#5 約束〜エピローグ


シゲオが死んだのは、2学期も始まり残暑が夏の余韻を残してアスファルトの上にゆらめいている頃だった。潤はその知らせを、放課後に何をするでもなく教室から校庭を見下ろしている時にノブからの電話で受け取った。最初に浮かんだ言葉は「うらぎりやがって」。その一言だった。

うらぎりやがって。そう受け止めても仕方ない事件があったからだ。

夏休みの終わりに、ヘブンのライブがあった。潤もブラブラと出かけたのだが、会場の入り口で待ちかまえていた朝美につかまって相談を受けた。シゲオがまた長いこと帰って来ない、所在を知らないかという内容だったが、潤はまたかというかんじで八ケ岳以来シゲオには会っていないと告げた。しかし、朝美は簡単には納得しなかった。

「あなたたち、またグルになってるんでしょう、もう2週間も帰らないのよ。今までも帰らないことはあったけど、こんなに長いことはなかったわ。私を騙して、あなたたち何をやってるの?」
「ちょっと待ってよ。だから、八ケ岳のことはシゲオさんが朝美さんに言ってると思ってたんだ。もちろん、八ケ岳は男だけで行ったよ?それ以外のことは俺はわからないよ」
「八ケ岳に3日いたとして、それ以外の日はどこに消えてたの?知りあい全員で私を騙してるの?みんな笑ってるんだわ、騙されてみじめな女だって。ここに来たのもシゲオのシッポを掴むためよ。おかしいと思わない?ライブに来ないと会えない彼氏なんて。私はもともとシゲオのファンなんかじゃないのよ」
「誰も笑ってなんかいないよ。朝美さん落ち着いてよ」
「携帯もずっとつながらないのよ。携帯、いくつ持ってるのかしらね。私用の携帯はきっともう充電もしてないのよ」

 

 

興奮した朝美の様子に周囲の視線が集まってきて、潤はその場にいたたまれなくなり「もうライブがはじまるよ」と仲間ととってあった会場の前方の席に朝美をひっぱっていった。顔見知りがいれば朝美も取り乱した姿を見せることはないだろうし、こんな状態の朝美を放っておくわけにもいかなかったからだ。

あんのじょう、知った顔の中では朝美は普段のように気丈に大人っぽくふるまっていたが、なるべく朝美から遠ざかろうとする潤の動きを目で追っていた。朝美にすれば、大人同士の関係の中で自分の困惑を晒しみじめな思いをするのは堪え難く、年の離れた潤になら自分をさらけ出すことができたのだろう。朝美は潤のそばから離れず、小声で話を続けた。

「こんなことされるなら、私はもう別れたほうがいいの。私はだらしない男にしがみつくほど馬鹿な女じゃないわよ。シゲオが嫉妬するような彼氏を作ってやるから」
「そんな見せつけみたいことしたら、新しい彼氏がかわいそうだよ」
「じゃあ潤ちゃんがその役をしてよ。あなたにも責任はあるんだから。そうね、そうするわ」
「ちょっと!」

朝美が潤の腕を組んできた。と、同時にヘブンのメンバーがステージに現れた。最後にシゲオが登場すると、まだチューニングをしているステージに向けて朝美が叫んだ。

「シゲオ!」

朝美の声は歓声をすり抜けてシゲオの耳に届いたようだ。シゲオが朝美を見た。その瞬間、朝美はすかさず潤の首に手を回しキスをした。潤は反射的に朝美を振り払おうとしたが、シゲオへの背伸びと、これ以上朝美に恥をかかせられないという気持ちから、朝美の背中へ手を回し抱きしめた。 無言で一部始終を見つめたシゲオは軽く動揺した様子だったが、すぐに気を取り直し普段どおりのラフな演奏をはじめ、滞りなくライブは終わった。もちろん客席にいた仲間たちは朝美と潤の行為に驚き、潤をつるしあげにかかったが、朝美は「潤ちゃんってからかいがいがあるのね」などとうそのようにあっけらかんと言ってのけ、さっさと帰ってしまった。仲間の粘着な詮索に潤が朝まで苦労したことは言うまでもない。

 

 

2日後、シゲオから電話がかかり、潤は屋上のスタジオへ呼びだされた。

今度こそ本物の鉄拳制裁を覚悟していった潤だったが、屋上に並んだサマーベッドに寝そべり、古いCDラジカセから流れるレゲエを聞いていたシゲオが「よっ」と片手を上げたのには拍子抜けした。

「座れよ。一服する?」

いつものようにジョイントを差しだされた潤は、「いや、今日は」と断りシゲオの隣のサマーベッドにおどおどと越しかけた。

「いい天気だなあ。でもあっちいな」

シゲオは手に持っていた缶ビールを飲み干し、缶をつぶして一息つくと言った。

「なあ、俺の名前、シゲオ」
「えっ?」
「俺の名前、シゲオ、おふくろはシゲ子でばあちゃんはシゲ。犬みてえだろ」

何と言っていいかわからず黙っている潤に、シゲオは続けた。

「全員親父がわからないんだ。な、犬っころみたいで笑えるだろ」
「そんな…犬ってこと……

「それでも生きてきたんだよ、はいつくばって」
「うん」
「犬っころだから綱つけとかないとどっかそのへんウロウロ行っちゃうしな」
「…回りの人は心配するよ」
「そうだなあ、エサくれてた人たちは、どうかな、たまには思い出して心配してくれたりするのかな」
「するに決まってるさ、だから朝美さんが、あんなに」
「朝美とは別れたよ、昨日」
「えっ?」
「別れたいって言うから、好きにしてもらった」
「そんなんでいいの?自慢の彼女だったろ?朝美さんだってあんなに心配してたのに」
「自慢の彼女だから、犬っころにはつり合わないさ」
「さっきから犬犬って、シゲオさんらしくないよ。誇りを持てよ」
「じゃあおまえは誇りを持ってるの?持ってるようには見えねえけどな。 持ってないやつに言われても、ガツンと来ないわな」
「…持ってないけど、シゲオさんには持っててもらいたいじゃん」
「そんなの不公平じゃねえか。俺は落ちることに決めた」

シゲオは空を見ながら言った。

「一緒に落ちたいって言ってただろう、八ケ岳で。一緒に落ちちゃおうぜ」

答えあぐねていると、シゲオは立ち上がり身振りでついてくるように示した。シゲオについて薄暗いスタジオに入ると、アンプの上にワインのボトルとワイングラスが2つ、並べてあった。シゲオはワインをグラスに注ぎ、ポケットから紙に包まれた白い粉薬を出すと、半分ずつワインに溶かした。

「乾杯するワインには毒が入っている。誰の言葉だったっけなあ。結局思い出せなかったな」

グラスを渡された潤がとまどっていると、シゲオは続けた。

「苦しんでもせいぜい1分だ。ラクショーだろ?」
「シゲオさんと、心中か」
「みんなはどう思うかな、いろんな推理して楽しむんだろうな」
「泣いてくれるよりは気楽でいいね」
「じゃあ乾杯するか」
「うん」
「乾杯」
「乾杯」

 



 

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