私は難民センターの倉庫の前に立っている。 元々人気のない場所にある倉庫であるし、特に娯楽もないこの国の人々の就寝は早い。 夜も更けきった今は街全体が完全に眠りこけている。 道中不安もあったが、幸い東天には新月からほどない下弦の月が頼りなさげに上っていたので、 ロバでの騎行に支障はなかった。 盗賊暴漢の類は現政権 の治安警察が厳重に取り締まったので市内は安全である。 むしろ警察の方を注意せねばならない。 今の私は目立たぬように家から持ち出した母上の黒いブルカを被っているが、 その下は、私のコレクションの中でももっともホットな衣服の一つスパイダーマンの肉襦袢を着用しているから、 職務質問されるとやっかいなことになる。

何故スパイダーマンかというと、赤と青の奇抜な色彩 に蜘蛛の巣を プリントした奇抜な衣装がいたく気に入ったのも理由の一つだ。 男のセクシーさ溢れるしなやかな体の線を余すところなく見せ、 動くたびに体の筋肉にぴったりと添う伸縮素材が心地よい。 頭をすっぽり覆うマスクは万が一誰かに見られた時の用心にもなる。 それに今からの行動 はスパイと同じなのだ。文官の私は今まで汗臭い肉体労働には縁がなかったが、 今晩は困難な任務を命ぜられた特殊部隊隊員と同じ身の上になる。 それには的確な決断力─こちらには自信があるのだが、迅速な身のこなしが要求されるので、 知性派の私は実働に不慣れであることを認めざるを得ない。 しかし文武両道の男としても教育を受けたのだから素養はあるはずだ。 そこで潜在能力を引き出すイメージトレーニングが必要になってくる。蜘蛛男・スパイダーマンのように壁を伝い、蜘蛛のロープ一本で屋根から屋根へ飛び移る自分をイメージしてみる。 むろん現実と映画の区別はついている。「偉人は身を惜しむ」も私の座右の銘である。 だからスパイダーマンの衣装を纏って気分だけでも盛り上げ、作業の効率を上げる作戦を考えたのだ。

錠前にカギを差す。開かずの扉だったのでさび付いているのだが、あらかじめ機械油を持参する知恵で補う。 赤錆の出た鉄の錠前はしばらく抵抗していたが開いた、嫌な音を立てて開いた。 途端に中から饐えたカビの匂いが押し寄せ思わずむせてしまうが、 意を決して黒いブルカを脱いでスパイダーマンとして中へ入った。 灯りのない倉庫を懐中電灯で中を照らせば、白い霧のように舞い上がっている塵が光りを放つ。 歩む先から大きな埃や蜘蛛の巣が落ちてくる。恐るべき不潔さである。 清潔好きな私としては管理人の職務怠慢は憎むべきであるが、今夜だけはありがたかった。 それにやはりスパイダーマンに変身したのは成功だった。後でボディスーツを洗えば済むのだから。

倉庫の中には幾筋もの通路があり、左右に展開する背の高い棚には乱雑に衣類が押し込まれ、 一番上の段には援助先の国のネームをつけた箱が乗せられている。 ライトを当てると違う素材違う色の様々な形の衣類が複雑に絡まり垂れているのが 肉体の破片を寄せ集めたようにも見え、この上なく不気味だった。 さてどこへ隠そうか・・・棚の上の方はハシゴを使わねば手が届かず、 面倒くさくて何年も放置したままで触れるものは誰もいないはずなので、その辺がいいだろう。 暗い天井には悪魔が棲んでいそうで気持ち悪かったが、怪奇な設定はまさにヒーローが活躍する舞台だと考えればよい。 少しは今の扮装に相応しい行動を取らねばイメージトレーニングをした甲斐がないというものだ。

よしやるぞ、と小さくつぶやくと、両足を開いて立ち、両手を交差してヒーローアクションをつけてみた。 われながらものすごく決まっている!数度繰り返すと、 私は果敢に立てかけられたハシゴをスルスルと棚の上部目指して登り始めた。 あらかじめ見当をつけておいた上段の棚までハシゴを一気に駆け上った。 棚は3メートルほどの高さにしつらえてあったが、生来俊敏な私は難なくやってのけた。 目の前には何年来の埃にまみれた衣類が乱雑に押し込まれている。 私の大事なコスチュームたちをその中に紛れ込ませれば今夜の仕事は完了する。 当初は不安がなかったと言えばウソになるが、やってみると何とたやすいことだろう。 ここならば誰にも気づかれず、いつでも好きな時に持ち出し、白衣の看護婦さんにでも 雄々しいヘクトールにでも変貌できるのだと考えると「ムフフフ」と自然に笑みがこぼれる。

手を伸ばしてコスチュームを押し入れる場所を作ろうとした途端、 一匹のネズミが衣類の中から這い出て私の顔に飛びついた。 「ギャッー!」 突如出現したネズミに驚いて身をよじらせると、登っていたハシゴがガタッと音を立てた。 持たせかけた壁からはずれそうになって宙で留まっている状態に陥ってしまった。
「!」
倒れまいと慌てて体を前に掛けて後ろへ倒れかけるハシゴを矯正する。 しかし安定性が悪いので脚立が重心を失い不安定な横揺れがやまらない。 私は目の前にある棚板の両端に手を掛け最後の抵抗を試みたが、 無常にもハシゴは落下して大きな音を立てて床に横たわった。 同時に懐中電灯とコプスレ衣装も落としてしまった。ハシゴを使用する前、 あまりに古びて汚らしいので壊れまいかと懸念していたが、その通 りとなった。 しかしそれどころではない。私は3メートル上空に宙釣りになってしまった。 両手で棚の縦板に掴まっているというこの上なく頼りない身の上である。 下を見ると転がる懐中電灯に照らされてハシゴの木片や一緒に落ちたコスプレ衣装が小さく見える。 背筋が冷たくなるのを感じる。こんなところから落ちたら大怪我をするに決まっている。 ヘタすると生命の危機に瀕する可能性がある。平素なら部下を呼んで一言「降ろせ」と命令すればよいのに、 今は救援を求めることは憚られる。それに第一ここには私以外誰もいない。 不覚だった・・・私とあろうものがこんなところで思わぬ アクシデントに見舞われて ステキな計画が頓挫するなんて・・・なんと意地の悪い全能の神であることよ、 と頭を抱えて神を恨みたくなったが、あいにく両手は命の板を掴むのに忙しい。 しかも次第に痺れが腕全体を覆いはじめている。もし落ちたら・・・と不吉な想像が脳裏をよぎる。

この私が突然行方不明になり、数ヵ月後かまたは数年後、 人気のない汚い倉庫からスパイダーマンコスプレのまま干からびて発見される・・・オマル様は、 高官たちは、ヒルなどの政治記者たちは、そして母上や召使どもはなんと思うだろう・・・! それに西側のネットでは何と書きたてられるだろうか・・・そうなると私に憧れていた女たちは幻滅して・・・! 想像上の悲劇に私は涙しそうになる。

しかし、しかしである、土壇場で理性が働くのが私の長所であることを忘れてはいけない。 深く心に刻み込まれたイタリアの箴言が闇に点滅した。「運命は果敢に振舞うものに従順である」。 そうだ、こんなところで臆してはいけない。捨て鉢な気分になってはダメだ。 何か方法があるはずだ。するとたちまち名案が閃いた。 私は片手を注意深くはずし棚に詰め込んであった援助国から寄贈された衣類を床に落とした。 余った足のを使い下の棚の衣類も落下させた。 こうしてクッションを作って飛び降りた時の衝撃を緩めようと考え付いたわけである。 それなら骨折しないで着地できるし、スパイダーマンの超常的な飛躍さえ鮮やかに決まるかもしれない。 我ながらなんとよい頭なのだろう!と自分で自分に頬擦りしたいほどの心持になった。

しかし、運命の女神の微笑みとスパーダーマンの跳躍は、光と共に飛んできた野太い声によって妨げられてしまった。
「誰だ!賊か?」
声の主はおそらく倉庫の番人であろう。日頃は職務放棄状態なのに何故今日に限って出てきたものか。 私は自分が過信していたことを悟った。しかし今はそんなことより失地回復に努力せねばならない。
「動くな、撃つぞ!」
声は恐怖と緊張で震えている。暗い中にも銃口がこちらを照準している緊張感が伝わる。
「何とか言え!」

ともかく撃たれてはたまらないので、彼を落ち着かせるのが先決だ。 そこで私は身分を明かすことにした。ここで逮捕されてはコスプレの説明をせねばならず、 番人に吹聴されては世間に顔向けできなくなるが、何、無学で脳の足りない下民などなんとでも 言いくるめることが出来るし、現金を掴まれば口封じなどたやすいことだ。 もし物分りが悪い頑固な男であれば後で始末すればよい。つまり私は腹をくくったのだ。

「あ、安心してくれ。わ、私だ。賊じゃない」
「何?誰だって?」
男は銃を構えたままに三歩踏み出してライトを直接私に当てた。その途端、彼の顔は恐怖でゆがんだ。
「ギャアアアアアアアーーーー!」
四肢を引き裂かれるようなものすごい悲鳴をあげると、番人は私に向けてAK47を乱射してきた。 実弾が空を飛び、私の横を霞めて棚や衣類にめり込む。
「うわっ!何をするんだ!」
「バケモノーーー!しねーーーー!」
彼が叫びながら目盲撃ちに撃ちまくったので、私はたまらずそのまま下に落下してしまった。凄まじい地響きがあがった。

「ギャーーー!」
この時男が床に落ちた私に向けて銃を連発しておれば命はなかったろうが、 腰を抜かしたのか座り込み、先ほどよりもさらに凄い悲鳴をあげた。 それからすぐに銃を放り出し、立てない足を引きずり入り口まで這いながら進んでそのまま逃げ去った。 私はしばし何が起こったかわからなかったが、ともかくここにいては危険なので、 コスプレ衣装を拾うと先ほどの番人と同じように恐ろしい倉庫を脱出した。

 

 

次の日、私は内務省に病欠届けを出し自宅で寝ていた。 あの高さから落ちて骨折もせず打撲だけで済んだのは奇跡だった。 その代わりスパイダーマンの衣装はすっかり痛んでお釈迦になってしまったが、 命あってのモノダネだから仕方ない。 母上には夜中に階段から落ちたと誤魔化し、召使が医師を呼ぼうとするのを押しとどめて傷薬を買いにやらせた。 湿布の臭気が充満した部屋で一人寝台に横たわり昨日の顛末を考える。 私とあろうものがなんともひどい目にあったものだ。 実弾射撃の的にされるという生命の危機に瀕したのは、生まれて初めての経験だった。 銃弾が連続して横の壁や衣類に当たった瞬間を思い出すと、今尚背筋の寒気は止まるところを知らない。 本当に殺されるところだった・・・しかし何故あの管理人は私を射殺せず悲鳴をあげて逃げ去ったのだろう? 何を怯えていたのだろう?あの恐怖は尋常じゃなかった・・・

頭に載せた氷が小さくなったので交換を命じようと呼び鈴を鳴らそうとすると、 ちょうどそこへあのムチ打ちの刑に処した召使がやってきた。 お仕置きの効果 が出て少しは気がきくようになったかと思うと彼の口からは予想もしない言葉が飛び出した。
「内務省から緊急の召集がきております」
人が欠勤届を出しているのに・・・と不満を抱きながら内務省に行くと、 AK47を持った兵士の小隊が省前に陣取っている。VIPでも来るのと一瞥し、館内へ入ると内 務省の職員以外にも治安関係者が多数見受けられた。私を呼び出した上司の部屋へ入ると、 長官が待ちかねたように口を開いた。

「遅いじゃないか。アガ」
「ちょっと、私は病気なんですよ。それを呼び出すなんて・・・ブツブツ」
「休んでいる場合じゃないぞ。昨日お前の管轄である倉庫で大変なことがあったのじゃ」
老人の長官の顔は白い顎ひげを捻りながら言った。
「そ、倉庫・・・?」
いきなりの言葉に私の心臓は止まりそうになった。自分で顔色が青く変わるのが解る。
「そうじゃ。怪物が出現して管理人が襲われたんだ」
「か、怪物?」

怪物とは意外だが、カマを駆けられているのかと内心は恐慌状態だった。 冷や汗が体中の毛穴から噴出してくる。しかしここで逃げるわけには行かないので、 ありったけの自制心を動員して不思議そうな表情を作り聞き返してみる。

「そうなんだ」 と言葉を引き継いだのは警察署長である。
「昨日、正確には本日だな、深夜、援助物資備蓄倉庫を管理人が持ち場を巡回していると、 内部に賊が侵入した形跡があったという。それで入ってみると・・・」
彼の話では、赤と青の肌をした気味の悪い怪物が天井に張り付ており、 発見した管理人が発砲すると、牙をむき出して飛び降りてきて襲撃したという。 なんとか脱出したので助かったが怪物は彼を食おうとしたという。
「怪物の顔は真っ赤と真っ青で蛇のような目と長い舌を出してヒヒヒと笑ったということなのだ。」
その怪物とは・・・この私のことなのだ・・・管理人に銃撃された私はスパイダーマンだった。 これですべて納得が行った。管理人は私を怪物と間違えたのか。 だから殺害したり捕縛したりせず慌てて逃げ出したのか。すると今まで破れそうになるまで 張り詰めていた緊張がほどけて冷たい汗が引き、安堵と共に腹の底から笑いがこみ上げてきた。

「アハハハハ!アッハハハハハ!アッハ、あ、イテテ」
最後のイテテは笑いすぎて腰の打撲傷の響いたからである。突然の爆笑に長官と署長は面 食らった。
「何がおかしいんだ」
笑ってはまずいとは思ったが、そこは智謀家の私のことだ。
「アハハハ、テテテ・・・いえ、あまりの荒唐無稽さについ腹の皮がよじれるほど 笑ってしまったんですよ。あなた方は本気で怪物なんて信じておられるのですか?」
「しかし管理人は正直者で通っているし、あの様子ではウソをついたと思えない」
私は余裕を取り戻し、管理職務をろくに果たしもしない男のどこが正直なもんか、 と署長の馬鹿ぶりを心の中で嘲笑しつつ切り返した。
「では、寝ぼけていて夢と現実の区別がつかなかったんじゃないですか?

「しかし怪物が街を駆け抜けるのを見た市民も数名いるのだ。放置してはおけない。 現在正規軍が出動して倉庫周辺を捜索している」
「ええ!?軍隊まで出てるんですか?!そこまでやる必要があるとは」
「ともかく、アガ、お前は責任者なのだからすぐに現場へ行くのだ」

長官は私に捜査に同行するように命令した。私への容疑が全くないのは結構なことだが、 どうも相当に大げさな事態に発展しているようだ。 真相を誰よりもよく知る私が現場に赴くのは、自作自演のおかしさ半分、 この世に存在しない怪物探しの手間を考えるとばかばかしさ半分といったところであろうか。 この暑いのにうざったいことだよと、同僚に愚痴をこぼしてから、 まだまだ痛む体の節々をさすりつつ汗臭そうな連中と共に現場へ急行した。

 

 

怪物捜査は一週間でうやむやになったが、代わりにアメリカで大規模テロが起こり、 そのうち米英やその追従者の軍隊との戦争が勃発した。 戦争の当初の見通しでは精鋭ぞろいの我が軍有利だったのに、 圧倒的な技術と物量の前にはなすすべもなくわずか一ヶ月で首都があっけなく陥落してしまった。 世界情勢に疎いオマル様と強硬派の愚かさを恨んでいる暇もなく高官たちはちりぢりになって逃亡した。 もちろん私も例外ではなく、知り合いの族長の館に潜伏させてもらっている。 だが、将来を嘱望されていたホープだとは言えまだまだ若輩者であるし、 枢密に関与した覚えもないので重罪に問われる心配はないだろうと予測していた。

これはあながち楽観とは言えない。現在、アメリカの後ろ盾で新政権が首都に成立しつつある。 わが国屈指の並外れた容姿と才能を持つ私がこのまま地に埋もれては神への不忠であるし、 何よりも国益の損失でもある。卓越した人材を求めるこの国は以前にもまして私が必要だろう。 アメリカやその追従者にも私の価値は理解できるはずだ。だから適当な時期を見はからって、 親米派のM元外相に斡旋を頼めば万時上手く行くはずだ。現に元外相は逃亡する私の才を惜しみ、 頃合を見計らい連絡するように命じていた。事態が落ち着いたように見えたので私の方から彼に手紙を出した。 返事はすぐに来た。あのネットの掲示板に出た私への賞賛を読むのと同じ気持ちで手紙を受け取った。

ここで話がそれるが、先日のことだが、潜伏している族長の息子にインターネットを借り、 あの愉快で正直な掲示板を覗いてみた。 私を愛する世界中の女性達が私の安否をどんなに気にかけているだろう。 非常に趣味よく純真な彼女らに私の生存をほのめかす書き込みくらいはしてやっても罪にならないだろうと思っていた。 しかし─しかしである、私の名前が新たに掲示板の話題になることが一切なくなっている。 どこを探してもない。過去ログを漁ると、米軍が空母エンタープライズからミサイルを打ち 上げた開戦当日を境にふっつりと私への関心が消失していたのである。 なぜだ・・・!私は憤慨した後落胆したが、様々な可能性を検討してみた。 CIAが敵方の美男子を褒めるのは利敵行為だとネット規制をしいたのか・・・

しかし、一言くらい 「アガたん無事かなあ・・・」と書き込んでも犯罪とは言えないだろう。 書き込みが削除された様子はない。私はヒルに会って事情を尋ねてみたかったが、 今彼はわが国にいない。外国人記者たちは戦争が始まった途端国外へ避難したからだ。 私は洞察力にも優れているが、実は一つの仮定が黒い煙幕のように心の中に広がりつつあった。 何度押さえつけても湧き上がる水漏れのような焦燥感を伴う悲観的なケース。 あの書き込みはことごとく私の思い通りの内容だった。 微妙な心の襞まで読んでいるような意に添う賞賛が次々と奔出していた。 私は導かれるようにコスプレに熱中した。これほど都合よく物事が進むことがあるのだろうか。 もしや・・・もしやあのヒルが自作自演だったら?・・・何のために・・・? 私を喜ばせてリークをさせるため?こう考えるとすべての符号が 合致するのである・・・錘が心の中に地響きを立てて落ち込んだ。

しかし!まさか!否!と自問自答しつつ、自ら持ち出した不吉な仮定を強く打ち消す。 あれはアメリカの女たちの自然で正直な感想だ。ヒルは何もしていない。 私を見て感じ入らない人間はない。新しい書き込みがないのはアコギなCIAやその下部機関のしわざに違いない。 彼らの策謀は留まるところを知らぬのだから・・・・!それにCIAは腹が出たはげおやじだらけだ。 美と若さを兼備した私は妬まれて当然なのだ・・・! 気を取り直し微笑さえ浮かべ、M元外相からの親書を開封し、流麗な筆跡でしたためた英文を読みはじめる。 彼らしい丁寧な挨拶文から始まっていたが、そこは飛ばして本題に見入った途端、私の体は凍りついてしまった。

「大変なことになっている。米軍は君を対米スパイ極秘養成所の長官だと踏んで探索してる」

えええー!なんで私がスパイ養成所の元の職とはほど遠い役職を振り当てられたことで 驚いて目を見張ってしまった。 几帳面な元外相らしく米軍の手配書が添付してあったが、タイプで打ったゴシック体の英文を凝視する。
「海兵隊は報道官アガの自宅から大量の洋服を発見した。 アガは各職業の制服や意味不明な衣類、あげく女性の衣類まで隠匿していた。用途は不明」
それはそうだろう!だってコスプレなんだから!
「旧政権の一個人が所有するには大量であるし、何より隠し方が真剣で粘着である」
そりゃ必死で隠すって!だって人に知れたら私の面目がなくなるじゃないか!
「世界にはコスプレなる娯楽も存在するが、 有能な青年が奇特な趣味に走り無用な衣類を大量 に収集するとは考えがたい」
集めて何が悪い!だってものすごく似合うんだもん!
「アガは西側に精通しているので、情報機関にも関与していると可能性が高い。 自宅でアメリカへ派遣する破壊工作員や細胞を養成していた形跡も発見した」
うそだ!でっちあげだ!考えすぎだ!
「速やかに身柄を確保すべし。重要度Aで手配すべし。発見して抵抗すれば殺害も可」
うわっ!ヤヴェーよ、マジでヤヴァイ! 今姿を現すのはよくないという忠告でM元外相の手紙は終わっていた。

私は便箋を握り締めたまま茫然と立ち尽くした。 あの素晴らしくて美しいコスチュームたちを米軍は遠慮なく暴き立てた上に、 この私をスパイ組織の親玉にしてしまった。現在の私の身の上は、 19世紀アメリカの西部の町の辻に張り出した「WANTED」のポスターの男たちと同じなのだ。 もう表通りを歩けない身の上になってしまった・・・どこへ行っても羨望と憧憬のまなざしを受け、 有能と美貌を謳いあげられた私が初めて味わう人生の蹉跌の味は苦かった・・・

ここまで私の独白を聞いてきた読者諸君は、これでアガの人生は終わったも同然と私が 絶望して腑抜けになったと想像されることだろう。だが、それは思い違いである。 見損なってもらっては困る。確かに私は冤罪にショックを受けた。 しかし冷静になって考えて欲しい。冤罪の原因は、私に破格の価値があることに起因しているではないか。 あのアガほど素晴らしい男が卑近なコスプレにうつつを抜かすわけがない、 絶対に何か計り知れない策謀が潜んでいるに違いないと米軍は考えた。 これは彼らがいかに私を高く評価しているかの証拠となる。 つまり私は米軍に畏怖されるほどの存在なのだ。もちろん完全に彼らの誤解である。 誤解は解けばよい、それは私の智謀に満ちた弁舌で何とでもなるはずだ。 それに新政権は対抗勢力を取り込んで安定したいはずだ。それには私の才が必要なはずだ。 私の復帰は国益であると賢明な人間なら直ちに理解するであろう。 だから絶望するどころか、心の中には新たな野心が燃え盛っているのだと思っていただければ幸いである。

そうだ、今は雌伏の時である。適当な時期が来たらまた元外相、いや新政権の大統領にでも連絡してやろう。 大統領には有能な帷幕の僚が必要なのだ。聡明な人間が見たら私の価値は一目瞭然である。 そうだ、私の雄飛はこれから始まるのだ。私の未来は無限の可能性と光に満ちている。

 



2004.8.21

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