AHMED ALNAMI
アーメッド・アルナミ

2001年9月11日、アメリカにおける同時多発テロで、
ニューヨークの世界貿易センタービル南北それぞれのタワー、 ワシントンDCの米国防総省に
3機の旅客機が次々と突入する中、
1機だけ目的を遂行できずにペンシルバニア州ピッツバーグの林野に墜落した
ユナイテッド航空93便をハイジャックした4人のテロリストのうちの一人。


Saeed Alghamdi(21)
サイード・アルガムディ

Ahmad Alhaznawi (20)
アーメッド・アルハズナウィ
Ahmed Alnami(23)
アーメッド・アルナミ

Ziad Samir Jarrah(26)
ジアド・ジャラヒ


アーメッド・アルナミの軌跡

アーメッド・アルナミはサウジアラビアのアブハの貧しい家庭に生まれた。
アシール地方の首都アブハは海抜2300メートルの山岳地帯に位置し、
年間を通して雨量が多く美しい景観に恵まれたサウジアラビアでは有数の避暑地である。

彼は20才になった頃から非常に信心深くなり、モスクの礼拝指導者(イマーム)に傾倒し、
大学(King Khaled University)ではイスラム法を学んだ。


イスラム法(シャリーア):唯一神アラーの教えであるコーランに定められた決まり。
信仰から生活の規定、社会や経済のあり方にかかわるものまで項目は多岐にわたり、イスラム社会の基盤となる。




アルナミの故郷アブハの市街地


アルナミは2000年夏に大学を中退しメッカへの巡礼のために家を出たきり行方不明になったが、
2001年5月に一度だけ「言えない場所で仕事を探している」と家族に電話をしている。
その時彼がすでにアメリカにいたことはFBIの調査で判明しており、
同時多発テロの実行犯19名中、飛行機の操縦などの訓練を受けた6名を除き
「客室制圧係」と見られる13名は比較的最近渡米したということから、
アルナミの電話と渡米のタイミングは近かったと思われる。

アメリカに滞在中のテロリストたちは周囲から怪しまれないように髭をそり酒を飲み、
女性とつき合い、中には婚約者を探していた者さえいた。
彼らは「敵地」ではイスラム教徒であることを隠して生活していたのだ。

アルナミを含めた7名のメンバーはフロリダ州 Delray Beachの2件のコンドミニアムに潜伏。
アーメッド・アルナミ、サイード・アルガムディ、ハムザ・アルガムディ(貿易センター南側タワーに突入)の
3名が1室に同居していた。


401 Greesward Ln. Delray Beach Racquet Club, 755 Dotterel Rd.


Delray Beachに滞在していたテロリスト達


■ユナイテッド航空93便/ペンシルバニア州ピッツバーグに墜落■
サイード・アルガムディ、アーメッド・アルハズナウィ、アーメッド・アルナミ


■ユナイテッド航空175便/世界貿易センター南タワーに突入■
ファイズ・アフメド、アーメッド・アルガムディ、ハムザ・アルガムディ、モハルド・アルシェフリ

Hamza Alghamdi
ハムザ・アルガムディ

アルナミとハムザ・アルガムディ、アーメッド・アルハズナウィについて近所の住民の語るところによると、
彼らは無愛想で笑顔を見せることはなく、エレベーターで乗り合わせても会釈すらしなかった。
ひんぱんに部屋を出入りしていたが、仕事を持っているようには見えなかった。
常に中型のバッグを持ち歩いていたことから、 多くの人々が彼らは麻薬の運び屋だとウワサした。
アルナミたち3名のうちの誰かが、自分達に吠え付いた住民の飼い犬を
苛立った様子で傘で刺したこともあったという。

一方でアルナミとサイード・アルガムディについて、
「彼らは子供のように幼く見え、みんな彼らをtennis students(上品で礼儀正しい若者)と
考えていた。周囲にもきちんと溶け込んでいた」と話す住民もいた。

彼らはスポーツクラブで常に身体を鍛え、
アルナミとサイード・アルガムディら3名はフロリダ州ペンサコラの米海軍施設で訓練を受けた形跡もあった。


実行犯のうち5名が90年代の後半に米軍基地や施設で訓練を受けていた可能性がある。
5名のうち3名の運転免許証の住所がペンサコラの外国人軍人用住宅になっており、
3名のうち2名が93便、1名が貿易センタービルに突入した175便に搭乗していた人物との
ニューズウィークのインターネット版の報道もある。


彼らは「労働者の日(アメリカの祭日・9月の第1月曜日)」の週末に突然姿を消した。
9月5日、アルナミとサイード・アルガムディはフロリダの旅行会社で、彼らがハイジャックした便が出発する
ニュージャージー州ニューアーク空港までの国内線のチケットを予約した。
従業員によると彼らはかなりの「バーゲン・ハンター」で、
犯行直前の9月9日にふたたび現れニューアーク空港への格安の片道チケットを購入した。




ハイジャック当日

9月11日早朝、他の地域に潜伏していたメンバーと合わせて総勢19名のテロリストたちは
それぞれの「持ち場」である4機の旅客機に乗り込むべく各空港に向かっていった。

アルナミたち4名はニューアーク空港午前8:42時発のユナイテッド航空93便、
サンフランシスコ行きのボーイング757に乗り込んだ。
アルナミは搭乗手続きのさいに、
「AL-NAWI」= 「ALNAMI」の「M」を「W」に変えただけの簡単な偽名を使っていた。
時間が早い便のため乗客は比較的少なく、日本人学生1人を含めた38人の乗客、7人の乗員が搭乗していた。

飛行機が離陸すると間もなく、彼らは全員ひたいに赤いバンダナを巻き怒鳴り声をあげて機内を牽制した。
ドイツとフロリダで操縦訓練を受けたジアド・ジャラヒともう1名がコクピットに押し入り、
機長を殺害すると操縦桿をうばった。
機内にはアラビア語なまりの英語で「こちらは機長。この飛行機はハイジャックされた。
犯人達は爆弾を持っている。要求に従う」とのアナウンスが流れた。
客室の2名は興奮してわめきちらしながら乗客をカッターナイフで切り付けた。
おそらくこの2名は「客室制圧係」らしき訓練を受けていたアルナミとサイード・アルガムディと思われる。

報道によると数人の乗客が2名と格闘し、
スチュワーデスも犯人の1人に熱湯をかけるなどして応戦したらしい。
この様子は機内から携帯電話で家族に連絡した乗客によるものだが、
犯人の1人が「最後に家族と話をするように」と乗客に携帯電話を渡したという話もある。


機内の様子について、報道では乗客の「英雄談」に終始しているが、
この事件に酷似しているという1999年12月24日に発生したインド機ハイジャック事件を参考にあげると、
1. 乗客全員を客室後部に集める。2. カッターを武器に使う。3. 乗客何人かの首を切り、他の客を恐怖で制圧する。 という手口が浮かび上がる。
インド機ハイジャック事件では、犯人はタリバン本拠地のあるアフガニスタンのカンダハルの空港にて、タリバンを通じてインド政府と交渉、
要求が満たされ乗客を解放した。犯人は機内でウサマ・ビン・ラディンを賞賛していたという。
同時多発テロは、このハイジャックをさらに洗練させたものだという見方もある。


「機内で何かが爆発した」という乗客からの連絡を最後に、
93便は午前10時すぎ、ペンシルバニア州ピッツバーグ南東130kmの林野に墜落した。
コナゴナになった残骸は周辺1キロにわたって散乱し、
その状態からハイジャック機を追っていた米軍の戦闘機に撃墜されたのではないかという見方が強まっている。
また、93便の目的地についてはホワイトハウス、ペンタゴン、キャンプデービッドの諸説があるが
現在でもはっきりした結論は出ておらず、14日夜に現場で回収されたボイスレコーダーの内容も公開されてはいない。

11月15日、米ABCテレビが独自に入手し公開した、管制塔で記録された93便のコクピットの様子のテープによると、
「ここから出て行け」というパイロットの声の後、もみあうような音が30秒ほど続き、
9時32分に「みなさん、こちらは機長、席を立たないように。爆弾があります」というアラブなまりの英語の声。
9時36分、93便がワシントン方向にUターンしたところで、別の男の声で
「こちらは機長、座席に座っていてください。機内に爆弾があります。
席を立たないでください。我々は空港に戻っています」 とのアナウンスがあり、しばらく応答が途絶えた。
10時7分、「右側に煙か何か見えませんか」との管制官からの問いかけに「黒い煙が見えます」と応答した。

93便のみ他の3機より少ない4人で犯行が行われたことについて、
ドイツのハンブルグに住み、9月5日ごろパキスタンなどの国外に逃亡した
イエメン国籍のラムジ・ビナルシブ(29)という男が乗り込む予定だったのではとも言われている




ピッツバーグの墜落現場


事件その後

アルナミと同じくフロリダに潜伏していたリーダー格のモハメド・アタ(貿易センター北側タワーに突入)は
空港に遺書と4枚のコピーの入ったボストンバッグを残した。
遺書には自分の遺体の浄め方や独特の葬儀の行い方などが細かく記されており、
コピーには手書きのアラビア文字でテロ実行にあたっての心得が記されていた。
さらに犯人たちが空港に乗り捨てた車からも、このコピーと飛行機の操縦マニュアルが発見された。

Mohamed Atta (33)
モハメド・アタ


4ページにわたる「実行の心得」が誰の手によって書かれたものかはわかっていないが、
テロリストたちの心理を知るのに有効だ。





「実行の心得」

直面するものに対して心を開いておくように。おまえは天国に入ろうとしているのだ。
最高に幸せな生活、永遠に続く生活に入るのだ。心をすべての地上的な事柄から清めよ。
たわむれと浪費の時は過ぎ去った。審判の時が到来したのだ。

 計画の全ての面を熟知しなければならない。敵の抵抗をも予想せよ。
計画を実行するために、自らを鍛え、自らに説明し、納得させ、激励せよ。

 出かける前に安全を確かめよ。つけられていないことを確認すること。


犯行当日の心構えとしてはこうある。


家を出る前に祈り、沐浴すること。
祈りのために身を清める時、天使たちはおまえの許しを神に請い、おまえのために祈るであろう。
混乱したり神経質になったりせず、喜びに満ちリラックスして平静でいるように。
おまえは神の愛されることをしようとしているのだから。

飛行機に乗ったら次のように言うこと。
『おお神よ、全ての扉を私のために開いてください。
祈りに応え願うものを受け入れる神よ、力を貸して下さい。唯一なる神よ』

 飛行機が離陸し「その時」が来たら、
地上に戻ることを考えぬ英雄のように戦って『神は偉大なり』と言うこと。
おまえは信仰を持たざる者たちに恐怖を思い知らせるのである。


この「実行の心得」は93便の墜落現場からも発見されており、
4機のハイジャックが同一グループの犯行だと裏付ける証拠として、
また彼らがいかに狂信的な思想に基づいて行動したかを示すために報道された。

しかし、犯行前夜の過ごし方についての一説からは、彼らの葛藤を読み取ることができる。



この一晩のうちに多くの試練が訪れると覚悟しておくように。
そうしたことには必ず直面せねばならず、それらを100%理解することが必要である。



事件はウサマ・ビン・ラディンを首謀者とするイスラム原理主義過激派「アルカイダ」の犯行と断定され、
10月7日午後9時(日本時間8日午前1時半)、ビン・ラディンを匿うアフガニスタンのタリバン政権に対して、
米英両軍による報復攻撃が開始された。




アブハの南方の町に住むアルナミの親戚は、事件後のマスコミの取材にこう答えている。

「私たちはまだアーメッドの葬式をしていません。彼がほんとうに死んだと信じていないからです。
彼はこんな恐ろしいことはできない、ごく平凡な青年でした。
私たちはまだ彼のためになげき悲しむつもりはない、ただ真実を知りたいのです 」




アブハの田園地帯



アーメッド・アルナミについての私考

冒頭のたった1枚の写真から、わたしたちは「非日常」を効率的に垣間見、想像することができる。
彼は自分の理想のために世界を恐怖に陥れた最低最悪の犯罪者の一人であり、
「英雄として天国に行く」というエゴに満ちた目的すら作戦の失敗により果たせないまま、
多くの人々を巻き添えにして跡形もなく消え去った。
だが、彼の中途半端な最期と取り返しのつかない罪を考える時に
つきまとうかすかな幻惑の正体は何なのだろう。

安っぽいインスタント写真の中の彼は粗末なシャツを着て、
ダサイ髪型をしてふてくされたようにソッポを向いている。
物憂げな視線は世界から目をそらすと同時に
自分自身すら放棄してしまったかのようにすべてを拒否し、
ただひたすら、「ここではないどこか」を追っているかのようでもある。

彼の魂は「約束の地」にたどりつけたのだろうか。


アーメッド・アルナミとは、「タブー」の境界線で揺れ動く存在、
つまり本質的には限り無く「人間」であったのだとわたしは信じたい。




アシール地方の湿原



 

 

 

 

 

 

 


 

自爆テロについて

自爆テロは、イスラエルとの領土問題で敵対が続くパレスチナなどにより広く行われていた。
ジハード(聖戦)における死は「殉教」との解釈から、自爆テロを行った者は英雄と見なされている。
一方で、神のものである人間の魂と肉体を、人間の意思で滅ぼすのは「自殺」との解釈もあり、
今回の事件に関わらず、イスラム社会からも自爆テロに対する批判が出はじめているところだった。

しかし、「神の意思に基づく自殺は許される」と曲解し、
さらに米国の軍事行動がイスラム社会の軍人と民間人を区別せずに攻撃している、
80年来に渡りイスラム世界に屈辱を与え多数のアラブ人を殺し、パレスチナを抑圧するイスラエルに手を貸している、
このような政府を選んだのは国民である、などの理由から無差別自爆テロを正当化したのが
今回の事件の根底にある考え方だと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






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「アーメッド」という名前の表記は「アハメド」「アハマド」 「アフメッド」「アフミド」等、
報道機関によってバラつきがあることをご了承下さい。
また、アルナミについての情報は非常に少なく
ここに掲載したネタはすべてインターネット上で拾ったものばかりなので、
とくに個人で海外のニュースサイトなどから情報を見つけ紹介してくれた人々に感謝するとともに、
報道自体がわい曲されていることも考えられる昨今、真実かどうかの判断は個々におまかせします。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2001.11.9 up

2粒の砂の家