうっと通った鼻筋。司書はどきりと胸が揺れることに罪悪感を覚えながらも、彼の求めるものがわからず、見つめ返すしかない。
「ここだよ、ここ」
 再び言って、芥川の指がすっと司書の唇に伸びた。触れる寸前のところまでやってきて引き返し、今度は芥川の頬を指す。
 その仕草の意味するところを理解して、司書は驚くほかない。自分の解釈が正しければ、口づけを求められているのだ。
 この図書館で、彼女と恋愛的な意図を持つ触れあいをしたのは菊池だけだ。それは目の前の男だって知っているはずだった。
 だから司書は困惑してしまう。この、今はもう息がかかりそうなほど近くにいる美しい男が、なにを考えてこんなことを求めているのか察することができない。
「あ、あくたがわ、先生……?」
「できない?」
 芥川の細い眉がくなりと悲しみの形を作った。そんな顔をされると、まるで自分がとてつもなく悪いことをしたかのように思えてくる。美しい面貌というのはただ在るだけで人を圧倒してしまうのだと、司書は場違いにも実感する。
「じゃあ、ここは?」
 長い前髪がかきわけられ、きりりとした眉を乗せた額がさらに露わになった。どうやらそこに唇を落とせと言いたいらしい。
「本当は頬ぺたがいいけれど、司書さんが嫌ならしょうがないよね。ここで、ね」
 美しい男というのは本当に不思議だった。まったく理不尽な要求をされているというのに、その微笑みを見ていると、まるでとてつもない慈悲の心でたまさかな譲歩をしてもらい、その優しさに感謝しなくてはならないという気持ちになってくる。
「司書さん。して? 欲しいんだ」
「あ……う、でも……」
 芥川の青い瞳は、いつ見ても二律背反を抱えている。非常に聡明で、深い悲しみをたたえたような光を持つのに、それが芥川の顔の輪郭におさまってひとつのパーツとなってみると、無垢な少女のような眩しさを放つ。
 そんなあどけない存在の望みを聞き入れないというのは、ひどく残酷な人間のすることに思えてくる。
「親愛のしるしに、ね。これからも君のために頑張るから、ちょっとだけ温もりをわけてほしいな」
 さらにそう言われてしまえば、断ることなど不可能だった。自分は芥川にいいように操られていると思う。だが、彼ほどの人がそうしてほしいと願い、ねだるのだから、応えないのはひどい裏切りだとも思う。
「少しでいいんだ」
 けれども自分の唇は、今は菊池のためにある。いくら頼まれても、それが情愛のこもったものでなくても、彼以外の者に口づけることはできない。
「ごめんなさい、私」
「お前ら……なにを」
 司書が心苦しくも口にした瞬間、驚愕の声が響いた。慌てて振り返ると彼女の恋人、菊池寛その人が虚空に腕を突きだして呆然といったふうな顔でふたりを見つめていた。
 司書は言葉を失い、なにも言えないまま助けを求めるように芥川を見てしまう。すると驚いたことに、彼の顔はにこにこと笑みをたたえている。 打ちのめされたような顔の親友と司書を交互に見て、屈託なく笑っているのだ。
「残念。もうちょっとだったのに」
「なにを言ってるんだ」
 菊池の表情は不可解にとりつかれていた。その声には怒りや焦りではなく、軽い恐怖のようなものが透けている。
「冗談だから、気にしないで」
「え……あ、芥川先生っ! もう!」
 ようやくからかわれたのだと気がついて司書は羞恥と怒りをあらわにするが、芥川はにこにこ笑うばかりだった。
「司書さんがね、寛以外にはキスしたくないって」
「龍!」
 芥川が笑いながら口にしたのを聞いて、やっと菊池が弛緩する。目の前の友人をたしなめる口調になったのを見て、司書はなんだか安堵してしまった。
「あんまり仲良しなんだもの。たまにはからかいたくもなるよ」
「子供か。悪ふざけにもほどがあるぞ」
 言いながら背後から肩を抱いた菊池は、そのまま司書の身体をくるりと転回させて歩き出す。つられて歩く司書は、どうやら司書室に向かっているらしいと気づく。
 ちらりと振り返ると、芥川は小さく手を上げてひらひら振っていた。
 本当に冗談だったんだ、と司書はやっと落ち着きを取り戻していた。
 が、己の肩を抱く恋人の手が、べったりと汗にまみれていることに気がついて、心臓を鷲掴みにされたかのように緊張した。
 今まで菊池に対してやましい気持ちなど、抱いたことはほぼない。あるにはあるが、それは己の至らなさゆえだったり、彼のことをどこまでも欲してしまう貪欲さへの自己嫌悪だったりした。他の異性と親しくしすぎて罪悪感を覚えることなどは無に等しい。
 だからどうしていいかわからなかった。一体なにを話せばいいのか。そもそも自分は許されるのか……。
 廊下の先にある司書室にたどり着くまで菊池は無言で、それがさらに司書の身をすくませた。
「せ、先生……私、んっ……!」
 あれこれといいわけを考える司書の口を、菊池が獰猛にふさいでしまう。唇同士を触れ合わせたかと思うと頭の後ろに手を回し、ぐっと密度を高めてしまう。
 性急に口腔に舌がねじこまれ、司書はひたすらに蹂躙された。こんなに強引にされることなど滅多にない。
「いや……悪いな」
 ようやく唇が離れて、慌てて深く呼吸をするさなかに菊池が口を開いた。
「焦った……龍もとんでもないことをしてくれたもんだ」
「あ……あの、本当に、冗談だと思うので……」
「わかってるよ、そんなことは」
 菊池が司書を抱きしめる。彼の胸板と自分の鼻先がぴたりと触れあうと、やはり自分の恋人は彼だけだと実感できる。
「わかってても焦ったよ」
「ご、ごめんなさい」
「アンタを責めてるわけじゃないんだ」
 言いながら菊池の手が司書の身体をまさぐった。腰を抱いていた手が尻を撫で、スカートの裾をたぐり寄せようと布を捲り上げていく。
「せ、先生っ」
「駄目なのか」
「だめじゃ……でも、みんな……むこうで、芥川先生のお誕生日会してるのに」
「知らないなあ」
 いつもよりもかたくなにむこう見ずに、菊池は司書の声を遮った。
「俺のお嬢に悪さをするやつの祝いの席なんか、知ったことじゃないさ」
「悪さって……大丈夫です。なにもされてないです」
「ふうん、龍をかばうのか。すっかりほだされちまったみたいだな」
「ちっ、違います!」
 スカートの下のストッキングを膝まで下げられ、下着もたやすくずらされてしまう。
「ひゅっ、ひゅぐうぅっ♡ いや、らめ、く、くりとりひゅ……らめれすうぅっ♡」
 指は何度も割れ目を往復したあとに、司書の弱点というべき場所をまさぐりだした。大きすぎる快感と愛しさに声を上げながら絶頂をこらえ、逃げるように尻をもじもじさせたが菊池は容赦しなかった。
 肉芽をつまみ、親指と人差し指を小刻みに動かしてしごきあげる。まるで神経を焼かれるような激感で司書が悶絶しても、いつもよりずっと嗜虐的な顔をして手を緩めない。
「んひぃいぃっ! せんせっ、いや、許してへぇっ♡」
「すごいな。時計が濡れた」
「あっ……!」
 ふいに菊池が手を司書の前にかざす。言葉どおり、司書の秘唇から溢れたもので、彼が巻いている腕時計まで濡れていた。
「不思議な気分だな。図書館にいる全員と顔見知りなのに、アンタがこんなに水気の多い女だってのを知ってるのは俺だけなんだから」
「ふぅぅっ……うぅっ、いや……♡」
「挙げ句にこいつを入れられると、我を忘れて啼いちまうってこともな」
 先ほどのできごとは、菊池の情念に強い影響を及ぼしている。いつもよりずっと意地悪に司書を責め立てて、言葉の端々にも普段は感じない棘が潜んでいる。
 しかしそれは司書にとって、不愉快なものではまったくなかった。棘の奥底にあるのは愛しさで、菊池はどんなときでも司書を包んでくれる。ただその腕の肌がちくりとささくれ立っている。ただそれだけだからだ。
「うあぁ、あっ、あっくふうぅぅぅぅ……!」
 壁に押しつけられて、立位のまま菊池の熱が割れ目に入ってくる。自重でペニスが奥までめりこんでくる感触に、腹の底から声がこぼれてしまう。
「これがいいか。なあ、お嬢」
「いひぃっ、いい、いいですぅっ♡」
「たぶん、龍のほうがでかいぞ」
「ひいッ……?! な、なんてこと……い、いい、言うんですかぁっ」
「それでも俺を選んでくれるか?」
「あたりまえ……ですっ……お゛ッ゛ッ゛ッ♡」
 答えた瞬間に菊池の動きが獰猛になった。まるで司書の腹の底を突き壊そうとするように激しく腰を使い、何度も何度も粘膜を往復する。
 不思議と司書には、その強い律動が甘えのように感じられた。この愛しい人の猛りを受け入れる使命が、自分にはある。そんな思いでとことん身体を開き、快感に逆らうこともしなかった。
「おっほおぉっ♡ せっ、せんせ、ああぁあぐるうぅッ♡ おまんこぎぢゃううぅっ♡ イグイグイグうぅぅっ♡♡♡」
「くお……はあっ、いつもよりも調子がいいな……立ったままはめられるのがいいか?」
「いっひィ、いひ、ああぁッ、せ、先生にされるならなんれもすきぃ♡ しゅきっ、しゅきひぃ~っ♡ あ゛ッひィっ、イグぅっ、イグッ、あ゛ぁ゛~~~~~~~~~っっ♡♡♡」
 司書がひときわ大きい絶頂に襲われた瞬間、菊池もぐっと喉に詰まらせたような声で呻いた。同時に熱いものが膣穴の中でしぶいて、粘膜のひだにねっとりと絡んでいくのを感じとる。
「あ……はぁ、うぁ……」
「おっと……」
 崩れ落ちそうになる司書を菊池が抱えあげる。そのまま乱れた髪の毛をかきあげ、額に唇が寄せられた。
「愛してるよ、お嬢……アンタを誰かに取られたらと思うとぞっとする。傍にいてくれ」
「せんせ……ふぁ、私も……です、愛してます……」
 それ以上の言葉が見つからない。愛しすぎて、この感情を形容する表現がない。
(少しでも、伝えられないかな……)
 己の不器用さが、語彙のなさがつくづく憎くなる。
 せめてもの思いで菊池の背に腕を回し、この手から愛情が伝わってほしいと願った。