シゲオの死後、当然のように追悼ライブの企画がもちあがり、会場は日比谷野外音楽堂に決まった。屋上のメンバーたちもそれぞれのバンドで出演することになっており、潤も誘われたが学校があるからと断った。

とは言ってもあいかわらず学業には身が入らず、シゲオの死から現実はますます薄くゆらいでどうでもいいものになっていた。もう追悼ライブさえ興味が持てず、当日、潤は日比谷には行かず屋上のスタジオに向かった。

シゲオのいたサマーベッドに寝そべると、空は相変わらず青く澄み渡っていたが、ほおに吹く風は物悲しい秋の訪れを告げていた。しばらくボンヤリと、何を考えるでもなく横たわっていた潤は、ふとロケットペンダントの中にLSDがまだあることを思い出し、サランラップに包まれたそれを取り出した。それはシゲオの形見であり、追悼ライブで人が出払って閑散としたスタジオでのひまつぶしにちょうどいいやとラップを剥いて舌の上に乗せた。目を閉じて紙の感触を味わっていると、そのうち潤は眠ってしまった。

 

 

「アアー」

屋上に設置されたアンテナの上で鳴いたカラスの声で潤は目を覚ました。さっきまで晴れていた空に灰色の雲がかかり、一雨来るかなと眺めていると、雲の輪郭がうごめき出して、大小の無数の歯車がひしめきあっているように見えてきた。歯車は増殖を続け、きしんだ音をたてはじめ、空いっぱいになると幾何学的な接点から金属のおがくずが落ちてきた。

細かい金属片は鈍く光りながら潤の目や口に入り、痛みに顔を覆うと暗闇に小さな点が見えた。点はさっきのカラスの声に似た音を発している。なんだろうと近づいてみると、それは、まだ幼い潤自身の姿だった。 幼い潤は暗闇の中で泣いている。お父さん、お母さん、こわいよ、こわいよ。

ああ、こんなに泣いちゃって、しょうがねえな。子供をあやそうと近づくと、潤の姿をみとめた子供はいっそう大きな声で泣きだした。こわいよ、こわいよ、こわいよ。俺がそんなに怖いのか?俺はおまえなのに?怖いのは、おまえがいけないんじゃないか?

そうだ、いけないのはおまえだ。どうして何やっても馬鹿でまぬ けなんだ。だから親父にどやされてばかりじゃねえか。俺は一生懸命やろうとしたのに、おまえが馬鹿なおかげで散々じゃねえかよ。

怒りがこみあげてきて、潤は子供の頭を殴った。痛いよ、痛いよ。痛いか?俺なんかもっと痛かったんだぞ?親父にこうされて。潤はさらに子供のわき腹をけり飛ばした。子供は泣き叫ぶ。助けて、助けて、ごめんなさい、ごめんなさい。誰に謝ってるんだ。どうせおまえは親父に謝ってるんだろう。謝るなら俺に謝るのが筋じゃねえか?

わかってる。親父に謝るとごほうびがもらえるからな。ぶん殴ったばかりの手での抱擁。ベッドの中で、親父は俺にやっちゃいけないことをした。

封印されていた記憶が一気によみがえり、潤は逆上した。松崎や金や江上に感じていた恍惚は、これだったんだ。母親が俺を忌み嫌ったのは、これが原因なんだ。

潤は子供をメチャクチャに殴り蹴り、しまいには壊れたおもちゃのように動かなくなった子供を踏みつけて高らかに言った。

「やった!俺は親父を超えたぞ!!こいつを殺してやった!!」

そして、暗闇が視線で満ちていることに気づいた。その視線は最初は憎悪と冷酷に満ち、次第に無感情になり、最後にはあきらめにうながされ力なくすすり泣きはじめた。

 

 

「どうして泣いてるの?」

いつの間にか通り雨がやんで、潤は屋上に立って雲間から覗く夕陽を見ていた。左手の人さし指と中指が暖かい感触で包まれている。見ると、さっきの子供が潤の手を掴んで心配そうに見上げている。

「ねえ、どうして泣いてるの?」
「君が、あんまりかわいそうだったから」
「ボクは平気だよ。だってお父さんとお母さんがいるもん」
「お父さんもお母さんも、俺らが嫌いだって」
「うそだよ、うそうそ、お父さんはダッコしてくれるよ」
「もう、ダッコしてくれる人はいないんだよ」
「うえーん」

泣きだした子供を、潤はあわてて抱き上げた。

「ごめん、こうすればいいんだ。これからは俺がダッコしてあげる」
「おうちに、帰りたいよ」
「おうちも、もうないんだよ」
「おうち、あるよ、あっち」

子供が指さした方角には乱立したビルしか見えなかったが、どこか懐かしい空気が流れていたので、潤はまた子供をなだめて言った。

「おうち、あっちにあるの?じゃあ一緒に帰ろうか」
「うん、おうちに、帰ろう」

 



 

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