9・11


瓦礫の道を歩いていた。死臭のまじった風に吹かれ、ガラスの破片を踏み抜いた足は血を流し、背後からせまる黒煙に喉を焼かれて声はつぶれ、誰もいない瓦礫の荒野の道を、俺は歩いていた。

道は崩壊したWTCビルからはじまっていた。そのまえには、俺はいなかった。誇り高くそびえる超高層ビルに突き刺さった飛行機は、晴れ渡った空に白く輝き、陰うつで渾沌とした都市の残骸を清潔な死の国に変えた。その国で俺を生んだのは、テロリストの父親と無責任な愛に満ちた子宮をもつ母親。正しく育てられた俺は、父に憧れ母に甘え、俺たちの国のモニュメントであるWTCビルを人生の終着点にするべきだ。そのために俺は破壊されたビルから脱出し、新しい理想のWTCビルを探さなくてはならなかった。

モダンなWTCビルの夢に酔いしれながら歩き続ける俺には、荒れた都市の残骸に傷つけられた痛みなど苦にならない。その痛みは俺をニヒルにして、テロリストに必要な暴力と破壊の思想を教えてくれる。血を流せば流すほど、愚かで幼稚だった俺は成長し、死の国にふさわしい完璧な男になることができる。強い意志を持った俺は父を追い抜き母に頼られ、若く輝かしいテロリストとなってWTCビルをめざす。

くじけるわけにはいかない。死の国にある思考は現実の肉体を必要としない。無情な瓦礫の道で身にふりかかったどれほどの犠牲も、俺は乗り越えることができる。やがて見えて来た神々しいツインタワー。俺は黒い血のこびりついた足で駆け出して、その根元にひれ伏し、原点であったWTCビルに何度も頬擦りして口づけして、自分と世界の接点であるはずのあの場所を見上げた。でも、そこには、俺が乗っているべき飛行機がなかった。

その時、絶望したテロリストの俺は死んだ。取り残された現実の俺は、テロリストの屍を抱きしめて、泣き崩れる。俺にはもう帰るべき死の国の家も、愛する両親も、寄りかかる思想もない。ただ果 てしなく広がるすさんだ荒野にうずくまり、みじめに、風にさらされている。

あの日のように、馬鹿みたいに晴れた空。どこから飛んできたのか、場違いな白いハト。わざとらしくとってつけたように茂る街路樹、テロリストを埋葬するために素手で地面 をかきむしる俺の横を通り過ぎる立派な身なりの人たち、俺だった死体を平気で轢いていく車はウーハーの効いた大音量 でカーステを鳴らし、カフェでお茶を飲む人たちは不審な俺をけげんな目で見つめ、どんなふうに育つのか想像できるしつけの悪いガキどもは泣いている俺の顔をのぞきこんでママに報告しに行き、ヤジ馬の中からでしゃばってきたおばさんが俺の背中を抱いて何かを話しかける。おまわりさんが車を止めて、ボロボロになったテロリストの死体を片付け俺の家に連絡して、迎えに来た見たこともない両親におまえの部屋だと言われて押し込められた空間には、たしかに読んだ覚えのある本と、サイズがピッタリの服と、いい年をしていまだに捨てられないミッキーマウスのタオルケットと、食べかけのチョコレート、ランドセルをしょった俺にそっくりの子どもの写 真、2001年9月11日のことを書いた新聞紙。

俺は、これ以上でもこれ以下でもない現実に生きていかなくてはならない。そして、あたりまえに生きることのむずかしさを悟らなくてはならない。死の国の結論が人間の国の結論になるまで、この道を歩き続けなければならない。人間の国に生まれたことを、感謝しなければならない。WTCビルの幻想と決別 して。



 

2002.4■■

BACK     HOME     NEXT