第8章 北部最前線−サリム編−

 

2001年7月 アフガン北部タラカーン近郊

俺は参謀本部より派遣された査察官として、この一ヶ月北部同盟との最前線基地を廻っていた。車が役に立たない山岳部に基地があることも多い上、馬に乗るのが好きなこともあり騎馬にした。戦況は膠着状態で、日に何度か砲撃し合うほどのものになっており、士気が低下し、綱紀が乱れている場所も多く、俺にとって不愉快な仕事でもあった。しかしそれ以上に不快だったのは、軍情報将校サイモン中佐に叱責された内容だ。

俺は、カブールを出発する前に中佐と衛星電話で暗号を使って連絡を取ったのだが、「今ごろ飛ばされるとは、一体何をやらかしたんだ?前線廻りなどに貴様をやったのではない。最近どうかしているぞ。キャラバンの一件はいずれ詳しく報告させる。とにかく早急に本部へ復帰すべく努力しろ!」といきなり雷を落とされてしまった。
(クソオヤジめ。無茶言うぜ。早急に本部へ戻れだと・・・)
俺は中佐の馬面を思い出してうんざりした。加えてUAEの病院に入院中のラディソの病状も探れと言う。
(奴が帰国したら、泣きついてみるか・・・?)

俺の愛馬、栃栗毛のシャリマールが急にいなないたので、俺は手綱を引いて首筋を軽く叩いた。目の先にはタラカーン付近の基地が見えている。
(泣き付くだと?やはり中佐の言うように俺はどうかしているようだ・・・・)
俺は自嘲して首を横に振った。またシャリマールがいななく。どうやら俺の目指す所では、何か起こっているらしい。

最前線タラカーン近郊に駐屯するアジーズ中隊の駐屯基地では大混乱となっていた。俺は兵舎や武器庫らしき建物から火の手が上がっているのを見た。兵士どもは消火に夢中になって、死者は放置されたままとなっている。血まみれの負傷兵が担架で運び出されていたりするが、物的損害よりは精神的ダメージが大きいように思える狼狽の仕方だ。彼は下士官らしき中年の男を捉えた。兵士は言った。
「マタハリックの襲撃があったんです。獅子が出たんだ」

マタハリック特別遊撃隊─アフメッド・シャー・マスード直接指揮下の精鋭部隊だ。俺はその兵士の案内でようやく司令部へ入ることが出来た。司令官室では、20そこそこの若い男が青い顔をして席に座っている。
(まさかこの若造がアジーズじゃないだろう)
俺が自分の性名、所属、階級を告げても、呆然と放心している。
「しっかりしろ!」
俺の一喝でその男は慌てて立ちあがり、事情を説明し出した。

昨夜、アジーズ中隊は豊富な火力にものを言わせて、北部同盟の広野の陣地を占領した。夜半、敵方のゲリラ部隊の奇襲があることを、中隊長アジーズは予測していたが、悪いことにそのゲリラ部隊は、マスード司令官に訓練されたマタハリック遊撃隊だった。守りの手薄な南側を正確に見破り、砲撃と共に騎馬での突撃を受けて中隊は壊滅状態になり、自分達の基地を目指して敗走した。敗兵が基地にようやく逃げ込もうとすると、更に別 働隊が待ち受け、基地内へ侵入し、武器庫を破り、アジーズ以下の幕僚を捕虜にして引き上げたということである。

「残った将校は自分一人です」
ハルドゥンという若い少尉は半べそを掻きながら報告する。その上、俺が来る直前、マスード直々より捕虜交換の提案の電話が入ったと言う。この基地内で拘束されている北部同盟の兵士数十人と、アジーズ以下10名の交換の交渉だった。俺はこの中隊の所属する大隊へ連絡を取り、許可を貰い、一時的に中隊の指揮権を得ることに成功した。
「サリム・ラフマーン大尉がお伺いすると伝えてくれ」
ハルドゥン少尉が連絡を取る。果たして戻ってきた答えは、こうだった。

「謹んでお迎えする。マスード」

 

 

俺は、ハルドゥン少尉とその小隊に捕虜を護送させて一緒に北部同盟の基地へ乗り込んだ。捕虜はいずれも手ひどい拷問を受けており、衰弱し、恐怖に慄いている。
(彼はジュネーブ協定を遵守していた。この様を見れば怒るかも知れん)

捕虜以外にも小隊の連中も恐怖で顔色が蒼白になっている。マスードの名前は、タリバンでは悪魔と同義語のように考えられていることを、俺は本部勤めの間、改めて知った。対ソ連戦での両指に余る武功や、智謀の伝説は遠くは欧州にまで雷鳴を轟かせている。幾度にも及ぶソ連のヘリ部隊との死闘を耐え抜き、敵の戦車に対し、騎馬で砲撃の合間を縫って攻撃し壊滅させたりと列挙するいとまがないほどである。そして戦士の間における「マスードがいるから負けない、大丈夫だ」という全幅の信頼が何より彼の軍隊を強力にしている。軍事的才能と将器を併せ持つ希有な人物として味方にも敵にも認識されているのだ。

タリバンが彼を怖れることは甚だしく、極力直接対決を避け、ドスタム等他の勢力を個々に撃破し、周囲から切り崩す作戦を取っていた。
(アジーズは不幸にも彼の軍隊にブチ当ったか)
北部同盟の基地内に入った。騎馬隊が俺達を出迎え、周囲を取り囲む。そのまま進むとやがて一件の簡素な建物が見え、その前に一人のタジク帽を被った男がいる。マスードだ!俺は西洋風の敬礼をした。彼も俺に気付いたらしく、彼独特の人を包み込むような柔和な笑いを浮かべ返礼した。

「ここでお前に会うとは思いもよらなかった。何年ぶりだろうか?」
これが人払いした司令官室でのマスードの第一声だった。
「お久しぶりです。確か15年になります」
俺はこれ以上言葉が出ない状態だった。15年の歳月は、俺の背を彼のそれを軽く越えたものとし、彼の黒髪の半分を白く変え、ひきしまって精悍だった顔に多くの消えない深い皺を刻んだのだ。ただ人の心に染みとおるような懐かしい笑顔だけは変わっていない。

「話は後にしてまず用件を済ませよう」
彼は笑顔を消して机を前にして座った。机の横のくずかごには、彼が読み捨てた手紙が山のように溜まっている。俺は彼がアフガン各地から寄せられた膨大な量 の各種の手紙を次々と読み、処理していくことを知っている。彼はアフガンの人間に珍しく、即決で物事を効率よく運ぶのだ。処理済の手紙を次々と破り捨てるのが、彼の習慣になっている。

彼は俺に捕虜交換の条件を提示した。
「サリム、お前の話はサイモン中佐から聞いていたが、今はタリバン参謀本部の将校なのか?」
交渉が終わり、彼は俺にミントティーを振る舞いながら言った。厳しい表情が和らぎ、昔と同じ笑顔になっている。
「はい。本部より前線の査察に派遣されているのです」

サイモンと彼は対ソ連戦開始時以来の古い盟友だ。俺は15年前、マスードの軍隊に協力を要請に来た当時のサイモン中尉に出会い、共同作戦に子供ながら参加し、彼にスカウトされて彼と共にアフガンを去ったのだ。俺はマスードに、参謀本部へ潜入するまでの経緯を説明した。彼は俺の話を聞きながら、頭の中で系統立て、整理し、分析している様子だ。鋭い理性と頭脳の明晰さが、彫りの深い顔に出ている男でもある。

「なるほど。お前は孫子に言う内間という訳だな」
俺は聞きなれない、内間という言葉の意味を彼に問うた。
「東洋の兵書、孫子の中にある言葉だ。間者には、生間、死間、内間、郷間、友間とある。そのうち敵の内部に入れて内情を密かに収集するものを内間と言うのだ」
彼は古今東西の兵書を通読しているので詳しい。
「お前のように目立つタイプは内間には不向きなのだが、サイモン−引いてはアメリカの意図するところは、最終的にラディソか?」

マスードの目が鋼のような鋭さを帯びてきた。俺はいかに彼とは言え、内部の極秘指令を告げるべきではないと思ったが、彼は虚言で誤魔化せるような人間ではない。俺は無言を持って肯定した。すると彼は熱の篭った口調で言う。
「私は基本的には暗殺というやり方は賛成できない。政治的にも長いスパンで考えるとマイナスになることも多く、新たな報復を生むだけだろう。それにお前は死の危険に晒されるぞ」
俺は本音で答えた。
「もちろん私は自分の身柄を確保できぬ場合は、いかに最終指令が出たとしても、実行する気はありません」
彼は軽く笑って言う。
「相変わらずだな、サリム。しかしどうもアメリカ人は短絡的で巨視的視野に欠けるようだな。サイモンはいい男なのだが・・・・」

そうだった。ソ連撤退後、アメリカはもう用はないとばかりにアフガンから一斉に引き揚げた。そして内戦状態になり、権力の空白が過激原理主義政権の勃興を許し、この国は狂信者、テロリスト、犯罪者、傭兵などの魑魅魍魎が跳梁する地獄と成り果 てたのだ

 

 

「お前はラディソをどう思っているか?」
唐突にマスードの言葉が俺の心に切り込んできた。
(どう思うかとは?何だ?)
俺はすぐに彼の目を見た。一点の曇りもなく、パンジシールの青空のように澄んだ瞳だった。

「ラディソには相反する要素が多々あるように見受けました。その矛盾が魅力となっていることは否めません。一種のカリスマでしょう。ただ有能な各顧問の存在に支えられているのは確かです」
俺の言葉を聞いて彼は頷いた。
「私も彼という人物を知ってるが、確かに魅力ある男だ。富豪の家に生まれながら、安楽な生活に背を向け聖戦に身を捧げる姿は多くの若者の共感を得るだろう」

「しかし」
彼は一旦言葉を止めた。顔に苦渋の表情がある。
「私は今年ヨーロッパで彼を断罪した。共にソ連と戦った彼を弾劾するのはつらいことだった。だが、彼は今や犯罪者なのだ。いかなる大義名分を掲げても彼が示唆したテロは犯罪だ。彼はやはりこの国を出てしかるべき場所で裁きを受けねばならない」
彼の揺るぎ無い信念が俺の心に深く響いた。

マスードは俺の馬に話題を転じた。
「さきほど見たお前の馬は、滅多にない素晴らしい馬だね」
俺は彼が昔、栗毛の駿馬を持っていて、よくパンジシール川沿いを疾走していたのを思い出した。彼はブスカジの名手でもある。俺の馬好きは彼の影響なのだ。
「優雅な馬体だが、あれは千里を走る名馬だと見た。おそらく乗り味は外国の高級車のごとくいいはずだろう」
「もしよろしければシャリマールをあなたが御使いになりませんか?」

俺は彼があまりにもシャリマールを気に入った様子なので、譲渡を申し出た。 彼は当然固辞したが、俺にはこれほどのことしか彼の為にできないと思ったので、更に重ねて薦めた。
「捕虜交換の条件に馬も入れておきましょう。獅子に馬を取られたと言いますよ」
俺が提案すると、彼もようやく受け入れる気になり、山を遊び場としていたと言う少年時代に戻ったかのような笑顔を浮かべ、俺に礼を言った。俺は嬉しくなった。

「よけいなことかも知れないが」
マスードは何かに気付いた時はいつもこう切り出す。
「シャリマールは一介の大尉の手に入るような馬ではないと思うのだが?」
こんな場合、俺は彼の納得の行く説明をせねばならないことを知っている。
「あの馬は自分で買ったものではなく、報奨として貰ったものなのです」
彼は俺の言葉に付け加えた。
「ラディソにか?」
「そうです。奴が移動中砲撃された事件で空軍相を黒幕として摘発した私に対する報奨品があの馬なのです」
これは真実だ。俺が初めて奴のアジトへ招聘された時、下賜されたのだ。俺は彼にラディソが政権内の高官の心を獲る為に、数十万ドルの外車や現金をバラ撒いている話も聞かせた

 

 

彼は俺の話を黙って聞いていたが、やがて静かに立ちあがり本棚から一冊の本を取り出して、俺の前へ置いた。
「昔お前が私の所へ来た時、持っていたアメリカの本だ」
俺のオヤジがオフクロを捨てて帰国した後、何の気まぐれか、送って来た写真集だ。表紙は天を衝く双子の超高層ビルの写 真だった。その他全米の名所やアメリカ人の生活が紹介されている。俺はすべてのページを覚えていて、いつかその場所へ行き、彼らと同じ生活をするのだと子供心にも誓ったのだった。

どんな宗教や思想も俺を染め上げることができなかったのは、この本で見た父の国の文明への憧れが勝っていたからなのだろう。マスードの元を離れる時置いて行ったのだが、今まで保管してくれていたとは・・・
「ソラヤがお前が戻ってきたら渡すようにと頼んでいったのだ」

ソラヤ!俺は彼の愛人の名前を久しぶりに聞いた。彼が好きなアフガンの野の花のような可憐な美しさを持つ女性だったが、今のマスード夫人は彼女ではないようだ。マスードの部下の娘との噂を聞いたことがある。俺は迷ったが、やはり気になったので愛人・ソラヤの消息を尋ねてみた。
「彼女はコスト谷へ帰ったのでしょうか?」
「いや、彼女は死んだ。私のせいで暗殺されてしまったのだ・・・」

俺は彼の目に光るものを認めた。予定時間をかなり超過してから、俺は司令部の外へ出た。ハルドゥン少尉や解放されたアジーズ以下の幕僚等は、俺の姿を見て安堵したようだ。マスードは北部同盟の最前線の広原まで俺達を見送ってくれた。荒涼たる大地を俺は彼と馬を並べて進む。
「少年のお前は、父の国へ付くと言い切ったが、今でも考えは変わらないか?」
「はい」
俺は迷いなく返答する。
「しかし私はやはり両国の血を持つお前に期待しているよ」
彼は笑ったが、どこか寂しげに見えた。

激戦が行われ壊れた戦車が横たわる基地跡で、俺は彼と別 れた。別れ際に彼は慈愛に満ちた表情で俺に言った。
「いつでもお前のことを心配している。決して無理はするな。死んではいかんぞ」
俺は目頭が熱くなるのを感じたが、何とかこらえた。そして言った。
「時折あなたの暗殺という話題が上がることがあります。どんな手を使うか得体の知れない連中です。どうか御用心をなさって下さい」

しかしマスードは透き通った笑顔で哲人のように語った。
「私が死ぬ時、それは神の意志だろう。その時まで燃焼するように生きたい」
これが俺が聞いた彼の最後の言葉だった。

 

2001年9月9日 アフメッド・シャー・マスード死去

 



2001.12.10■■

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