最後のときまでそばにいて

「老いた犬と生きる」制作記(鋭意更新中であります)

「犬に生活をあわせて暮らしている人がいるのか」
正直言ってショックだった。
でもよく考えると当たり前のことなんだ。
老人介護はよく話に聞く。同じように犬も年老いると介護の手が必要になってくる
医療の進歩で病気にかかったり怪我をしても延命するペットが増えているそうだ。
その反面、安楽死という手段もあるという点で、人間とは決定的に違っている。
手足が不自由になったペットの中には、飼い主の手に負えず、安楽死の道をたどったものもいるのかもしれない。
安楽死という非日常であるべき言葉が、こんなにも簡単に日常生活に滑り込んできたことには、抵抗を覚えた。

この企画は、当初予定していたコーナーに加え、中国地方5県向けの番組で再放送。さらに、午後の全国放送の番組内でも放送されることになった。

「私も花子と同じような状況の犬を飼っていました。天国に旅立ったジュリアからは得たものはたくさんありました」
「家族の一員として16年間かわいがっていた犬が、一年の看病の後、この間なくなったばかり」
「結婚してすぐ黒猫のラブちゃんを飼いはじめまして息子が生まれ、子育てに悩んだときには何度もラブちゃんのかわいらしさに助けられました。ラブちゃんは大切な家族です」
「私の家にもだいすけという17歳の犬がいます。後ろ足が弱っているので散歩もゆっくりゆっくりです。最後まで面倒見てやりたいと思っています」


全国放送をしたときには特に反響が大きく、上のようなファックスやメールが届いた。
「以前作った、犬用の介護用のベルトの型紙があるから、ぜひ渡辺さんに活用してほしい」という手紙も寄せられ、その方と渡辺さんとの交流も始まった。
調べてみると、年老いた犬の介護をしている、それも犬に生活をあわせるようにして暮らしている人が、多いということに気づかされた。
そして、ペットが自分で寝返りが打てなくなっても、排泄ができなくなっても、その姿に癒しを感じて、愛情を注いでいる飼い主がなんと多いことか。

何より、花子のヨチヨチ歩く姿に感動していた私は、
これを何とかもう少し膨らませて紹介できないかと考えるようになっていた。

しかし、もし番組にするとしたら、何か動きがあるタイミングを撮影しないことには、なかなか成立しない。
高齢犬の身に何か動きがあるとしたら・・・私はあまりいい想像ができなくて、しばらく悶々としていた。

そんなときに知ったのが、「虹の橋」という詩だった。
飼い主と幸せな関係を築いていたペットは死ぬと、冥土に渡る虹の橋の手前で、ご主人様を待っていて、ご主人様が死ぬと一緒に橋を渡っていく。
幸せなペットと幸せな飼い主は、冥土に行く前にもう一度再会できるという、作者不明のアメリカかどこかの詩。
日本語訳され、今日本に多くいるペットロスの飼い主たちの心を癒してきた。
「虹の橋」の詩をきっかけにペットロスのサイトを渡り歩いているうちに、ある犬と飼い主の話を知った。

オムツ犬チエをバスケットに入れて出勤する男性の話である。
しかも住んでいるのが、広島らしい。
私は飛び上がって喜び、二人がどんな状況なのか会いに行くことにした。

今の二人はどんな状態なのか
聞きに行くとなんとも切ない状態であることがわかってきた(ツヅク)